その適役さんは今、ベンチで片腕と片足を下ろした状態で眠っていた。
(危ないよね、あれ)
どう見てもずり落ちる寸前。
可憐は駆け寄った。
「芥川君!」
「zzzzz・・・・zzzz・・・」
「あの!芥川君っ!」
「zzz・・・」
どうして起きないのだろうか、この距離で叫んでいるのに。
斯くなる上はゆり起こすしかない。
もしかしたらはずみで落ちるかもしれないのがちょっと怖いが。
「芥川くーーんっ!」
「zzz・・・んあ?」
未だ嘗て数える程しか開いたのを見た事が無い瞼が、ゆーーーっくり開いた。
そして半分迄開いた所で、カッと勢いを増して芥川の目がパチンと開いた。
「あ!目覚まし時計の人ー!」
「へ!?」
いきなり人を指差して何を言いだすかと思えば、目覚まし時計の人。
意味が分からない。
「め、目覚まし時計!?」
「そーそー!君さー、いっつも同じ時間にここ通って、俺に蹴躓いて行くじゃん?」
「ごめんなさいいい!」
芥川の寝ている定位置は、可憐が何時もルーチンとしてタオルを運ぶルートの真隣にある。
起きないからという理由で皆放置しているが、余りに四六時中すやすやと寝ているので、可憐は心配でついつい側を通って体調を確かめてしまうのだ。
そしてその度に椅子に足が引っかかり、芥川がむずがる。
むずがるだけで寝ていると思っていたのだが、起きていたとは。
「いや良いって~!あれのおかげで俺、大体同じような時間に目が醒めるようになったから、ちょっとは練習出来るようになったんだよね!跡部に褒められたC!何時もありがとう!」
「そうなの?うん?あれ?」
何かおかしくないか。
練習に参加するのって、そんなに取り立てて褒められる事だっただろうか。
「でも最近は躓かなくなったよね?」
「え?」
「俺起きないもん!だから、もう転ばなくなったのかなって思ってたんだC。」
その通りだった。
確かに転ばなくなった。
確かに躓かなくなった。
最近、ドジをしない。
「・・・・・・」
「あれ?どうしたの?」
「・・・ううん。なんでも、」
「なんでも無いって顔じゃないC!あ!ひょっとしてどっか痛い?大丈夫?」
急にオロオロしだす芥川に、可憐は少し気分が浮上して元気になった。
何時も眠そうにしているから大人しい性格なのかと思いきや、なかなかどうして、起きた芥川は騒がしい。
「・・・ねえ、芥川君。」
「うん?」
「芥川君は、もし向日君と宍戸君が仲良しだったらどう思う・・・?」
キョトン。
と芥川の丸い目が可憐を見つめ返した。
「・・・へ?」
「あ!ご、ごめんねっ!私変な事聞いちゃって!なんでもない!なんでも無いよ!」
「あ~、待って待って、俺未だ返事して無いC~。」
芥川の右手が、逃げるように去ろうとする可憐の左腕を捕まえた。
「でもど~いう意味?がっくんと宍戸が仲良くしてたら?俺がどう思うか?」
「違うの!違うの!本当に気にしないで!」
「・・・・・」
じいいいい・・・・っ、と音がするくらい可憐をまじまじと見つめる芥川の目力。
可憐は言ってしまった物をもう取り消せない事を悟った。
「・・・あのね。」
「うん。」
「私、とっても大事な友達が2人居るんだけど。あ!別に他の子が大事じゃないってわけじゃないよ!でも、なんていうか、その2人は特別で・・・」
「うん、分かるよ。俺も友達は色々居るけど、がっくんとか宍戸はやっぱり特別な友達だC。」
それは、付き合いの長さだったり。
立場だったり、きっかけだったり、色々理由はあるけれど、特別な友達というのは誰に居てもおかしくない。
可憐にとっては、伊丹も内川も榎本も、彼等は彼等で特別なんだけど。
でも。
「・・・それでね。その・・・」
「うん。」
「・・・その、私の友達は、お互いに仲が良くって。」
「うんうん!良い事だC!」
明るくそう返す芥川の笑顔が、可憐の胸をチクっと刺した。
「・・・やっぱり、そうだよね。」
「ん?」
「仲が良いのは、良い事に決まってるよね!そうだよ、そうなんだよ・・・」
そうなんだ。
だから。
(・・・やっぱり、私が良くないんだよ。)
可憐は何より、忍足の口から「映画に一緒に行く」と出て来た事にショックを受けていた。
榎本から「デートに行く」と話を聞いた時は、正直言ってあまりピンと来ていなかった。そもそも上級生がそう言ってたと言うだけで、本当かどうかも分からなかったし。
だが忍足は言った。
一緒に映画に行くのがバレたのかと。
本当だったんだ、と思った。
それと同時に、ショックを受けた自分が何よりショックだった。
友人と友人が、2人で映画に行く。
もしかしたら、お互い憎からず思っているのかもしれない。
だからなんだというのだろうか。
別に良いでは無いか。
何も悪い事なんてない。
真逆中1にもなって、仲間外れにされたようで寂しい、とでもいうのだろうか。
若しくは、忍足にも網代にも近い存在でいながら、何方にも恋の相談をして貰えない事が、その程度の存在と言われてるようでショックなのか。
何方にしろ、碌なものじゃない。
なんという自分勝手な話だろうか。
可憐は自己嫌悪に陥っていた。
そして、其処まで分かっていながらショックだと思うのをやめられない。
その事実が更に自己嫌悪を加速させて、可憐は最近すっかり心ここにあらずだった。
忍足の言う通りだった。
悩む事こそが、皮肉にも可憐の1番のコンプレックスを取り除いていた。
(こんな事考えてる場合じゃ無いのに・・・茉奈花ちゃんを守らなきゃいけないのに・・・!)
