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「ん?」
昼休みの音楽室。
千百合がベースをかき鳴らしていると、携帯が光った。
紫希からだ。
(あ、企画書の事聞いてくれたんだ。どれ・・・)
『後から無視するので通るように適当に書いて良いとの事です・・・』
「はああ?」
千百合は思わずベースを置いて机に座った。
後から無視する。
から、提出段階ではでっち上げて良いと。
(何考えてるの彼奴・・・)
ちょっと分かった気がしたと思ったら、又分からなくなる。
仁王雅治という男。
(でも、実際問題どうしたら良いんだろう。基本言われた事には従おうと思ってたけど、流石にこれは。)
でっち上げなんて、して良いんだろうか。
よしんば今回は通っても、次回からもうライブは無し、なんて事になったらどうする。
(かと言って無視するのもなあ。彼奴の計算が狂ったら困るし、うーんどうしたもんかな。あんまりやりたくないけど兄貴に・・・)
不意に視界が陰った。
いや、真っ暗になった。
目に人肌の温度。
「だーれだ?」
穏やかな声。
大好きな声。
誰だ、だって?
馬鹿。
馬鹿だ。
私にこんな事して喜んでる大馬鹿者。
「・・・精市。」
「さて、どうかな?」
「違うの?」
「ふふ。そうだね、違うかも。」
「私、精市と紫希と紀伊梨以外にこんな事されたくないんだけど。」
「・・・そうなんだ。」
「そう。だからあんたが精市じゃないって言うんなら、それ相応の報いって奴を、」
「分かった、降参。正解だよ千百合。」
再び開ける視界。
離れていく体温がちょっと惜しいなんて言えない。
「もう・・・吃驚したじゃない。」
「ごめんね?ちょっと驚かせたかったんだ。あんまり携帯に夢中になってるから。」
「別に夢中になってるわけじゃないから。考えてただけ。」
「何を?」
「これ。紫希が送ってくれたんだけど、仁王に企画書の内容どう書いたら良いかの返信が来て。」
「どれ?」
「・・・!」
これ、と千百合が示す物だから、遠慮なく画面を見る幸村。
それは別に構わない。
見せてるのは千百合だ。
ただ。
「ううん・・・これは確かにちょっとどうかと思う所だ。適当にって言うけど、本当に適当に書いて良いものかな。」
「・・・・・・せ、」
近い。
見易い様に背後から覗きこんでいるから、顔が間近にある。
幸村はメールに集中していて、全然気がついていない。
「最終的に無視するって言うのがポイントだね。結局終わる頃にはバレるだろうから、今後の事もあるし、ビードロズっていうバンドを見る目に影響するし。」
不味い。
心臓の音がうるさ過ぎて、言われてる事が頭に入ってこない。
顔の右側が熱い。
頼むから早く離れて。
「〆切は来週だから、今日の内に仁王に直接聞き直した方が良いかもしれないな。・・・千百合?聞いてるーーー」
(あ・・・・)
幸村が顔を傾けた。
近過ぎてピントも合わないお互いの顔。
「あ、」
「ご、めん・・・」
ゆっくり、ゆっくり、少しづつ距離を離して。
そして、お互いがお互いの方に顔を向けあった時には、目が反らせなくて、鼻先が触れそうで。
鼓動の音しか聞こえなかったのに、今ではもう一つ聞こえてしまう。
吐息の、音。
「千百合・・・」
そっと囁く幸村の唇が、やけに千百合の目に鮮明に映った気がした。
「・・・精市、」
「おーす!お待たせー!」
ガララララ!と勢い良く音楽室の引き戸を開ける棗。
「ごーめん、ごめんw日直の仕事長引いちゃってさあw・・・あれ?」
千百合は突っ伏していた。
幸村は向こうを向いていた。
何この空気は。
「ん?何?何があったの?」
「・・・別に何も。お疲れ様、棗。」
「いやそれは良いんだけど、どうしたのお前ら。」
頼むから突っ込まないでくれないだろうか。
「特にどうもしないよ。」
「嘘過ぎて逆に何も言えないわw」
