Wet lips 2 - 1/7


昼ご飯を食べて午後になる。

皆各々散会していった中、紫希は一緒に行こうよという紀伊梨の誘いを断り、紙コップジュースを目の前に椅子に座ったままだった。

「はああ・・・」

疲れた。
純粋に、体力的に疲れた。

ちょっと暫くは動けない。

「大丈夫か?」
「あ、桑原君・・・」

ちょっと大丈夫ですとは言い難いなあ、の意味を込めて力なく笑って見せると、桑原も察して苦笑を返してくれた。

「どうだったんだ?練習の方。」
「全然ダメでした・・・」
「ああ・・・そうなのか・・・」
「もう、真田君と柳生君に申し訳なくて・・・」
「いや、それは良いと思うけど・・・そうか。」

真田も柳生も紫希も真面目な性格してるから、見てなかったけどちゃんと練習してたのであろう事は想像がつく。
それでも出来なかったというんだから、それはもう本当に出来なかったのだろう。

「普段の授業とかどうしてるんだ?」
「あ・・・もう、クロールも出来ないのは私だけで、先生も知ってるので。私だけレーンを一つ宛がわれて、練習を・・・」
「そうか。・・・何か、意外だな。」
「え?」
「いや、海が地元だと皆泳げるイメージがあって。」
「そうですね、確かに私以外で25m泳げない同級生は見たことないです。・・・自分ではよく覚えてないんですけど。」
「ん?」
「私、神経質な子供だったんです。今でも子供ですけど、もっと小さい頃。それで、顔に水がかかったりするのが凄く嫌で、泣いてばっかりだったって聞いた事があるんです。」

プールだとかそれ以前に、もう洗顔の時点でそれはもう嫌がったらしい。
小さい頃過ぎて思い出せないけど、そうだったそうだったと盛り上がる両親の顔は今でもよく見かける。

「両親も結構その辺りは甘い方で、こんなに泣いて嫌がってるのに・・・って、良かれと思って水場から結構長い間遠ざけていたらしくて。ですから、確かに海は地元なんですけど、ほぼ海に触れないでずっと過ごしてきて・・・」
「へえ・・・じゃあスイミングスクールとかも、」
「ふふ。話題にもならなかったです。そのせいもあるかなって思います、私が泳げないのは。」

勿論それだけが原因の全てとは言わないが、もっと幼少の折に無理にでもプールや海に放り込まれていたらもうちょっとマシだったのでは?と思う事はある。

「俺も似たようなもんだから、気持ちはわかるぜ。」
「え?」
「俺も水場に近づいた事がそんなにないんだ。プールや海が遠かったしな。」
「ああ・・・じゃあ、小学校に上がってから水泳の授業だと・・・」
「ははは!」

桑原は笑った。

「小学校から、じゃない。」
「え?」
「日本に来てからだ。あっちの小学校じゃ、プールなんてないからな。」
「そうなんですか!?」
「そう。というか、プールがあって授業で水泳がある国なんて欧米でも殆どないぜ?日本が珍しいんだよ。」
「そ、そうなんですか・・・」

知らなかった。
併設プールは普通に世界各国どこの学校でもあるもんだと思っていた。そりゃよっぽど貧しいとか水が貴重な国とかは無理かもしれないが、欧米にもないなんて。

「ブラジルだとそうだな・・・0じゃないけど、私立の学校で幾つかあるだけだな。」
「じゃあ、桑原君が初めてプールに行ったのは・・・」
「ああ、小学校3年生からだ。日本に来て感動したことは色々あるけど、プールも俺には結構衝撃的だったな。」
「そうですよね・・・」
「まあ今は、もう毎年夏にプール行く生活に慣れたけどな。」

想像出来ない。
8つか9つにして初めてプールに触れるってどんな感覚なんだろうか。
なんだか気軽に行けるものとして認識していたプールが、凄く貴重なスポットに見えてきた。

