夢を見た。
眩しい夕日。
オレンジの砂浜。
足元を濡らして広がるさざ波。
ああ、此処は湘南。
向こうに江ノ島が見えるなー、なんて思いながら、紀伊梨が振り向くと、其処に。
「・・・だ、」
だーれ?
そう聞こうとして、聞く気が無くなって辞めた。
別に誰だか知ってるわけではない。
でも、あんた誰、なんて聞くのはなんだか気が進まなかった。
其処に居た男の子は、真っ直ぐ。
只管真っ直ぐ自分を見ていた。
その表情を彩るのは、焦り。
夕日を背にしている紀伊梨が逆光で眩しいのか、目を眇めて。
「どしたの?」
どうしてそんな顔しているのだろうか。焦る事なんて此処には1つも有りはしないのに。
そう思うけれどそれは紀伊梨の方だけのようで、彼はそうは思っていないようだった。
「・・・・・」
返事をしない彼。
聞こえなかったのだろうか。
此処は海だから。
波の音にかき消されたのかもしれない。
もう少し近くに行くかと思い立って、足を前に出そうとした時、一際強い海風が吹いた。
「ねえ・・・わぷ!」
風に巻き上げられる髪。
砂。
視界が一瞬奪われて、ぶつかってきた波に足を取られてしまいそう。
ぐら、と体が僅かに傾いた。
まずい倒れる。ワンピースびしょびしょにしたら、お母さんにめっ!てされちゃうなあ。
なんて思った瞬間、ぐい、と前方に体が引き寄せられる。
「嫌だ!」
耳元で声が。
視界の端には黒髪が。
今度はそっちに倒れちゃう、と思うより早く、彼は自分を腕に掻き抱いたまま思い切り波の中に尻餅をついた。
ザザ。
ザザ、と波の音が。
音だけじゃない、波が彼の腿迄濡らしても。
夕日のオレンジが濃くなり出しても、彼は紀伊梨を抱き締めるのを辞めない。
「嫌だ・・・」
何が、なんて聞けない。
「嫌だ!」
どうして、とも聞けない。
「・・・何処へも行かないで、下さい。」
うん、と頷けない。
大丈夫だよ。
何処へも行かないよ。
安心して良いよ。
どうして言えないんだろう。
こんなに言いたいのに、1つも言葉にならない。
自分を掻き抱くその手が。
肩に埋めるその顔が。
しがみつくような力が、大丈夫という返事を奪い去る。
側に居るって言えない。
こんなに側に居たいのに。
だから。
「・・・・!」
背中に手を回し返すと、彼は驚いて体を少し離した。
目が合う。
ああ、貴方はこんな顔をしていたの。
覚えてる。
忘れない。
決して忘れないから。
「・・・待ってるね!」
待ってる。
ずっと待って居る。
貴方の事を。
「・・・・・・」
眩しい。
朝日がカーテンの向こうから差し込んで、今日も良い天気なのが分かる。
目覚ましが鳴る前。
転がるラケットバッグ。
机の上には開きっぱなしのテキスト。
「・・・早く。」
早く?
何が?
ジリリリリ!
「あああ!起きてる、起きてるっつの!」
バン!と目覚ましを叩いて止めて、今日も1日が始まる。
珍しく遅刻しないで起きられた。
勉強は大嫌いだけど、お受験は必要だから、偶には早く学校に行って自習も良いかもしれない。
「いよっし!今日もやるか!」
爽やかな目覚めに浮かれる切原は、やっぱり夢を見た事を間も無く忘れてしまうけど。
忘れてしまうけど、でも記憶の奥底、無意識の中で覚えている。
早くしないと。
もっと急がないと。
皆が待ってる。
あの人が待ってる。
自分を、待ってるから。
「行ってきます!」