Prologue Side R - 4/7


「あ!」
「え?」

廊下の真ん中で、珍しくも千百合が声を上げた。

「どうかしましたか?」
「・・・やらかした。私一階のトイレにポーチ忘れてきたわ。」
「えっ!?」

出した記憶はハッキリあれど、しまい直した記憶が全く無い。
まずい。

「ごめん紫希、先行っといてくんない?彼処遠いし、私ちょっとダッシュするからさ。」
「それなら、鞄だけお預かりしましょうか?」
「あー・・・ごめん、頼んで良い?」
「ふふ、全然。それより、気をつけて行ってきて下さい。」
「うん、マジごめん。すぐ戻るから。」
「あ、そんなに急がなくてもチャイムまではまだ・・・」

時間があるのに、紫希を待たせまいと駆け出す千百合の背中は、階段を下ってあっという間に見えなくなった。

(大丈夫でしょうか・・・)

転んだりぶつかったりしなければ良いのだが、と思いながら紫希は1人廊下を歩いて、C組に辿り着いた。

「・・・此処ですよね。」

そっとC組の扉を開けて、黒板の席を確認する。

先ずは自分より千百合の席だ。

(黒崎、黒崎・・・あ、此処ですね。で、私があっち。)

ちょっと離れちゃったな、と思いつつ千百合の席に千百合の鞄を。
それから窓際の自分の席に座った。

と。

「おい。」

「!?は、はい!」

低く、聞いただけで真面目な事が分かる固い声。
隣を見やると、同じ歳とは思えない落ち着きを兼ね備えた表情の男子が居た。

「な、なんでしょうか・・・」
「すまない。驚かすつもりは無かったのだが、1つ聞きたい。」
「はい・・・?」
「何故鞄を二つ持っていたのだ?」
「え?」

何故って、何故も何も。

「・・・友達が下の階に忘れ物をしたので、それなら荷物を預かろうと・・・」
「成程。では持たされていたわけではないのだな?」
「そ、そんな!私がかって出たんです!そんな子ではありません!」
「そうか。それなら良いのだ。」

(・・・もしかして、誰かに良いように扱われているように見えて心配してくれたんでしょうか?)

それなら、その事については礼を言うべきだろうか。

いや、しかし。
しかし。

「・・・・・・・」

(こ・・・怖い!話しかけられない・・・!)

なんでそんなに厳しい目つきをしているのだろう。
なんという気迫。
オーラのある同級生という存在は幸村で慣れていたつもりだったが、これは幸村とは微妙に別種の人間だ。

(ど、どうしましょう、助けて千百合ちゃん・・・!い、いえ!私の問題なんですから千百合ちゃんに助けて貰ってばかり居ては、でも、でも・・・)

あわあわ。おろおろ。

所在無げに紫希が目線を彷徨わせていると、教師の扉が開いて、待っていた顔が覗いた。

「紫希!」
「千百合ちゃん・・・!」
「ごめん待たせ・・・」

自席の鞄を一瞥して、紫希の元に近づく千百合の目が、その隣の人物を見て少し開いた。

「なんだ真田。あんたも一緒?」

(え、知り合いですか?)

「む?黒崎の妹か、ぶっ!?」
「さ、真田君!」

千百合の容赦のない平手が真田の額に側頭部にヒットした。
さしもの真田も不意をつかれた状態では避けられないらしい。

「大丈夫ですか?」
「ああ、大した事はないが・・・おい、いきなり何をする!」
「黒崎の妹って呼ぶなっつってんだろ!私をあのバカとセットにするんじゃない!あのバカと!」

大事な事なので2度言った。

「しかし他になんと呼べと言うのだ!」
「普通に呼べよ!黒崎で良いんだよ!」
「お前の兄も黒崎だろう!」
「このクラスに黒崎は私しか居ないだろ!」
「しかしそれでは間違いが発生するやも、」
「頭が固いんだよお前は!」
「何!?」
「あの、あの、2人ともその辺で・・・」
「む、そうだ。お前はどう呼んでいるのだ?」
「へ?私?ですか?」

