「・・・何かむかちゅくんですけどー!どこがって上手く言えないけどさー!」
「いやまあ、分かるよ分かるよw言いたいことはw」
「幸村君、怒ってるでしょうか・・・」
「いや、あのくらいじゃ怒らないでしょ。」
ただ、それはそれとして幸村を煽らない方が良いのに、とは千百合は思った。
それは怒らせたら怖いからとかそういう事ではなくて、煽るとその煽り方から何かを掴んでくるからだ。
熊谷は今、幸村に自分の性格を語っているようなものなのである。
そんな事しない方が試合には有利なのにあほな奴、と千百合は感じている。
「熊谷、どうだ?」
「どうって・・・別に普通だよ。」
「最後まで試合出来そうか?」
「そりゃあ出来るよ・・・っていうか、出来ないのが変なんだよ。勝ち負けの心配なら兎も角、ふう・・・棄権とかあり得ないでしょ。」
「それだけ言えるなら、マジで大丈夫そうだな。」
「というか、それ以前に多分俺勝てるよ。」
「えっ!?」
「見たでしょ?さっきラケット両手持ちしてたの。俺、普通に打ってるだけでああだからね・・・力を込めたら、多分あの子まともにリターンが返せないよ、ふう・・・」
「マジか・・・」
「まあ、足でかき回されたらちょっと厄介だったけどね・・・俺足遅いから、ふう・・・でもそのスピードも想定してた程じゃないし・・・まあ今は本気出して走ってないとしても、ちょっと早くなったくらいじゃ押し切られて終わりだよ。」
「おおおお・・・・」
「な、何かマジで勝てそうな気がしてきた・・・」
「あのね、それならせめてDどっちか取ってよ・・・S3で俺が勝ったところで、S2と1が控えてるわけ。わかる?勝てるの?ふう・・・」
「お前・・・」
こういう所が熊谷の、部の仲間意識の内側にいまいち入りきれない所である。
「幸村。どうだ、相手の方は。」
「分からない事は未だに多いね。パワーで押してくる傾向は見られるけど、まだそれ以上の事は仕掛けられてきていないし。」
「そうか。まだ様子見を続けるか?」
「いや、攻め方はもう決めたんだ。」
幸村ははっきりと言った。
「まだ相手の全貌が見えていないのは確かだけれど、原則それでいこうと思う。」
「そうか。お前が決めているのなら、それで間違いあるまい。」
「柳。どうだ?データの方は。」
「非常に良いです。」
先輩から話を振られた柳もまた、きっぱりと言い切った。
「仮説を裏付ける結果が出るかどうかは兎も角、データ採取にはこれ以上ない人材と言えます。今当たっておけて、幸運だったと言って良いでしょう。」
「へー。そんなに良いのか。」
「見てるとまあ・・・ちょっと、性格に難がありそうだけどな・・・」
「まあまあ、棄権はされないみたいだから。今のところは。」
そう。
今のところは。
試合の終了までそうだとは決して限らないことを、立海テニス部だけは知っている。
「プレイ!」
(さて・・・・)
まだ序盤と言えなくもないが、仕掛けない理由も今あるわけじゃない。
いこう。
「・・・・ヌン!」
「はっ!」
「フヌッ!」
(きた!)
ここだ。
幸村は両手に持っていたラケットのーーー左手を外した。
「はあっ!」
ドンッ!
