こうして話は纏まった。
その後、19時30分になった頃だったろうか。小鳥遊が、小口が買ってきたジュースやつまみ類を見て、一足早く晩酌を開始したいと言い出し、一同はちょっと早めに小鳥遊の部屋に移動した。
そして、後数分で20時になるという時間になる。
「・・・じゃ、私そろそろ移動する。」
「お!行ってらっしゃーい!」
「行ってらっしゃい、千百合ちゃん。」
「んあ?移動?千百合ちゃん、どっかに行くんだっけ?」
「もう酔い回ってんじゃないすかw早くねw」
部屋に移動してすぐ、酒を飲み始めた小鳥遊はもうべろべろであった。
今が夏で良かった。この酒の量で窓開けちゃいけないとかしんど過ぎる。
「俺ついでに外行って、今の内バスタオル取って来よっかねw」
「あ!じゃあ紀伊梨ちゃんも行くー!紫希ぴょんと千百合っちの分も取って来るかんね!」
「あ、良いんですよ私が、」
「お前は此処に居ろw紀伊梨と酔っ払い二人きりとか怖くて仕方がないわw」
「っていうか、私が言えた義理じゃないかもしれないけど、あんたらも早く帰って来なさいよ。」
「わかってますってw」
「ほーい!」
「紫希も、何かあったら隣なんだから、叫ぶなり壁ドンなりしなよ。助けに行くし。」
「だ、大丈夫ですよ、多分・・・」
「甘いぞw酔っ払いを舐めるなよw特にこの酔い方は多分、絡み酒だw」
「が、頑張ります・・・」
「絡み?」
「ほら、あんたは行くならさっさと行くの。」
こうして、5人は一度3つのグループに別れる事になった。
「はあ・・・・」
部屋に戻った千百合は、後ろ手に扉を閉めてスマホを取り出した。
19時、58分。
(後2分・・・)
20時くらいに、と幸村は連絡してきていたが、性格上20時ぴったりに電話してくるだろう。
つまり、この2分は心の準備をする最後の2分だが。
「・・・・・・」
千百合はもう何も考えない。
確かにどういう話になるかちょっと怖いけど、ここ最近で怯えるのに慣れてきてしまった。
・・・・♪♪♪
発信者幸村精市。
来た。
「・・・・もしもし。」
『もしもし、こんばんは。』
体の中心から、何かが全身に広がった感覚がした。
自分に向けた幸村の声だ。本当に久しぶり。
「・・・お疲れ。」
『そっちこそ、お疲れさま。どうだい?合宿は順調?』
「うんまあ、普通に。」
『そう、なら良かったよ。ごめんね、昨日は引き留めてしまって。』
「引き留め?」
『ほら、横断歩道で。俺じゃないけど、弦一郎が呼び止めてしまっただろう?』
と。いう事は。
「・・・精市、あれが私だってわかってたの。いや、ちょっと、そうかもとは思ったけどさ。」
『ふふふっ!分かったよ。信号待ちをしてる時から、そうかなって思ってた。』
「え、待って。そこは聞いときたいんだけど、なんで?どこ見て私かもって思ったの?」
『3割は靴かな。』
「靴・・・あー。」
そう。
千百合達は衣装チェンジをしたが、靴だけは取り替えなかったのだ。
こればっかりは服と違って、慣れないものを使うと足を痛めかねない。
おまけにサイズがちょっと違うと、途端に足は痛み出す。だから、ここだけは普段通りで居るしかなかった。
『それから、もう3割はスマートフォン。』
「?」
『千百合、カバーをしていなかっただろう?』
「それはそうだけど、カバーなしの人なんて幾らでも居るくない?」
『それは沢山居るだろうけど、五十嵐みたいな恰好をして着飾ってて、なのにスマホの見た目には拘らない人なんて、かなり珍しいよ。』
「・・・確かに。」
言われてみればなるほど納得。何故気が付かなかったんだろうと疑問に思うが、言われて初めてわかる現象とは得てしてそんなものだ。
「後の4割は?」
『・・・その前に、話を変えても良いかな?』
「?」
『今日話したかったのは、別の事だから。』
きた。
いや、まだそれと決まったわけじゃないけど。
いやでも、十中八九それだろう。
「・・・良いよ。」
千百合が小さく言うと、幸村が電話の向こうで息を吸う音が聞こえた。
『ごめん。本当に悪かったと思ってる。』
ごめん。
ごめんとは。
千百合の、スマホを持つ手に少し力が入った。
「・・・それは、何に対するごめんなわけ。」
『この間、プールに行った日の帰りの事についてだよ。』
「それはわかってるの。もうちょっと細かく言って。」
例えばそれは、寸前で臆病風に吹かれて(そんな事ほぼあり得ないと分かっているけど)、驚かせてごめんだとかいう話なのか。
ほんの悪戯のつもり(これも極めて確率低いけど)だったけど、千百合側が本気でびっくりした顔をしていたから、真に受けちゃったならごめんとかいう話か。
それとも。
土壇場になって、急にそんな相手として見られなくなったのか。
「・・・・・」
手に更に力が入る。
でも、聞かなきゃいけない。
というか、もう嫌だと言ってもどうしようもない。その為の電話だ。
「・・・具体的に言って。何に対して謝らないといけないと思ってるの。」
