自分以外の3人が集まっているなどと知らない千百合は、クーラーの効いた自室で机に座っていた。
「・・・・・」
目の前にあるのは暑中見舞いである。
幸村宛のーーー幸村宛にする筈だった一枚。
暑中お見舞い申し上げますという定型文が印刷されていて、いつもはそこに一言さらっとコメントだけ書いて適当なタイミングで渡す。
ずっとそんな感じでやってきたのに。
「・・・・・・はあ。」
正直に言おう。
何を書いたら良いのか分からない。
「あーあ・・・・」
千百合は机に凭れ掛かった。
あの日。
プールの日以来、千百合は幸村と一切の接触をしていない。
顔を合わせるのは勿論、電話もメールも、関わりの全てを絶っている。
というか、殊更絶とうとしたというよりは、こっちからもアクションをしないし向こうからもアクションが来ないので、結果的にそうなったという方が正しいのだが。
最初は寧ろラッキーかなと思っていたが、昨日辺りからこれはこれでどうなんだろうかと思い始めてきた。
ずっとこのままなんて無理だし、かといってどうすれば良いのかわからない。そして、時間を置けば置くほど、身動きが取れなくなっていく気がする。
どうしよう。
どうすれば良い。
どうする事を望まれているのか。
それは幸村側にも言える。
今何を考えてるんだろう。
どうして何も言ってこないんだろう。
偶々?今忙しくてそんな暇なくて、それが偶然このタイミングだっただけ?
それとも、幸村も何か思うところがあって、連絡してこないでいるのだろうか。
「・・・・あー。」
肘をつく、を通り越して、完全に突っ伏してしまう千百合。
もうどうしたら良いのか全然見当もつかない。
この暑中見舞い一つにしたってそう。
普段通りに振る舞う振る舞わない以前に、普段通りにしているのが正しい事なのかどうか、そこの判断が先ずついていない。
最早周りに取り繕えていない自覚もある。
紫希にも紀伊梨にも棗にも、それぞれ程度や聞き方は様々だが、どうしたんだどっかおかしいぞみたいな事を聞かれているし、それは当然だと思う。
でもまさか気軽に言えないじゃないか。
キスされかけて辞められて謝られたんだけど、どういう風にしていれば良いのかわかりませんなんて。
「・・・・・・」
そう。
キス、されなかったんだ。
千百合は突き詰めて考えると、何よりその点が一番気になっているのだという事に思い至った。
あの時あの瞬間、キスをされると思って。
そしてそれは大層びっくりしたけれど、不思議かと言われると、正直不思議ではなかった。
幸村は、自分を好きでいてくれてると思っていた。
だから抱きしめたいとか一緒に居たいとか言われても、恥ずかしかったけれど「何故?」と思ったことは一度もなかった。
あの時のキス未遂はその逆だ。
どうしてしなかったんだろう。
自分の事が好きなんじゃなかったのか。
好きならしたいと思うものだろう。
なのに何故止めたの。
どうして謝るの。
あんな切なそうな声で自分の体を離したのは、どうして。
「・・・・・」
顔をちょっと上げて、スマホを引き寄せる。
こういう時、千百合はいつも幸村に助けを求めてきた。
これこれこうで困ってるんだけど、どうしたら良いと思う、なんて。
でも今回はそれは出来ない。
だって、もし。
もしも、したいと思えなかったから辞めたとか言われてしまったら自分はーーーー
コンコン。
「千百合?居る?」
「・・・居る。」
母の声に顔を上げると、顔ではなく手がニュッっと出てきた。
その手にはエコバッグ。
「ちょっとおつかい行ってきてくんない。お金とメモは入ってるし、おつりはあげる。」
「・・・・・・」
「今忙しい?」
「いや・・・・」
忙しくはない。
いや。というか、今のタイミングでお使いを頼まれたのは、何がしかの天啓かもしれない。
「・・・・わかった、行く。」
「サンキュ。」
「ついでにちょっと寄り道したいんだけど。15分くらい。」
「良いよ。何しに行くの。」
「・・・暑中見舞いポスティングしてくる。紫希と・・・精市のとこ。」
ああ、はい。行ってらっしゃい。
母の呑気な声がなんだか遠くに聞こえた。
じりじりじり。
こっちを焼き尽くそうとしてるかのような太陽の下を千百合は歩く。
今は昼過ぎ。
紫希は兎も角、幸村は間違いなく部活中。
家には不在だとわかっているから行ける。正直今は、鉢合わせするかもと思いながら家まで赴く勇気なんて出ない。
「・・・・・」
手の中の暑中見舞い。
紫希の分はさっきもう入れてきた。
後は幸村のところだけ。
ミーンミーンミーンミーンミーン・・・・
蝉の声は今を盛よと言わんばかりに鳴り響いている。
「・・・・・あ。」
まずい。
着いてしまった。
いや、まずくないよ。目指してたんだから。
ああ、やっぱり自分は今まだ混乱してる。もう数日経つのに。
「・・・・・・」
キイ、と音がしてポストが開く。
裏を向けたはがきには、幸村精市様とだけ書かれている。
これを入れる。
どうしよう。
やっぱり辞めようか。いや、もう入れてしまおうか。
この期に及んで若干の迷いが見え出した時、足音が中から聞こえた。
まずい。
「はい、どちらさま・・・・あら?」
中から出てきた老婦人ーーー幸村の祖母の永子は目を丸くした。
誰も居ない。
確かにさっき、すりガラスの向こうに人が立っていたシルエットが見えたのに。
「・・・・?悪戯かしらねえ。」
「あら、お義母様?どうかしまして?」
「沙知花さん。いえね、さっき玄関に誰か居た気がしたんだけど、居なかったの。」
「そうなんですか。チラシのポスティングか何かかもしれないですわ。」
「あらまあ。それなら、ポストに何か入ってる筈ねえ。」
「お義母様、私が、」
「いえいえ良いのよ。いくら隠居した身とはいえ、これくらいはしないとね。」
永子の皺のある手によって、入れられたばかりの暑中見舞いがポストから出されるまで後数分。