誰のフォローも無しでやり取りし始める2人を、紀伊梨はご満悦で眺めていた。
「うーん!やっぱり紫希ぴょんのお菓子は働き者ですなあ!」
「ねー。」
「お菓子が働き者?」
丸井がゼリーを口に入れたまま聞いた。
早くもなくなりかけである。
「聞いた事無い?千百合と紀伊梨って、小さい頃は喧嘩三昧だったんだよ。」
「いやー、ワカメのいたりというやつでして?」
「ワカメのいたり?」
「桑原、若気の至りだ。五十嵐の日本語はいい加減だから、あまり手本にしない方が良い。」
「にゃにおう!?」
「喧嘩ばっかりだったのはさっき幸村に聞いたぜよ。」
「あ、そう?まあそんな感じだったんだけど、ほら紫希ってああいう性格じゃん?
放っておくに放っておけなくて、いっつも紀伊梨と千百合の間でおろおろしててさ。そんで最後には我慢できなくなっちゃって、お母さんに泣きついたらしいんだよね。」
お母さん。
紀伊梨ちゃんと千百合ちゃんが喧嘩ばっかりです。
2人ともお互いが大好きなのに、どうして仲良く出来ないんでしょうか。
私、どうしたら良いんでしょうか。
「で、それに対する春日母の返事がこれ。」
棗はゼリーのカップを指先でくるくる回した。
「これ?」
「『美味しいものを食べながら喧嘩出来る人なんて居ない』っていうのが春日家の持論なんだって。」
それからの紫希の行動は早かった。
クッキーやパウンドケーキといった初心者向けお菓子を何度となく練習し、味が安定してきた頃に紫希は人数分の手紙を書いた。
「私今でも持ってるよー!お菓子パーティーの招待状!宝箱に入れてあるのー!」
「俺も持ってる。引き出しにあるわ。」
「美味しかったなー!苺とホワイトチョコのクッキーでしょ?ブラウニーと、フルーツパウンドと、」
「そういう事は物覚えが良いんじゃな。」
「えっへん!」
「褒めてないぞ・・・」
「まあまあ、兎に角そういう次第でね。これがまあ、効果抜群だったんだ。」
美味しい物は人の心をポジティブにする。
緊張を解く。
余計な言葉の代わりに、何時もなら言えない言葉を引き出してくれる。
そこまで出来れば、後は簡単。
だって、紀伊梨も千百合もお互いに仲良くやりたいと思っていたのだから。
「成程、働き者というわけだな。」
「そ。今日も良い仕事してるよ。」
「頼りになるよねー!凄いよ紫希ぴょ・・・紫希ぴょん?」
「隠れとるぜよ。」
「春日、真田じゃないけれど、胸を張れば良いと思うよ?」
「出来ません・・・!」
紫希は幸村の影に縮こまっていた。
「紫希ぴょん褒められるの嫌ー?」
「褒められるような大層な事じゃないですから、」
「そんな事ないよー!ほらほら、そんな後ろに居ないでもっとこっちにいらっしゃいな☆」
「わ、わ、」
「こっちもこっちで凸凹コンビじゃのう。」
「俺達違うタイプの集まりだからねw」
「・・・・・・」
丸井はスプーンを咥えたまま、手に持ってる空のカップを見ていた。
美味しい物を食べながら喧嘩は出来ない。
それは真理だけど、やれと言われておいそれと出来る事じゃない。
丸井だって食い意地が高じてご飯だのお菓子だの作るからそれは分かる。
自分の舌を満足させるのは兎も角、人の舌を満足させるのは別種の難しさがあるのだ。まして何回も何回も練習して、成果を上げたとなれば単にスキルの問題だけでもあるまい。
紫希のお菓子を食べる度に薄々感じていた事だけど。
(・・・大好きなんだな。)
皆の事が。
今の日常が。
「ブン太?」
「・・・ん?え、何?」
「いや、ボーっとしてるから。」
「食べ足りんのか?」
「違えよ。」
「違うの!?じゃあ後1個ある奴私が「それはじゃんけんだろい。」なんでー!?」
「というか、幸村。言おう言おうと思っていたのだが。」
「うん?なんだい柳?」
「いい加減手を付けたらどうだ。」
もう皆食べ終わっている中、幸村はただ一人、ゼリーを食べないで後生大事に持っていた。
「だって勿体なくないかい?」
「幸村君、お気持ちは分かりますけれど、作った側としては食べて貰えないと言うのは不安を煽るので、千百合ちゃんの為にも食べてあげて下さい。」
「食べると無くなるんだよ・・・?」
「そりゃあそうだろ・・・」
幸村は千百合が絡むと、どうもしばしばボケキャラになってしまう。