「・・・どうだ?」
「え?」
「いや、そろそろ元気になったんじゃないかと思って。泳ぎにいかないか?」
「あ・・・そう、ですね。はい、もう大丈夫そうです!」

話してる間にいつの間にか疲労は消えていた。

流石に「じゃあ今からまたクロールの練習を!」と言えるほどのエネルギーはもうないが、普通にプールを楽しむくらいならもう出来そうだ。

「あ。なあ、春日?」
「はい?」
「その・・・今回は練習上手くいかなかったみたいだけど、でもあんまり気にするなよ?今日は元々練習の為に来たんじゃないんだしな。」

こういう所、桑原は丸井とは本当に真逆というか反対である。
何かがあった時忘れさせるのが上手いのが丸井なら、気にしなくて良いからと言い募ってくれるのが桑原。

紫希は性格的にはどっちかというと桑原の方に近いので、こういう時こういう事を言ってもらえるととてもホッとする。

「はい、有難うございます。今からはもう、一旦忘れて楽しもうと思います。」
「ああ。その方が良いぜ。あ・・・後。」
「はい。」
「その・・・」
「?」
「・・・ええと、今。」
「はい。」
「ブン太が珍しくじゃんけんで負けたんだ。で、五十嵐のお守り役やってるんだけどな。」
「あ・・・すみません、任せきりにしてしまって。じゃんけんにも参加しないで・・・」
「いや、違う!そうじゃないんだ、そういう事を言いたいんじゃなくて!えー・・・」

何て言えば良いのか桑原は迷った。

だから自分だけでごめん?
いや、謝罪は変。
多分紫希もこんな理由で謝られたら困るだろう。
謝るようなことじゃなくね?って顔をされるに決まってる。

でも気にするなよ?
いやこれも変。
多分気にしてないって言われるし。
何が気にするポイントなのかもわかってもらえなさそうだし。

もう何でもないで切り上げて、何事もなかったかのように流すか。
いやでもそれはちょっと。
自分が気になるというか。
お節介であっても何か伝えておくべきな気がする。

どうしよう。
何を言おう。
どう言おう。

「・・・ええと。」
「はい。」
「多分なんだけどな。もしじゃんけんで負けなかったら、ブン太は今の俺みたく残ってたと思うんだ。」
「はい・・・?」
「いや、だからどうってわけじゃなくて・・・それを踏まえて春日に何かしろとかって言いたいわけじゃないんだ。ただ、知っといてやって欲しくて。」
「知っておく・・・」
「今、居ないからな。」

丸井は多分。
残って待ちたかったんじゃないかと桑原は思うのだ。

実際こうなると出来ないし伝えられないけど、だからといって友人の意思がなくなったもののような扱いになるのは親友としてちょっと嫌というか。

(残ってたと思う・・・)

「どうし・・・あ。」

紫希は両手で口を抑えた。

「?」
「いえ。どうしてでしょうか、って言おうとして・・・桑原君が嘘を言ってるって思ってるわけじゃないんですけど、でも、もしそうなら理由はなんなんだろう、どうしてだろうって思ったんですけど・・・」
「けど?」

「・・・きっと聞いたら、丸井君はまた、なんとなくって言うんじゃないかと思ったんです。」

別に今回の事に限らない。
丸井は大体いつもそう。

あのいつもの明るい笑顔で、あっけらかんとなんとなく?って言うんだろう。

「凄え・・・」

おかしそうに笑ってそう言う紫希に桑原は素で凄いと思った。

あんな風にいつもなんとなくの一言で片づけまくっていて、わが親友ながらいつか困ったことになるんじゃないかと思っていたのだが、なんと困った事どころか「ああいう人だからね」みたいな免罪符みたいな感じになりつつある。
運が強い方とは思っていたがまさかこうなるとは。

「え?」
「あ、悪い!何でも。じゃあ行くか。」
「はい。」
「どこか行きたい所あるか?スライダーとか?」
「あ!す、すみません私スライダーは、ちょっと・・・」
「ああ、そうか!悪い。」