『・・・我を忘れて、千百合に暴力を振るいそうになった事に対してだよ。』
千百合は俯いていた顔を上げた。
「・・・え、何て?」
『暴力を振るいそうになった事に対して。ごめんね、本当に。我ながら、そこまで衝動で動くような性格じゃないと思っていたんだけどーーーー』
「違う。ちょっと待って。ちょっと。ステイ。話止めて。考えさせて。」
『?良いけど・・・』
「・・・・・・」
千百合は片手で頭を抱えた。
どういう事だろうこれは。
思ってもみなかった方向に話が転がっていったのはわかるけど。
『・・・・・千百合。』
「何・・・」
『・・・本当にごめん。どれだけ謝っても謝り足りないし、許せないのは百も承知だけど、』
「だから話進めないで。ストップして。というか・・・え?何?」
まて、順番に聞かないと。
「・・・そもそも、暴力って何?」
『・・・?暴力は、暴力だよ。』
「え、精市私の事、殴ったり蹴ったりしようとしてたわけ?」
『まさか!そんな事絶対にしないよ。誓ってしない、どんな事があったって。』
「じゃあ、暴力ってどの部分よ。何しようとしてたわけ。」
『だから、キスをしかけただろう?』
は、と小さな息が千百合の口から出た。
「・・・暴力?」
『そうだよ。同意のない唇へのキスは、立派な暴力だから。』
同意のないキスは。
暴力だから。
だから寸前で辞めて、もうしませんごめんなさいと謝っているのか、電話の向こうの男は。
「・・・・馬鹿かよ!」
『うん、馬鹿だったと思う。だからーーー』
「そういう意味じゃないわ!馬鹿!あのねえ、あのーーーーーあああくそ!」
なんだろう、この気持。
怒ってるんじゃない。悲しいんじゃない。
そう、ただただーーー悔しくて。
だってこれ、あれだろ。要するに、解決しようと思うなら、それだろ。
「・・・・・あのね!」
『うん。』
「・・・何か最早もう、何から突っ込んだら良いのかわかんないけど。」
『うん。』
本当に。
もう何から言えばいいのか分からない。
順番に細かく言えば良いのか。嫌だ。でもちゃんと言っておくべきことは言っておかないと、同じような事が起きるかもしれないし。
それは細かく言うよりもっと嫌だ。
こんな事、二度も三度もされて堪るかよ。
「・・・兎に角、もう二度とこんな事しないで。」
『うん、勿論。』
「勘違いしてるでしょ。私は、やりかけて止めるみたいな事をもうするなって言ってるの。」
『え?』
「私は、あれは暴力にカウントしないの。というか・・・」
『・・・というか?』
「・・・・・私。」
『うん。』
「・・・・・・」
『・・・?』
言えない。
幸村からされる事は全部暴力にカウントしないから、と言いたいけど言えない。
だってそれはつまり、所謂「私貴方になら何されても良いわ」宣言なのであって。
更にもっと言うと、この流れでのその発言は「何されても良いわ」を通り越して、「寧ろして下さい」宣言にまでなってるような気さえする。
流石にそこまでの勇気はない。
「・・・いや、いいや。取り敢えず、そこはわかって。」
『・・・・ごめん、少し待ってね。』
「待たないから。深く考えなくて良いから、うんって言え。」
長い付き合いだから、幸村が何考えてるかなんて大体わかる。
言われた事がわからないわけじゃなくて、千百合の言葉から千百合の真意をーーーまあ要するに、別にしても良いですからと言ってるのと同じだという点について、深く考えようとしているのだ。しなくて良い、そんな事。
「・・・後まあ、勢い任せにもう一つ言っておくけど。」
『うん?』
「こういう事は、もう今後しないでね。さっきも言ったけど。私怖いからこういうの。」
『怖いっていうのは、』
「何かをいきなりされる事じゃなくて。されかけて辞められるのが怖いって言ってるの。こっちはとうとう、愛想つかされたのかと思ったわ。」
『まさか。そんな事絶対にないよ、どうしてそんなーーー』
「普通はそうなの。ああいう時に引っ込まれると、キスもしたくないような存在に成り下がってるのかと思うもんなの。」
『・・・・・・・』
「精市は普通じゃないからそうは思わないのかもしれないけど、生憎私は普通なの。その辺。」
ここまで聞けば、千百合も分かっている。幸村が何を考えていたかなんて。
幸村は、ちゃんと付き合う前から既にそうだった。
兎に角千百合を傷つけまいと心に固く誓っていて。守ろう守ろう、悲しみを齎すものは全て遠くに退けようとしていて。
それでも、その害なすものの中にまさか自分を入れる事なんてあるまいと思っていたのだが、どうやらそうじゃなかったらしい。
「わかったら、もうしないで。」
『・・・うん。ごめんね。』
「今度のそれは何の謝罪。」
『色々。疑わせてしまった事とか、そもそもこんな話をさせてしまった事とか。それに、時間がない事も。』
「時間?」