その事をテニス部メンバーは漸く感づき始めた。
「幸村、黒崎千百合はお前の為に作ったのだぞ。それを食べないと言うのは、逆に無礼に当たる行為だろう。」
「おお、真田が黒崎の側に立っとるぜよ。」
「つくづくすげえゼリーだろい。」
「でしょ?でしょ?」
「違います、止めて下さい、違います。」
「真田、分かってるんだよ。でも、これにスプーンを入れろって言われると、どうしても手が止まってしまって。」
「あんたバレンタインの時もそんな事言ってたでしょ。」
「そうだけど・・・じゃあせめて家に持って帰らせてくれないかな。それならじっくり味わって食べられるから・・・」
「駄目だよゆっきー!前の前のバレンタインと同じ事になったらどーすんの!?」
「・・・・!」
雷に打たれたような顔で幸村はゼリーカップをギュッと握った。
「前の前のバレンタインとはなんだ?」
「あ、松(ときわ)ちゃん・・・ええと、幸村君、妹さんがいらっしゃるんですけど。」
「間違って食べられちゃったのよ、チョコw」
「それはなんというか・・・」
「気の毒としか言いようがないな。」
妹は可愛い。
幸村は常日頃そう思っているが、あの時の衝撃は未だに覚えている。
あんな目に再び遭うなんて、ご免だ。
「それなら尚更今食べねばならんだろう。」
「でも・・・・」
「・・・なんなら又作るから。」
「本当に?」
「本当に。」
こんな子供みたいな事言い出す幸村も、テニス部メンバーは見た事が無かったが、
千百合達4人にとってはちょくちょくある事ではある。
「・・・分かった。じゃあ今貰うよ。」
「そうして。」
蓋を開けると、オレンジの良い匂いがする。
(綺麗・・・)
夕日を浴びてキラキラ光るそれが自分の両手の中に納まっている光景を見ると、幸村はもうそれだけで胸がほかほかしてきた。
「よう食べる前からあんな甘ったるい顔が出来るの。」
「おい、あの程度で甘ったるいとか言ってたら身が保たんぞw」
「甘い顔?ゆっきーの顔甘いの?」
「おい・・・一応言っておくけど味覚の話じゃないぞ?」
「ああいう、恋していますと書いてあるような顔を甘い顔と言う。」
「へー!」
「幸せそうで良いですよね。」
「む・・・確かに幸せそうではあるが・・・」
「胸やけしそうだろい。」
言いたい放題言われているが、今の幸村にとっては心の底からどうでも良い事である。
「綺麗だね。」
「そう・・・」
「じゃあ、頂きます。」
(もう嫌・・・!)
千百合は逃げ出したくなるのを必死で堪えていた。
恥かしいから、頼むから早く食べて欲しい。
しかしその反面、感想が怖いから食べないで欲しい。
自分が真田と話してる間にでもさくさく食べてくれれば良かったのに、
あんな大事そうに何時までも置いといて。
さっさと食えと願う千百合の思いとは裏腹に、幸村はそれはゆっくりした動作で食べだした。
スプーンをそろっと入れて、一口分掬って、目の前迄持って来てもそれはキラキラしていた。
綺麗。
美味しそう。
こんなに綺麗なのは多分作ってくれた千百合が綺麗だからだ。
「あんたは何を言ってんの!」
「え?」
「幸村君、口に出てます、口に。」
「おっと。」
いけないいけない。
食べようとして口を開くと、思ってる事がつい口をついて出て来てしまう。
今度こそ気をつけて、スプーンを口に。
(頂き、ます)
ぶわ。
と口に広がるオレンジの味。
例えば、これが紫希の作ったものだったら。
この舌触りは寒天だなとか、ちょっと酸っぱいとか丁度良い甘さとか、そういう事を考えながら食べる。
でも今は、そんな事全然頭に登らない。
ただ。
ただひたすら。
「・・・美味しい。」
他の感想が出てこない。
美味しい。
もう一口頂く。
やっぱり美味しい。
甘さがとか酸っぱさがとかそういう話じゃない。
美味しい。
「美味しい・・・」
「・・・本当に?」
「本当だよ、美味しい。今迄食べたゼリーの中で、1番美味しい。」
「・・・また大袈裟な事言うんだから。」
「大袈裟じゃないよ。」
だってこのゼリーは、世界で1番好きな人が自分の為だけに作ってくれたものなのだ。
美味しくないわけがない。
もう一口食べてもほら。
「美味しい。」
幸村は幸せに浸りながらゼリーを食べるのだった。