「はー・・・・・」
この世の天国と言わんばかりの声で、網代は波に揺られて夢心地であった。
「なあ!後で俺も良い?」
「全然良いわよ~。」
網代が借りたのは、幌付きのビニールボートであった。
ああ気持ちいい。
この、日陰の下波に揺られてる感覚。
「・・・・・・」
可憐はそのボートの隣で、浮き輪にぷかぷか捕まりながらちょっとぼんやりしていた。
なんというか。
自分は一も二もなく浮き輪を選んだのに、ここでボートを選ぶあたりが網代って大人っぽいなあ、と思うのである。
そんなお前こんなちっちゃい事で、と自分でも思うが、どうもこういう時網代と居ると劣等感を感じるというか、自分が異様に子供っぽく思えてしまうのである。
こんな事友達に向かっていちいち思うのも変、という気持ちとどうしても振り払えない正直な気持ちがない交ぜな状態でぼんやりしていると、網代のボートの向こう側がぐっと急に凹んだのが見えた。
「・・・しょ。」
「あら、お帰りなさ~い。」
「ただいま。」
ボートに乗り込んだのは、辺りをさっとひと泳ぎしてきた忍足だ。
こういう時ボートは極めて便利。正に海上の拠点。
「岳人、次どないや?」
「お、サンキュ!」
万一の時用のフロートを投げ渡しする忍足。
それから貸してもらったゴーグルも。
「どうだったよ?」
「めっちゃ綺麗やったで。色々居ったし。」
「マジ?よっしゃ、行ってくるぜ!」
そう言ってゴーグルを付けて、浮き輪をゴムボートに繋いでおいて、さて行くか。
と思った時。
「・・・桐生も来る?」
「へっ?」
「まだフロートあるしよ!」
ボートを借りた時点である程度の物なら積み込みが可能になったので、フロートとゴーグルは一応もう1セットあるのだ。
「ううん、私浮き輪で良いよっ!何かちょっと怖いし・・・自分が信用できないっていうか・・・」
「ああ・・・まあ、無理にとは言わねえけど。」
「あら、じゃあ私が行こうかしら。」
「えっ?」
網代は言うが早いか、フロートとゴーグルをさっと手に取ると軽やかに海に飛び込んだ。
「あ、あ、」
「さっ!向日君、勝負よっ!」
「何のだよ?」
「ズバリ、先にニモを見つけた方が勝ち!」
「おし、乗った!」
「そうこなくちゃ♪行くわよー、よーい、ドン!」
可憐が物申す前に、網代と向日は二人して海に潜っていってしまった。
「・・・ニモって居るのかなっ?」
「居ったで。」
「えっ!?本当に居るんだっ!」
「大体の場所は覚えてるさかい、後から行く?」
「良いですっ!事故が起きそうっ!」
「そんな心配せえへんでも。」
そうは言うけど心配なのである。
また足とか攣ったらどうする、この前みたいに。
「で?」
「えっ?」
「何やさっき、2人に言いかけてへんかった?」
「あっ!そうっ!それっ!忍足君にも言いたいことあるんだよっ!」
「俺?」
「そうっ!」
言いながら可憐は。浮き輪を括りつけてボートに上がろうとした。
片やボート、片や浮き輪だとどうしても距離が出るから、大声になってしまう。それを避けるためだ。
「よい・・・・うぇうっ!?」
「っと!」
「ご、ごめんなさいっ!」
あっさり手を滑らせて落下しそうになったが、忍足はさっと引き上げてくれた。
今からちょっとお説教めいた事を言うつもりだったのに、その相手にお世話になってからになるというのも間抜けな話だが。
「ゴホン。ええとね、忍足君っ!」
「はい。」
「忍足君は、もうちょっとぐいぐい行っても良いと思うんだよねっ!」
「うん?」
「ほらっ!折角海だし沖縄なんだしっ!水着を褒めたりとかこう・・・」
「褒めたで。」
「もっとちゃんとっ!」
そう言うと、忍足は眉を下げて苦笑した。
言わんとしてることはわかる。それはわかるのだが。
「気持ちは有り難いけど、俺もある程度はわざとやってんねん。堪忍な。」
「へっ?」
まさかの返事に可憐はキョトン顔になった。
「あくまで俺の持論やねんけど。」
「うんっ。」
「茉奈花ちゃんは、あんまり押してばっかりでもあかんやろなあて気がしてて。」
「えっ!?で、でもっ!茉奈花ちゃんは、」
「分かるで。茉奈花ちゃんて、ちょくちょく「世の男子はもっと情熱的に」みたいな事言うやろ。」
「そうっ!それっ!だから、押した方が良いって・・・」
「でも俺はそれは罠とちゃうかなと思うてんねん。」
「罠っ!?」
「まあ罠て言うたら人聞き悪いねんけど、茉奈花ちゃんて天邪鬼やろ?」
ジリ。
と、幌の下に入れきれていなかった可憐の足先が、急に熱く感じた。
「・・・そう、かな・・・」
「そうやと思うで。まあ可憐ちゃん相手には結構素直やけど、基本俺には手厳しいさかい。」
せやから押し一辺倒もちょっと。つまらんて言われるわ、多分。
そう話し続ける忍足の言葉が、何故だかちょっと遠くて聞き取りづらい。
「可憐ちゃん?」
「・・・・」
「可憐ちゃん。」
「えっ!?あ、うんっ!そっか、そうなんだねっ!そっか・・・」
何だ。
良かった、そうかわざとだったのか。
じゃあ心配要らないな。
心配要らないな。
なんだか、いちいち意見してくれなくて良いからと言われてる気がするが。
いやいやおかしい、誰もそんな事言ってないじゃないか。
言いがかりというか思い込みというか、ここまで来ると最早被害妄想だぞ。いけないいけない。
(どうしたんだろう、私・・・)
何か最近どうもちょくちょく変な気分が不意に顔を覗かせる。
これはいけない。
「・・・・・・」
急にトーンダウンした可憐を見て、忍足はどうしたものかと思考を巡らせる。
こう言っちゃなんだが、可憐は分かりやすい。今何か考え込んでるな、という時はすぐわかる。
ただわかるのはそこまでで、何を考え込んでいるのかまでは分からないから推測するしかないのだが。
(・・・・何や言い方まずかったやろか。)
でもそんな変な事言った気はしないんだけど。
お礼言ってない?でも気持ちは有り難いって言ったぞ。
友達を天邪鬼呼ばわりしたことを怒ったんだろうか。いや、怒ってるなら可憐の性格的にそういうのは良くないと言ってくるだろう。
じゃあ、もしくはーーー
いや、止めよう。
この思考は”自分らしくない”。
「・・・可憐ちゃん、具合悪いん?」
9割違うなとわかっていても、忍足はこう言う。
違うよ、そうじゃなくて・・・と続きを言ってくれるのを期待しているのだ。
でも。
「・・・ううんっ。」
「なら、」
「あっ!私、そろそろ海はいるねっ!熱くなって来ちゃったっ!」
「あ・・・」
呼び止める間もなくさっとビニールボートから浮き輪に入りなおす可憐。
今度は、躓かなかった。