『本当は、面と向かって直接謝りたかったんだ。ただ、どうしても時間がちゃんと取れなくて。慌ただしい中で時間に追われて、話を急ぐような真似もしたくなかったから。』
「ああ、まあね。目と鼻の先だもんね、お互いに。」
今から一週間経たない内に、フェス。
その僅か3日後に、全国開始。
こんな土壇場になってこんなトラブルが起きるなんて、双方思っていなかった。
いやまあ、結果的にはトラブルとも呼べないほどの行き違いだったけど。
「・・・ふふっ。」
『うん?』
「いや、ちょっと何か面白くて。」
『何が?』
「まあ今解決したから言えるんだけど、精市らしくないじゃん。こんな大舞台の直前になって、こういう手抜かりをするのって。」
『・・・・・』
「・・・精市?」
『千百合。』
「ん?」
『君が好きだよ。』
ある意味、いつものセリフだ。
色んな場面で何度も言われて、最近やっと恥ずかしいながらもちょっと慣れてきたかと思った言葉。
でも今は、その響きにとても安堵感を覚える。
良かった。本当に良かった。
流石にいきなり別れ話とかまでいく可能性は低いとは思っていたけど、大丈夫と太鼓判を押された気がした。
お世辞にも可愛い恋人とは言えない自覚がある自分だから。
『こんな事、今の俺から言われても信じられないかもしれないけれど、これは本当だ。千百合が好きだし、これからも恋人で居て欲しい。』
「・・・うん。」
『誤解をさせてしまった事は本当に悪かったと思ってるけれど、そんなつもりじゃなかったんだ。嘘みたいに聞こえるかもしれないけど、千百合が好きで大切だから、ああしたーーーーあれが最善だと思ってたんだ。勿論、もうしないけど。』
「うん・・・・」
ああ。
ああ。
「・・・・・・・」
『・・・千百合?』
「・・・・何でもない。続けて。」
今、どこに居るの。
たったそれだけの事が聞けない。
会いたい。
今、目の前で続きを聞かせて欲しい。
その気になればいつでも顔を見て、手を繋げる距離に居たい。
こんなに近くなのに。
同じ建物の中に居るってお互い分かってるのに、どうしてもそれは出来ない。
部屋番号を仮に知ったって、会いには行けないし会いに来れもしない。
その気になれば行けるんだから行けば良いのに。
ともしかしたら言う人が居るかもしれないけど、千百合は知っている。
幸村は絶対にそれをしない。そういう幸村だから千百合は信じているし、好きになったんだから。
でもこういう時は、どうしようもなく会いたくなる。
いざ本当に来たら来たで、手放しには喜べなくなるくせに。
『さっきの話。』
「さっき?」
『千百合の変装がわかった時の話だよ。3割が靴で、3割がスマホのカバーだって言っただろう?』
「ああ。」
『さっきは言う資格もないかもと思って言えなかったけど、残りの4割は千百合が好きだからなんだ。』
「・・・は?」
『合宿地が一緒なのも、行動範囲が一緒なのも知っていたからね。だからああやってコートから出ている時に、同い年くらいの女子を見かけると、千百合じゃないかなって確かめてしまうんだ。』
普通にホテルの中や、町中の移動中に、同い年くらいの女子を見かけることはある。
その度に千百合じゃないかと一瞬思って、顔を見てああ違ったと確かめて。それの繰り返しを無意識の内にしてしまっていた幸村には、靴とスマホがそのままの千百合を見分けるなんて、さしたる労力ではなかった。
「精市・・・・・」
『今は会えないけど。でも今度会った時は、もっとちゃんと謝らせて欲しい。したい話も沢山あるし。それまではこうして電話でいくら話しても、俺はちゃんと解決しきったとは思えないから。』
「それ、いつ?」
『うん?そう・・・そうだね俺も練習があるし、千百合も忙しいだろうから、少なくとも全国の後ーーー』
「フェスの日が良い。」
『え?』
「来るんでしょ?」
かなりギリギリになるけど、間に合うとは聞いているから、ビードロズはテニス部のいつものメンバー全員に前売りを渡している。
だから会える筈だ。幸村一人だけ来るわけじゃないから、2人だけの時間はそんなに言うほど取れなくても。
もう我慢できない。
いい加減うんざりだ、この問題に振り回されて距離を取られるのは。
「それで良い。」
『千百合、』
「もうお終いにしたいの、さっさと。そんで元に戻りたいの。連絡一つまともに出来なかったんだから。後暑中見舞い返して。」
『暑中見舞い?』
「書いて出すから。」
電話の向こうで幸村が笑った。
その笑い方がいつもよりほんの少し遠慮がちで、未だに「自分は笑える立場にない」とちょっと思っている事が伺えた。
でも、もう良い。
もう良いんだ、もう。
時間が勿体ないのは、千百合だって同じだ。
(決ーめた。もう知らない。)
あんまり勢いに任せてとかそういう事はしないんだけど、もう良い。
今なら、感情に任せて何でも出来そうな気がする。
ノーミスで演奏を終えられたら、ご褒美のキスをねだってやろうと千百合は今決めた。