そして同じ頃。
一条郁は自販機で飲み物を買っていた。あまりの暑さに、持参した飲み物が底をついたのだ。
(暑い・・・スポーツドリンクをこんなにがばがば飲んでるのに、ちっともトイレに行きたいと思わないぞ・・・どれだけ汗かいてるんだ僕は・・・)
勿論、している恰好のせいで余計に暑苦しいのだという事は知っている。しかし、変装を解くわけにいかないのだ。
(まあまあしかし、今日でもう完全に終了だからな。後は帰るだけだ。次はもうないし・・・・)
「・・・・・・」
次はもうない。
そう、今日で終わりだ。
立海テニス部は、本当に全国優勝の地位を勝ち取ったのだ。郁はそれをこの目で見た。
(・・・いやいや、日本一だからなんだっていうん・・・いや、流石に日本一に向かって「それがどうした」とは言いづらいか・・・いやでも、そもそも僕にとってテニスどれだけ強いかなんてどうでも良い・・・・もんな!うん!だからやっぱり、それがどうしたで良いんだ、うん・・・・)
今日も何度も何度もそうしたように、ふるっと首を横に振った。
すると、風が吹いて郁の帽子を巻き上げた。
「あ!おい、ちょっと、」
そう遠くへは飛ばないだろうとわかっていても、一瞬狼狽えて郁は手を伸ばした。
すると、自分のではない手がそれを軽く捕まえてくれる。
「よっ。」
(・・・・!)
心臓が止まるかと思った。丸井だった。
郁は与り知らない事だが、丸井は運動公園だとこういう自販機周辺に居る率がそこそこ高いのである。
「ん。」
「・・・・・・」
「あれ?お前のだろい、受け取れよ。ほら。」
そろ・・・と手を出して、帽子を受け取る。
大丈夫だ。まだグラサンもマスクもしている。頭が見えた程度では個人の特定は出来まい。
挙動不審な郁を、丸井はじっくり見ていた。
丸井は、目の前の人物が郁であるとはっきり確信があるわけではない。
ただ、仁王は一条ではと言っていて、だから丸井もそうかもしれないなくらいには思っていた。
(つってもなー。やっぱりグラサンとマスクのコンボで、知り合いかどうか判断しろって無理があるだろい。そんな特徴あるヘアスタイルしてるわけでもねえし。)
グラサン取ったら分かるだろうが、それこそ知り合いじゃなかったら失礼どころの騒ぎじゃない。いきなりグラサン取ってみて、と言っても何この人・・・な扱いだろうし。
(せめてちょっとでも、目が透ければ・・・レンズカラーも真っ黒ってわけでもねえし、どっか見える角度ねえかな。)
あっちからのが見えるかな。いやこっちのが良いかも。
なんて、色んな方向から顔を見ている丸井は、段々顔が近づいてる事に気づかない。
「・・・・・・」
「んー・・・」
「・・・・・・」
「んー?」
「・・・・ええい、やめろ!近寄るな、近いんだよ!」
先に音を上げたのは案の定というか、郁の方だった。
どんなに顔を隠したところで、声を聞かれたらもうどうしようもない。
「お、ビンゴ♪やっぱ一条じゃん?」
「うるさいな放っておいてくれ!と、というか、やっぱりってなんだよ!」
「え?いや、仁王がお前じゃね?って言ってたから。」
「え?あ、ああそうか・・・」
なんだ。ちょっと期待したのに。
(いや、だーかーらー!期待したってなんだよ、期待したって!そんなもんしてないよ!)
此奴何かよく首振るよな、なんて思われてることも知らないで、郁はブンブンと考えを振り払うように頭を振った。
「言っておくけどな・・・僕は行かないと誘ってくれた春日さんに悪いかなと思ったから、来ただけだからな。本当だからな、誓って本当だからな。」
「わかった、わかったって!お疲れ。」
丸井は言いながら思わず笑ってしまう。ここまで素直じゃないといっそ気分が良いというか。逆に分かりやすいというか。
「それより、お前大丈夫なわけ?そのかっこ暑かったんじゃねえの?」
「暑かったよ!誰のせいだよ!おかげで持ってきた飲み物もすぐ底をついたんだ、そのおかげで今追加で飲み物買う羽目に・・・」
「ああ、んじゃ買ってやるよ。」
「え?」
「どれが良い?スポドリ?」
「・・・・・・」
「どれ?」
「・・・・カ、ルピスソーダ・・・・」
「ん。あ、そうそうこないださ。」
「・・・この間?」
「ほら、学校でコーヒー買ってやったじゃん?」
「コーヒー・・・ああ、プール掃除の時の。」
「そ。あれさ、後から林に聞いたんだけどよ。」
「・・・何を。」
「お前、コーヒー嫌いなんだろい?」
あの時は郁に断るでも何でもなく、本当に純粋にノリで取り敢えずコーヒーを奢ってしまったが、後から林に驚かれた。一条はコーヒーが飲めない筈だと。
「・・・・・」
「嫌いなら嫌いって言えよ?」
「・・・嫌いなわけじゃないさ。苦手なだけだよ。カフェインが効きすぎる体質なんでね。」
「あ、そっち?」
「まあ、確かに大好きってわけじゃないのは事実だが。」
「ふうん・・・ぷはっ!」
「な、なんだ急に笑いだして!」
「いや、お前コーヒーが苦手でカルピスソーダが好きって、好みだけは五十嵐みてえって思って。」
「どういう意味だ!」
暗に子供っぽいと言われたのを感じ取り、郁は怒りというより羞恥で真っ赤になった。
自分の事を言われた事にばかり注意がいって、丸井も大概そういう嗜好である事はもう郁には思い至らない。
「・・・もう良い、帰る。どうせ帰るところだったし。」
「おう、またーーーあ。」
「今度は何だ!」
「いや、もう大会終わったから次は会うの2学期だよなと思って?」
(あ・・・・・)
そうだ。
そういえばそうだった。
そうだったというか、当たり前である。
普通は親しい友達じゃない限り、夏休み中に顔を合わせたりしないのだ。
クラスメイトでさえ長期休暇は顔を見ないのに、クラスメイトですらない丸井は何をか言わんや。
「んじゃ、また2学期な。」
「・・・・・・・ふん。」
なんだか急にやるせない気分になって、郁は俯いて駆け足気味にその場から離れた。
さよならも言わなかった。
いや、さよならは言いたくなかっただけかもしれないけど。
(なんだよ、なんだよなんだよなんだよ!)
どうして自分がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
テニス部にさえ絡まれなければ、今頃は涼しい部屋で平穏な心で過ごせていたのに。
くそ、くそ、理不尽だ、と内心で吐き出すように呟きながら、運動公園までの出口に向かって速足で歩いていると、女子の集団とすれ違った。
「・・・・!」
郁は立ち止まった。
今の女子達。
どこの学校だか知らないけれど、ジャージを着ていた。
(ーーーーそうか、)
同じ部活なら。
マネージャーなら、毎日のように会えるのか。
その考えは青天の霹靂のように郁を貫いて、郁は暫く動けなかった。