(お・・・持ち堪えた。)
ちょっと前。
紫希が項垂れる直前から、丸井は教室の外で様子を伺っていた。
入ろうと思ったら沈みだしたので、泣くかなとちょっと思っていたけど、紫希は泣かなかった。
(春日って、こういう時は泣かねえよな。)
ちょっとそれは分かってきた。
紫希はキツいことに対してとても強い。
「よ!」
「はい、え?あれ?丸井君・・・?」
「おう、お疲れ。」
「お疲れ様です・・・・」
思わずポカン顔になる紫希。
「あの・・・」
「ん?」
「丸井君どうしてここに、カラオケは、」
「ん?行くけど。でもその前に連れて来いって黒崎に言われて。あ、兄貴の方な?」
「私をですか・・・?」
「そ。」
そうなのか。
確かに棗の考えそうなことではある。
ただ。
丸井には非常に申し訳ないと言わざるを得ないが。
「・・・丸井君。」
「うん?」
「わざわざ来て頂いて本当に申し訳ないんですけれど、私今日は誘われてもーーー」
「良いよ、俺も誘う気はねえから。」
「え?」
至って普通の顔をして適当な席に鞄を置く丸井。
丸井は自信がないとさっき皆の居る場で言った。
ただ、それは正確じゃない。幸村が自信はあるかと聞いてきたから、NOと答えただけ。
丸井が本当にないのはやる気のほうである。
「練習してえんだろい?」
「はい・・・」
「じゃ、したら良いじゃん?」
「・・・しても良いんですか?」
「良いよ、好きなだけやったら。止めたりしねえから。」
かっこ悪いから言わないけれど、自分だって似たようなものである。
がむしゃらに頑張って、頑張って頑張って、それでも足りないからまだ頑張って。
それでも上手くいかない時、周りは良かれと思って決まって言うのだ。
ちょっとは休みなよ、効率悪いよ。
気分転換だって必要だよ。
休憩した方が、上手く行く時だってあるよ。
丸井はテニスでそれを言われると、いつも嫌だと返す。
休んだ方が良いなんてそんな事知ってる。
でも休むと後悔するかもしれない。
休んだばかりに後々何かが今一歩で掴めないかもしれない。
だからやる。
例え止められても、何かを掴むまで。
丸井は紫希の気持ちが良くわかる。
だから、指名をされた時も元より連れ戻す気なんてなかった。
させてやれば良いと思った。寧ろ、邪魔を入れさせないために素知らぬ顔で迎え役になった節まである。
「・・・じゃ、じゃあ。」
「おう。あ、でも。悪いんだけど、15分だけ居させてくれよ?」
「15分?」
「15分は粘るって約束で来てっからな。」
「ええ、それは全然構いませんけど・・・」
「オッケー!じゃあ遠慮なく。」
寧ろ、棗にしては15分なんてえらくあっさりした判断だな。
なんて思う紫希の推測は当たっている。これは棗じゃなくて幸村の判断。
「別に俺の事気にしないで良いから。」
「はい・・・・」
とは言いつつ、居られると気になる。
その気配を丸井も察知はしているが、まあ15分だけの話だ。15分経ったら未練なく出ていくから、それまでは辛抱して欲しい。
「・・・・あ、」
「・・・・・」
「・・・・ああ、」
「・・・・・・」
「う・・・・」
難航する。
余計に手が止まる。
これを克服するためにやってるのに、顔見知りしかも一人という初歩的なギャラリーで固まっててどうするのだろうか。情けなくてさっきは出なかった涙が出そうになる。
そんな紫希の前で、見たいけどあんまり見ない方が良いんだろうなと視線を逸らした丸井は、机の上に広げられた紙束に目を止めた。
「なあ。」
「はい・・・」
「これ、今弾いてるやつ?」
「はい。」
「見て良い?」
「はい、どうぞ。」
「弾いてるの、どこ?」
「ええと、サビの直前です。」
「サビの直前・・・あ、この辺か。サンキュ。」
「いえ。」
丸井が1枚ひらんと手に取って見せるのは、今弾いてる曲の歌詞カードである。
とは言っても、紫希は別にじろじろ見なくても平気。キーボードに関係ないし、それでなくても自分が書いたんだから大体覚えてる。
「・・・・・あ、」
「・・・・・」
「・・・・」
「・・・・・」
「あ、また・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・か、ぜを掴み・・・」
「・・・・」
「プロペラ、ま、わーして、今日も、」
「・・・あの、違います。」
「ん?」
「音程が違います。」
「え、嘘!」