「嘘なんてついてないよ。それより、ちょっと相談に乗って欲しいんだ。」
「んー?」
「実はね、」
(有難う精市・・・)
千百合は誤魔化すのが上手い恋人に感謝した。
「・・・とまあ、そんな次第だそうなんだけどね。」
「ははあ。うーん。」
「棗はどう思う?」
「ま、確かにリスキーなのはある。けど・・・」
「けど?」
「先ずそもそも、元々無理を通そうってんだからしょうがないかなーって思うところあるよね。」
実行可能且つ通るような企画書を出すと言うのは、言うなれば正面突破なやり方だ。
そして、それが出来ないから仁王に協力を仰いでいるのであって、まあ言うなればこのくらいの事は想定の範囲内、と取る事が出来るのだった。
「確かに、それはそうかもしれないけど・・・」
「でしょ?後もう一個。彼奴は頭良いしプライドみたいな物を持ってるから、投げっぱなしにしたり半端な事はしないと思うんだよねー。」
協力を仰ぎに行った際。マジシャンじゃなくてイリュージョニストだ、と言った仁王は至極真剣な目をしていた。あの男は伊達や酔狂で「イリュージョニスト・仁王」を名乗ってるわけじゃない。
「だから、なんかしらフォロー的なものを考えてくれてると思う・・・と、思うのは彼奴を良い風に見過ぎ?」
「どうだろうね。」
「おや、疑いの眼w」
「皆よりも、俺は仁王について多くを知っているからね。良い悪いは別として、人の予想を裏切るタイプなのには違いないよ。」
「まあそれは分かる。」
棗の言う事は尤もだが、千百合や幸村の考えも又尤もである。
やはりダメ元でも、本人に再度聞いた方が良いかもしれない。
「でも一応、仁王の言うとおりの方向である程度までは進めておくよ。・・・所でさー。」
「なんだい。」
「わが妹は何時になったら起きるの?」
(余計な事にばっかり気づくんじゃない、馬鹿!)
千百合は内心で悪態をついた。
少なくとも、棗が居る限り顔は上げられない。
幸村も退室していないなら尚更だ。
別に何したわけじゃない。
単に顔が近かっただけ、だけど。
(でも、でも、でも、精市の顔が、あんなに近くに、)
もうお付き合いを始めて4年目。
友達だった期間を含めるともっと長く、さっきの目隠しみたいに軽い冗談とかスキンシップだってする。
でも、さっきみたいな事は初めてだった。
顔が本当に、本当に近くて、あんなにじっと真っ直ぐに見つめられて、
瞳の色とか、息遣いとかがはっきり分かって、
幸村の位置がというより存在が本当に、本当に自分のすぐ目の前にあって・・・
「~~~~~~~!」
駄目だ。
無理だ。
1人にしてくれなきゃとてもベースなんて弾けない。
もうやだ。
出てってくれ。
もうやだ。
助けて紫希。
助けて紀伊梨。
「まあ・・・もう暫く放っておいてあげて欲しいけど。」
「昼練習とはなんだったのかw別に良いけどw紀伊梨も居ないし。」
「そういえば、五十嵐が来てないね?」
「ちょっと遅れるー!ってLINEは来てたんだけどね。ま、彼奴がルーズなのは今に始まった事じゃ・・・」
「おーーーーそくなっちゃってごめーーーん!」
ガラララ!と騒がしい戸の音と共に、ギターを背負った紀伊梨が姿を現した。
「マジで遅いわwもう昼休み半分以上過ぎてるけどw」
「ごみんごみん、ちょっと・・・およ?千百合っち寝てるのー?」
「あのね五十嵐、」
「なんか触れちゃいけないらしいよw・・・あて!」
とうとうしびれを切らした千百合が、消しゴムを投げつけた。
突っ伏しているからどこに誰が居るか見えない筈なのに外さないのは、双子故か必死さ故か。
「ねーねー千百合っちー!起きてよう!」
「良く近づけるなw」
「だって千百合っちに報告したいんだもん!」
「報告?」
「そお!あのね、さっき真田っちに、千百合っちと仲良くしてよって言ってきたのー!」
「はああ!?」
「弦一郎に?」
(・・・・・!)
