「ほっ、ほっ、ほっ、」
紀伊梨は走っていた。
棗とはもうとっくのとうに別れた。
取りあえずテニス部の居るフロアは避ける事、それから自分達のフロアも避ける事。
そこ以外のどこかへ行け、と言われたので今は階段を通って自室の一個下でも目指そうかという所。
「なーな、はーち・・・9はもいっこ上かー。」
棗は別れる直前、「奥の手」を使うと言って別れた。
取り敢えず時間まで逃げおおせれば良いから、それまでどこかに隠れるなりなんなりして、時間を稼げという事だった。
「えっほ、えっほ・・・あ!あった、9!」
紀伊梨は9階まで上ると、ドアの前に凭れ掛かった。
昔棗に教えてもらった、屋内鬼ごっこのコツ。
止まって休憩するなら扉付近でやる事。
こうする事で、敵がどっちから来てもすぐ逃げられる。
扉一枚挟む事で、相手の足止めにもなる。
はあやれやれ。
鬼ごっこは好きだけど、こういう義務感溢れるのは苦手だ。
カツン。
「!」
来た。
誰か。
(え、どーしよ?下から来るよね?)
ちょっと覗こうか。それとも辞めた方が良いか。
自分はグラサンとかかけてないから、相手が上を見上げたらばっちり顔を見られて一発KO。
「・・・・・・・」
ちょっと耳を澄ませて見たが、話し声は聞こえない。足音のみ。
ダメだ、耳で相手が追手かそうでないかの区別は無理。
(・・・よしゃ!一瞬だけ見ちゃお!一瞬ね、一瞬!)
サッと行って、また戻れば良いのだ。幸い視力は良いし。
と、思って紀伊梨は少し進んで、手すりの隙間から下を見る。
「・・・・!」
黄色いジャージ。
間違いないあっちは敵だ。
紀伊梨は扉を開けた。このままこのフロアに避難して・・・
「・・・・・・・!」
開けた先にも黄色いジャージが立っていて、紀伊梨は心臓が止まりそうになった。
「・・・おや?」
「風呂にも入らないで散歩か、柳生?」
紀伊梨が凭れ掛かっていた9階の扉を開けて、追手・・・柳生がフロアに入ると、扉の向こう側に副部長の東雲が立っていた。そしてその後ろに、何やら電話している柳が立っている。
柳生は驚いた顔をしたが、すぐに小さくため息を吐き、苦笑いで両手を軽く上げた。
「・・・私は、今この場で何をどれだけ聞けるので?」
「残念だが、少なくとも合宿が終わるまでは教えられない。テニス部の方針として、外部に迷惑をかけるわけにはいかないからな。」
その返しに柳生は一瞬、本気で驚いたように唖然とした。
「・・・どういう事ですか?」
「まあ、また後でな。」
「わかった。では、後でな。」
「柳、電話は終わったか?なら引き続きパトロールを頼む。俺は柳生を連れ戻す。」
「はい、お願いします。それからあちらは?」
「ああ、佐川はもう仁王を捕まえてるようだ。」
「ですか。」
「佐川部長まで噛んでいらっしゃるんですか。」
「噛むような事態なんだって知っといてくれ。」
柳生の背を押すように副部長の東雲が去っていき、その場に残った柳は静かに逆方向の柱の影を覗き込んだ。
「もう良いぞ。」
「・・・ふいいぃぃぃぃ~~~~~。」
紀伊梨はその場に崩れ落ちた。
「大丈夫か?」
「ちかれたよ~!紀伊梨ちゃんこういうの苦手ー!」
扉の向こうにいたのは、東雲と柳だった。
棗の奥の手というのは何のことはない、事情を知ってる三強+部長、副部長に手を貸して貰うというプランだった。
こうする事で匿ってもらうどころか、追ってくる人間を排除にかかれる。
特に仁王のような手合いは、この辺の人間に止められないと言うことを聞かないので、非常に助かる。
「もー、もーちょっとでびっくりして叫んじゃう所だったおー。」
「・・・すまない、悪かった。」
「およ?そこまで一生けんめー謝んなくても・・・」
「そうじゃない。この件もそうだが、それ以上に、そもそもの話をするなら俺が元凶のようなものだ。」
どうしてもしょうがなかったとはいえ、合宿地をわざわざ被せてしまった事に柳は自責の念を抱いていた。
部長も副部長も、勿論幸村も真田も誰も一切責めてこないけど。
