「ふう・・・・」
可憐はため息を吐いた。
スコアを書き終わった。
夕日に照らされている顔は暑い筈なのに、さほど暑いと感じないのは、やっぱり感じるだけの心の余裕がないからだろう。
「・・・・・」
スマホを見る。
意味もなく、LINEのアイコンに目が行く。
違うって言うてたわ!
謙也からの一報にはそう書かれていた。
でもじゃあ逆にあの近さは何だったんだろう。
可憐が抱いた疑問はどうやら謙也も抱いたらしく、それも聞いてくれたらしいのだが、それはまあ色々で躱されたらしい。
口だと自分の分が悪いごめんね、と謝ってくる謙也に、可憐はなんと言えば良いのかそれすらもわからなかった。
良いんだよ。
有難う。
ごめんね。
全てが場違いである。
忍足と網代の間の話に、可憐はこれっぽっちも関係のない、ただの外野なのだから。
「・・・・・っ、」
じわっと視界が滲んできて、目にゴミが入ったふりをして袖で拭った。
可憐は今、あまりに忙しすぎた。
マネージャーとして、全国を目前にそれに集中すべきなのに。
なのに頭は勝手に違うことを考え、勝手に辛い気持ちになり、勝手に泣き始める。
数日で解決するわけがないとはわかっていたが、解決どころかマシになる気配すらない。
ちょっと考えれば、そんな事当たり前でしかなかったのだ。だってーーーー
「可憐ちゃん。」
肩がびくついた。
心臓が締め付けられる。
まともに顔が見られない。
もう声も聞きたくないし、気配も感じたくない。
関わると辛いだけと分かっているのに、避けきることも出来ない。
同じ部活とはそういう事だ。
「あんなーーーー」
「ごめん、今ちょっと時間がないの!」
そう言って足早に立ち去りながら、涙があふれてきた。
もう部活は終わってるとはいえ片付け中で、周りにはまだ部員が沢山うろついているのに。
泣いてる場合じゃないのに、涙が出てきて止まらない。
我ながら自分が馬鹿すぎて。
顔を見たくないから避けているのに、今みたく自分で離れるとそれも辛い。
本当は好きだから一緒に居たいのにそれが出来なくて、自分で自分を虐めるような真似をして一体何をやってるんだろうと思うと、更に傷つく。
せめてこれだけは、と思って最近可憐は、忍足だけでなく部活の友人を全員避けていた。
忍足だけを避けると、忍足との間にトラブルがありましたと喧伝するようなものだから。
それは選手である忍足に良くないし、何よりーーー自分の本意に誰にも気づかれたくなかった。
何か、何でも良いから他の理由に思っていて欲しかった。
だってもし、もしも自分も忍足を好きなことがばれてみろ。いや、バレるまで行かなくても勘づかれでもしてみろ。
部の雰囲気がとか、それはまあ良い。こういう時は大所帯である事が良い方向に働いて、これしきの事で部全体の士気には関わらない。
それよりもだ。
それを勘づく人というのはつまり、忍足と網代の事も薄々勘づくであろう、というのが何より辛い。
勘づいた人が居たとしたら、その人はそれと同時に網代の事を思い出し、可憐が敗者である事を瞬時に悟ってああ・・・という心境になるだろう。
少なくとも自分ならそう思う。それは仕方のないこと。
仕方ないけど、でもーーーそんなの、あんまり惨めじゃないか。
ただでさえ色んな事がいちいち網代に劣っているのに、こんな事までわざわざかち合って負けてるとか、もう周りもかける言葉も見つからないに違いない。
「ふ・・・ううう・・・」
ぐし、と袖で目を拭う可憐を、周りの人は気づいてぎょっとした目で見たり。
気づかないで通り過ぎたり。
そんな中。
「おい。」
王のお声が聞こえて、可憐は違う意味でびくついた。
怒られる。と思った。
部活中にプライベートなことでびーびー泣いてるんじゃねえ、みたいな事を言われると思った。
が。
「ほらよ。」
「え・・・わっ、」
「これもだ。」
「・・・この荷物、何っ?」
跡部はボストンバッグをぼす、ぼす、と可憐の前に放り投げた。
というか、無造作に放り投げているが、これも多分跡部の物であろう。やたらに質感が良い。
「うちのメイドに準備させた。いちいち中身を確認はしてねえが、必要なものは全て入ってるはずだ。万一何か足りなければ言え。すぐに用意させる。」
「そうじゃなくてっ!足りないも何も、一体これは何ーーーー」
「神奈川へ行け。」
「・・・・え、」
可憐は驚きですっかり涙の引っ込んだ顔を上げた。
「ここ最近のお前に何があったのか俺様は知らねえ。」
「・・・・・・」
「知らねえ上に、お前もそれを誰にも言う気がねえのは一目瞭然だ。」
「・・・まさか神奈川って、」
「春日に連絡を取っておいた。神奈川へ行け。そして氷帝の誰にも言えない事を話してこい。」
かつて妹の美梨が言った。
悩みを相談するなら超近い人か超遠い人が良い、と。
跡部は経験からそれを知っていたのである。
可憐が何も人に言えなさそうなのは、つまり氷帝テニス部という場が可憐にとって「言えない」距離のせいだからだ。
なら遠い人をーーー近い人はすぐには用意できないから、遠い人を。
氷帝でもテニス部でもない人を。
そうして白羽の矢が立ったのがビードロズだった。
「泊まる荷物はそこだ。お前の家にも連絡してあるから、家によらないで直ぐ迎え。明日も迎えを寄越す。神奈川から直接現地入りしろ。」
「・・・・・・・」
「勿論、ここまでしてやったんだから春日達には無理してでも話せだの、そんな気はない。一晩でどうにかなる話だとも思ってねえから、明日お前が以前の様子に戻ってくることも期待しちゃいねえ。ただ。」
「・・・ただ?」
「何かをしねえと解決しねえんなら、早い方が良いんだ。どんな事でもな。」
その言葉に、可憐はまた視界が滲んできた。
そうだよな。跡部ならそう言うだろう。
それは正論だ。
この王なら、例えそうした先に何が待っていても進むんだろう。
臣下の自分は、王の足元にも及ばない意気地のなさのせいで今こんなことになっている。
「行くか?」
「・・・うん。
・・・ありがとう、跡部君・・・・!」
可憐は心の奥底でホッとしていた。
やっと全てを話していい人達に会えるんだ。