「嘘じゃないです・・・」
「だって、今弾いてるのがメロディだろい?キーボードとかギターってメロディーライン弾くもんだって五十嵐が言ってたけど。」
「基本的にはそうなんですけど、この曲はその辺が例外で・・・ボーカル以外、誰もメロディラインに触らないんです。」
「マジ?」
「はい。」
絶対メロディ弾いてると思ったからキーボードに合わせてたのに、違うとか言われた。
確かに変なメロディとは思ったけど、変な筈だ。オンリーハモリだもの。
「その、一番下に一応ボーカル用の楽譜がありますけど・・・」
「見て良い?」
「それは構いませんけれど、見るだけで分かりますか?」
「・・・大体は?」
「良かったら、あっちのキーボードで音を出してみてください。それで大よそ分かると思いますから。」
「おし、サンキュ!」
暇なんだろう。
そりゃあ何もしないで15分待てって言われてもきつい。何かしてると短いけれど、じっとしてるには15分って長いのだ。
ポン、ポン、ポポン、ポン、と紫希が弾く音。
ポン。・・・ポン。・・・ポン。と、丸井が音程だけ確かめている音。少しの間、両方が音楽室にころころ転がり落ちて跳ねた。
「はー・・・」
丸井は呟いた。
成程、大体どういう曲なのかわかったと思う。ボーカルは。
(サビ直前って言ってたよな?ここがサビだから、ここの手前っていうとこの辺で・・・・あ、ここ?)
「・・・・誰かが、乗って、来る度にー、」
ピタ。
と紫希の手が思わず止まる。
「少し船は・・・重く、なるー・・・」
「・・・・」
「だけど・・・あれ?弾かねえの?」
「え?」
「俺、邪魔?」
「あ、いえ!そうじゃなくてその、ちょっと気になってしまって・・・」
「俺が?」
「いえ、あの!そうなんですけどそうじゃなくて、その・・・」
なんて言えば良い。
確かに気になってしょうがないのはそうなんだけど。
「・・・今歌われてた所が、弾いてるところとズレてたので気になってしまって・・・合わせようとして歌を待ってしまって・・・」
「え、ここでもねえの?ちょっと待てよ、どの辺?どこ弾いてる?」
「ええと・・・」
とうとう紫希も丸井も手を止めて、2人で楽譜を覗き出した。
邪魔しないとはなんだったのか状態。
「ええと、この音から此処からで、」
「オッケー。」
「テンポがもう少し早めで・・・このくらいです。」
「おし、わかった。せーの、」
「だけど、何故だろう♪」
ポロロロロン♪
「心はかーるくー♪」
ポンポンポン♪
(こんな風になるんですね・・・・)
いつも自分一人で練習するか、偶に棗と一緒か。
いずれにしろリズムとハモリしかないから、紫希はまともにメロディーラインが乗るのを今初めてちゃんと聞いた。
凄い。
こういう聞こえ方するんだ。
この音、此処に嵌るんだ。
一人でやってた時と全然違う。
同じ曲を弾いてるのに、そうとは思えない聞こえ方の違い。
「あたたかーにー、なるー♪」
ポン、ポン、
「風を掴み、プロペラ、回して♪」
(あ・・・!まずいです、)
しくじった。
いつもしくじるところその1をあっさりしくじった。
でも丸井は気づいていない。
(丸井君、止まって!止まって下さい、止まって、私今間違えて・・・)
丸井は止まらない。
そもそも丸井は今紫希がしくじったなんて思ってない。知らない。気づいてない。
だから、歌うのを止める理由が見当たらない。
なんとなくトーンが落ちてるのもわかるけど、そういう構成なんだろうとしか思わない。
「今日も進んでくー♪」
(良いんでしょうか・・・・)
良いの?
間違えてるけど。
さっきから色々間違えてるけど。
でも無視して弾いてるけど。
丸井が楽しそうだから。
止めるのは却って嫌かと思って。
(・・・丸井君、楽しそうです、)
その通りだった。
丸井は楽しい。
だって、自分の歌にこんなちゃんとしたハモリついているんだぞ。気分が良いに決まってる。機械音しか出てこないカラオケより贅沢だ。
紫希もそう。
自分のハモリにメロディがちゃんと乗ってるのを今初めて聞いた。
「唇に、メロディーを乗せーて、歌えば♪」
良いんだろうか。
このまま進めて。
楽しいけど。
でも間違ってるけど。
でもーーー
「地平線が、近くなる♪」
楽しいなら。
・・・楽しいなら、良いのか。
「ほらまた、近くなる!」
ポ、ポ、ポン!
と大きめの、ステップを踏み込むような音が丸井の歌声の端を掴んだ。