「・・・・・・」
頭を抱える可憐を、芥川はジッと見て言った。
「・・・俺さあ、最近実はちょっと寂しかったんだよね。」
「え?」
「だって、がっくんってば忍足とばっかり一緒に居るんだもん。」
これを言うと「お前が寝てばっかり居るからだろ」と言われそうだから言わないが、芥川の目から見て向日はかなり忍足の事を気に入っていた。
話してると楽しい。
もっと仲良くなりたい。
向日がそう思って居るのが分かる。
だってずっと一緒だったから。
「でもね!こないだ俺が寝てたら、がっくんが起こしに来てくれてさ!」
目を開けるとラケットを持ったおかっぱ頭が自分を覗き混んでいて、ワケも分からずボーッとしていたら、向日はニッと笑って言った。
『跡部の奴、今日生徒会で遅れるんだと!なあ、基礎練ちょっとサボってさ、ラリーしようぜラリー!』
「俺、それがすっごい嬉しかったんだ!」
忍足じゃなくて、自分に声をかけてくれた事が嬉しかった。
その時に分かった。
自分の居た所に、忍足が交代で入って来たんじゃない。
自分の場所は自分の場所でちゃんと其処にあるのだ。ただ、忍足の居る場所が自分の傍に出来ただけ。
「だからさ!その友達が誰かは分かんないけど、寂しいって思ったならそれは別に良いんじゃない?」
「え?」
「無理して喜ぶ事無いって!寂しい時は寂しいって思って、その後会いに行ったら良いんだよ!」
「・・・会いに行く。」
「そう!友達でしょ?」
あっけらかん、と芥川は言うが。
「・・・でも、良いのかな?」
「ダメなの!?なんでなんで~?」
「ダメっていうか、勝手じゃないかなあって。なんというか、2人で仲良くしたがってるんだったら、私が話しかけに行っても邪魔じゃないかな?」
「そんな事無いって!絶対邪魔なんか思ったりしないしC!」
「そう、「そんな自信無さそうな顔しなくても大丈夫だC!その友達が誰だか知らないけど、そんな事思う奴は相当!性格悪い奴だから!友達って、そんな性格捩じくれた奴なの?」
「そんな事無いよ!・・・あ。」
「ね~!」
自信満々に笑う芥川。
「・・・うん。そうだね、そうかも!」
「ね!あ、でも・・・」
「可憐ーーー!ちょっと手伝ってーーー!」
「あ、はーーい!ごめんね、芥川君!本当に有難う!」
「あ・・・・」
お呼び出しのかかってしまった可憐の背を、芥川は見送った。
別に礼を言われるような事はしていないけれど。
「・・・聞きそびれたC。ま、E~かあ、もっかい寝よ・・・」
聞きそびれたのは、でも、の続き。
それって。
本当に友達だよね?
適役がしっかり仕事してくれている間、忍足と跡部は練習時間の合間を見て話し合いをしていた。
「跡部、可憐ちゃんの事もやねんけどな。」
「網代の事だろう。」
「せや。今の所可憐ちゃんの友達が交代で見てくれとるし、何もなさそうやねんけどな。」
しかしこのままずっとこれを続けるわけにもいかない。
何処かでピリオドを打たなければ。
そして相手が打ってくれないのなら、此方からするしかない。
忍足はそう考えていたのだが。
「その点に関しては心配ない。」
「そうなん?」
「ああ、間もなく・・・早ければ今日の昼には片付くだろう。」
「どういうこっちゃ。」
「直分かる。ただし・・・」
「?」
「お前らの言う「奥の手」とやらを持つ上級生の奴ら。そいつ等を直接止めるわけじゃねえ。だから俺様がもう良いと言うまで、警戒は続けて貰う。」
「分かった。ほんなら、可憐ちゃんに・・・というか可憐ちゃんの友達にも言うとくわ。」
どうせ朝香にも話を聞きたいと思っていたのだ。
丁度良い、可憐に話を通しておいて貰おう。
「・・・序というわけじゃねえが、忍足。」
「なんや?」
「お前、今度網代と出かけるそうだな、アーン?」
「せやけど。」
跡部がこういう話を振ってくるのは珍しい。
常日頃、別に女子が嫌いなわけではないが取り立てて好きでもなんでもないのに。
「もしかして部内でそういうのはややこしい事になるから御法度や、言う話か?」
「ハン。馬鹿言え、そこまで束縛もしねえし興味もねえよ。もしそんな事になる奴が居ても、手前の後始末は手前で付けて貰うぜ。」
「それはええけど・・・でもそれやったら、結局何が言いたいん?」
「今言っただろ。」
「は?」
「面倒な事になっても、自業自得だと言ったんだ。俺様は手を貸さねえ。自分で蒔いた種は自分で刈り取れよ。」
言うだけ言うと、跡部はその場を離れて練習へと戻ってしまった。
「・・・ならへんて。」
その為に、自分は。