思っている方向は各々違えど、去来する思いは皆同じ。
何をやってるんだ何を。
「仲良くなってって、仲良くってそーやってなるもんじゃないっしょ?」
「だって、なっちんが言ったんじゃん!千百合っちは頑張ってるんだよーって!それなのに向こうは頑張らないとか、そんなのずるいよ!」
「ずるいとかそういう問題じゃないw」
棗はおかしくて仕方がない。
「・・・五十嵐、弦一郎はどう返事した?」
「んー?なんか、仲良くってそういうもんじゃない!とか、アイツとは裏が合わん!とか言ってたけどー。」
「裏じゃねえよウマだよw」
「あり?でもでもー!説得したら、最後には頑張ってみるって言ってくれたよ!」
「マジかよ!」
あの真田に意見の変更を迫って、これを覆すような事が紀伊梨に出来るとは。
「ふふふ。多分だけど、弦一郎も本当は仲良くやりたいんだと思うよ。」
「そーかな!だったらいいな!」
「弦一郎は、思っていない事は言わないからね。」
「あ、それ真田っちも言ってた!さっすがゆっきー!」
「・・・・・・・」
「あ、起きた。」
「おはよー、千百合っち!」
別に寝てたわけじゃないけれど、急に顔を上げると周りが明るくて目がシパシパする。
「・・・あのね、紀伊梨。」
「うん!」
「あのね・・・」
「うん!」
「・・・・・・・・」
「わっ!あははー!千百合っちに撫でてもらうの久しぶりー!」
なんと言えば良いのだろう、この気持ち。
人によっては協力してくれて有難う、と喜ぶ場面であり。
人によっては余計なことしやがって、と怒る場面であり。
「・・・紀伊梨。」
「うん?」
「有難う。」
「・・・・うん!」
「でも、もうしないでね。」
「ええ!?」
「私、自分で仲良くならなくちゃ。そうでないと、多分彼奴一生、私と普通の友達付き合いなんかしてくれないわ。」
真田が考える気になったのは、紀伊梨の言い分もあるかもしれないが、何より紀伊梨の態度に心が動いたのだろうと千百合は思う。
だからやっぱり、最後のひと押しは自分でどうにかしないといけない。
「・・・分かった!」
「ん。」
「ま、もうちょっと気楽にやったら?真田もそうだけど、お前も大概考えすぎよ?」
「分かってるわよ。さ!紀伊梨も来たし、合わせるんでしょ?」
「おうともさ!」
「え!?ちょっと待って、まだチューニング出来てないw」
「・・・・・・」
「ゆっきーも聞いてくよね!・・・ゆっきー?」
「ん?」
「聞いてくよね!」
「うん、勿論。」
「何、ボーッとしてw」
「言うと怒られそうだから止めておくよ。」
「ほほう・・・」
「ふーん・・・」
「なんで私を見るの。」
流石に幼馴染は鋭い。
千百合は素敵な女の子だなあ、なんて思っていたらすぐ見抜かれる。
嫌な事だろうがなんだろうが、やらねばならないのなら避けては通らない。
そういう千百合が幸村は好きだ。
今は喧嘩の方が多いようだが、きっと真田もその内分かってくれるだろう。
千百合が魅力的な人間である事を。
(そうなったらそうなったで、ちょっと惜しかったりするのかな?)
「ゆっきー!いっくよー、聞いててね!」
「ああ、うん。」
「ようし!1、2ーーーー」