それどころか、お前は悪くないんだからそんなに気に病むなと気遣いまでされているけど、こうしてトラブルになるとどうしても、本当に他に手はなかったのかと自問自答してしまう。
「えー?なんでー?」
「そもそも、代わりの合宿地を此処に勧めたのは俺なんだ。お前達が居ると知っていながらな。」
「それなっちんから聞いたけどー。でも他に合宿出来るとこ無かったんっしょー?」
「それとこれとは関係ない。お前達がこうして迷惑しているのは事実であって、」
「それとこれと関係ばっちりじゃん!此処に来れなかったら、今度はテニス部がちゃんと合宿出来なくなっちゃうんだからさー!」
紀伊梨達は確かにテニス部じゃないけれど、テニス部の面々がどれだけテニスに心血を注いでるのかくらいは流石にわかる。
もし合宿で満足いく環境が得られなかったら、皆がどんなに悔しい思いをするか。
それなら多少不便であっても、こっちが我慢した方が良い。わざわざメンバーに確認を取らなくたって、そんなの全員一致だ。
「紀伊梨ちゃん達も、変装はしてるけどちゃんとれんしゅー出来てるしさー!だいじょびだいじょび!全然平気だってー!」
「・・・・・・・」
「お外出られないのはちょっと嫌だけどー。あ!でもでも、昨日は皆でパジャマパーティーしたんだお!千百合っちもさー、いっつもやる気ないのに、昨日はお外出られないからってちゃんと参加してくれたし!ぶいぶい!」
「・・・・そうか、有難う。」
「うーうん!」
柳はこういう時、本当に得難い友達を持ったと思う。
純粋な友情だけではない。自分達は何をおいてもテニスを優先せねばならないのだという事を、良しとしてくれる事。テニス部に対しての理解を示してくれる事が、何よりも有り難い。
「そうだ、五十嵐。」
「ん?」
「幸村や真田とも話していたんだが、今度お礼というか、詫びをさせて欲しいんだ。」
「わび・・・?」
「不便を強いてしまったからな。気にしなくて良いとお前達は言うが、これは俺達からというより、テニス部からとして何かさせてくれないか。」
「何か・・・何か?」
「あまり金銭の濃く絡む事は出来ないが、4人に食事を奢るくらいなら出来る。それから・・・そうだな例えば、ライブの準備の手伝いや、何か人手の要る事なんか・・・」
「あ!じゃあじゃあ、やって欲しい事ありまーす!」
「?」
「お泊り会!やろーよ、やろー!」
お泊り会。
この話は関東大会の時に出たが、結局お流れになっている。
「夏休みのどっかでやろうよー!ねー、良いでしょー?」
「しかし、スケジュールがーーー」
「いや、俺からもお願いw」
「あ、なっちんだー!」
柱の陰から棗がひょっこり顔を出した。
上手く逃げおおせていたらしい。まあ棗がこういう時に捕まるというのは想像し辛いけど。
「黒崎、無事だったか。」
「まあ何とかねw」
「・・・それは、自前の服か?」
「クラスメイトに借りたのw良いでしょアメカジw普段着ないし、俺だとは思うまいw」
確かに思わないけど、ニットとグラサンまで合わせた状態でホテルうろついてると、完全に不審者だぞ。
と思ったけど柳は言わないでおいた。人除けという意味では有効かもしれないし。
「ねーねーなっちん、お泊り会出来るのー!?」
「出来るよw」
「いつする気だ。」
「え、わからないのw要は泊まれば良いんだよ、平気でしょw」
「しかし俺達は朝から練習がーーーー」
「あるでしょ、全国に差しさわりなく、且つ朝のんびりしてる日がw一日だけw」
「・・・・ああ。」
わかった。
いや、しかしだな。
「・・・親の許可は、自分で取って来いという事か。」
「詫びでしょw出来るでしょw出来ないとは言わせないw」
「え、何々!?いついつ!?」
「お前はいつより、会場の準備を気にしなっせwそこそこ非常識な橋を渡るぜw」
「え、嘘!?えー、紀伊梨ちゃん家大丈夫かなー?」
久しぶりに帽子を脱いで、紀伊梨と棗は自室のフロアへとのんびり歩く。