急に水を向けられる紫希。

「そうだ。察するにお前も知り合いだろう?」
「えっと、千百合ちゃんに棗君ですけれど・・・でも真田君がそう呼ぶのは止めた方が・・・」
「む、確かにそれは些か・・・」
「呼べない呼べない、此奴。女子を名前で呼び捨てなんてさ。」

(それもそれで少しポイントが違うんですけれど。)

女子なら兎も角、男子が千百合を名前呼びなどしようものなら、幸村がなんというか分からない。
そう言う意味で真田は止した方が良いと言ったのだ。
千百合はもう少し、幸村に愛されていると言う自覚が必要だと紫希は時折思う。

「しかしそれならどうしたら・・・」
「だから黒崎って呼べって!」
「だが!」
「あ、あの!真田君!」
「む?」
「あの、千百合ちゃんは妹って呼ばれるのが嫌なんですよ。ですから、黒崎千百合とフルネームで呼ぶのは如何ですか?それなら棗君とも間違えないでしょう?」
「ふむ・・・成程。」
「千百合ちゃんも、それでは駄目ですか?」
「良いよ。っていうか、私は「妹」とか変な綽名じゃないならなんでも良いんだけど。」
「では、それでこのお話はお終いにしましょう?ね?千百合ちゃんもいきなり叩いたりしてはいけませんよ・・・?」
「・・・でも、此奴に今更そんな気使う気起きないんだよね。」
「おい、どういう意味だ!」
「あー煩い。」

今更、という事は、やはり2人は知り合いというか、見知った仲なのだろう。

「千百合ちゃん、真田君とはお友達なんですか?」
「此奴アレだよ。せ・・・幸村のテニススクールのスクールメイト。」
「ああ、テニス関連でのお知り合いですか。」

紫希、紀伊梨、千百合に幸村、それに棗の5人は幼馴染である。

あるけれど全員同性と言うわけでもないし、趣味もバラバラだからお互いの性格は良く知っていても、お互いの環境について知り尽くしているというわけではない。

特に幸村は1人バンドに属さずテニスに尽力していた為、テニス関連に触れている時の幸村の事は、紫希と紀伊梨と棗は「良く知っている」とはお世辞にも言い難かった。

ただ流石にというか千百合は例外だった。
テニスに興味はなかったけれど、幸村と2人で会話している時に、お互い最近テニスの方はどう、バンドの方はどう、という話の流れになる事も少なくないし、1人でこっそり幸村の試合を見に行ったりすることもままある。

そうこうしている内に、幸村がスクールで一番仲のいい真田とも千百合は度々交流していたのだ。

「そう言えば自己紹介がまだだったな。」
「あ!そ、そうですね。」
「不躾な振る舞いをしてすまなかった。真田弦一郎だ。これからよろしく頼む。」
「ええと、春日紫希です。此方こそ、よろしくお願いします。」
「お前が春日だったか。席表を見て、ひょっとしたらと思ってはいたのだが。」
「あれ?ご存じだったんですか、私の事・・・?」
「お前と五十嵐紀伊梨の話は幸村や此奴から良く出てくるからな。」
「そうだったんですか・・・」
「まあ、真田は紀伊梨と紫希のクラスが逆じゃなかった事を神様にでも感謝してなよ。」

紀伊梨が同じクラスだったりした暁には、一日何度あの決め台詞を叫ばねばならなくなるか分かるまい。
成績は壊滅的な上、居眠りや制服着崩しの常習犯なのだから。

「そうだな、春日は真面目な性格だと聞いている。上手くやれそうだ。」
「ええ!?い、いえ、私はそんな、」

自分の知らない所でハードルを上げないで欲しい、と思いつつ紫希が少し身を引いていると、HR開始のチャイムが鳴った。

「戻るわ。紫希、鞄有難う。」
「いえ、全然。」
「忘れ物をしたというのはお前か。たるんどる!」
「ああ”?」
「せ、先生が来られますよ!」

どうしてもぶつかりがちな千百合と真田。
間に入る紫希。

3人の邂逅を、桜吹雪が窓の外から見つめている。