「15-0!」
「・・・あら。」
熊谷はちょっと目を見開いた。
返された。片手で。
(・・・ちょっと、力が上手く乗せ切れてなかったかな。)
まあこういう事もあるね。
そのくらいの気持ちで、熊谷は2度目のサーブのトスを上げる。
今度はちゃんと力を乗せる。
今まで普通程度の力で打っていたが、次はちょっと本気を出す。
「・・・フンヌウッ!」
これはサービスエース。
と熊谷は思った。
そもそも今まで普通の打球を幸村は両手で返していたのだ。
なら、この力を入れた打球は返せまい。追いつけはしても、ラケットごと弾かれる筈だ。
しかし、熊谷の予測とは裏腹に幸村は軽快に打球に追いつき、片手で振りかぶった。
そして。
「・・・ふっ!」
「!?なん・・・」
返した。
やはり片手で。
幸村のラケットから放たれたショットは、熊谷の逆サイドに綺麗に入った。
「30-0!」
「・・・・・」
熊谷は大きく目を見開いて、ぱくぱくと口を開けた。
嘘だろ。
100%の本気ではなかったとはいえ、今のは大体の人間がラケットを取り落とすくらいの威力はある。
それは自惚れではなくて、この夏の試合で実際何度もそうなった。
それなのに目の前の幸村はーーー自分より格段に背が小さく、腕も足も細く、体重も軽そうな少年は、それを片手で涼しい顔で返球してくる。
「・・・ちょっと!」
「はい?」
「はい?じゃない!何なんだよ今のは!」
「と言いますと?」
「さっきまで俺の普通のショットを両手で返してただろ!?それなのにさっきのを片手で返すって、そんなのあり得ないだろ!どうして重い打球の方がーーー」
「俺は別に、両手でしか返せないから両手で打っていたわけではありませんが。」
「・・・・は?」
「俺は最初から片手でも返せましたよ。ですが、別に理由なく両手で打ってはいけないなどと、ルールがあるわけではありませんので。」
理由なく。
両手で打ってはいけないとルールがあるわけでもありませんので。
「・・・・ただ、両手で打ってただけ?」
「はい。」
「本当は片手で返せるのに?」
「はい。」
熊谷はがーっと音が聞こえるような勢いで、頭に血が上っていくのを感じた。
「・・・・・ヌオオオオオオオオ!」
あり得ない。
あり得ない!
特に理由がないなどとほざいた事もそうだが、何より今見た光景があり得ない。
両手持ちの理由がどうあれ、熊谷のショットは実際問題、簡単には返せないのである。
熊谷がちょっと力を込めるだけでも、その辺のプレイヤーにはかなり重い打球になり、小さい選手などはまともに返せない。
それなのに幸村は返す。
しかも、極めて軽い調子でだ。
顔にもプレイにも必死さが見受けられない。苦労してどうにか返している、という感じが微塵も感じられない。
雄叫びを上げる熊谷を、幸村は冷静に見つめた。
やはりだ。
慇懃無礼という事はつまり、プライドが人より高いのである。
熊谷は負ける事は許容出来る。
だが、馬鹿にされたり舐められたり、下に見られるのが人より数倍痛いタイプだろう。
そう踏んだ幸村は、わざと最初両手で打ってみせたのだが予想通り熊谷はつけあがった。
後は落としたらお終い。
自分の武器は相手に全く通用していなかったのに、通用してると思って上から目線だった気分はどうだい?と幸村は言外に熊谷に尋ねているのだ。
「後悔すると良いんだ・・・」
「何にですか?」
「もう後悔しても遅いんだ!ここからは本気だ、本気のパワーでプレイしてやる!」
「そういう態度だから負けるんですよ。」
「はあ!?」
幸村からしてみれば、全国大会まで来て「本気出さなくて良い」と思ってる方が馬鹿にしているし舐めている。
幸村の両手持ち作戦だって、相手を突き崩すという事を全力で考えた結果であって、別にふざけたいわけでも何でもない。
まあでも流石に、ここまですればわかるだろう。現状、下に見られるべきはどっちなのかという事が。
脳の血管が切れるかというくらい怒り心頭な熊谷は、フン!と鼻を鳴らすと、ドスドスとサーブの位置に戻っていった。
(まだ余裕があるな。)
この場合の余裕というのは、心理的な余裕である。
熊谷はまだ、全力というほどパワーを込めていない。
だから、見ていろおのれ今度こそみたいな感情が見え隠れしている。
自分の100%のパワーショットは誰にも返されないだろう、という自信の表れだ。
そしておそらく、次はそれを出してくる。
(そして更にその次は、決め球かな。)
切り札はさっさと切らせるに限る。
手持ちのカードというカードを全て切らせて、そして其の上で勝つ。
もう、出来ることがない。
それが分かった時に、人間の心は一番折れやすいことを幸村は知っている。