ちびっ子に本を読んでいてあげた紫希は、漸く返ってきた祖母とまみえた。
が。
やれやれこれで一安心と思いきや、なんと祖母は、続けて読んでやってくれないかと頼んできた。
自分も読んでやりたいのだが、何分老眼で辛いのだという。
かといって遠くにすると、ちびっ子が見えないと文句を言うし。
そんなわけで読んで読んで読みまくってやって、おやつの時間だからそろそろ帰ろうぜと上のちびっ子が言い出して。
ああ、これで終わると思いきや、事態は今度は違う方向へ動き出した。
「あの、本当に良いです、大丈夫です大丈夫ですから、」
「まあまあ、年寄りの我儘だと思って聞いとくれよ。」
「でも、」
「怪しいのはよーくよく分かってるよ。家に上がれとは言わないから、玄関先でちょこっと受け取ってくれれば良いのさ。」
「おねーちゃんなんで嫌なのー?」
「うちのおやつ美味しいよ!」
「ええとあの、嫌なわけではなくて、その・・・」
なんと、朗読のお礼におやつを持たせてやるというのである。
そんなつもりだったわけじゃないし、と紫希は勿論何度も何度も辞退した。
だがこのお婆さん、なかなかに強情というか、絶対に折れようとしない。
無視して置いて、ダッシュで立ち去ると言う手もないじゃなかったが。
(でも、今日も暑いですし・・・こんなかんかん照りの中、お婆さんと小さい子2人だけで家に帰るっていうのも・・・)
ただでさえ、今年の夏は棗に、氷帝のマネージャーに、と熱中症でバタンした事例を聞いているのである。
老人とちびっ子の面子でそうなったら、かなり危ない。
特に祖母が倒れてしまったら、こんな小さい子供では何も出来ないだろう。
結局、おやつがどうのというより心配故に、紫希はついてきた。
(玄関先でおうちに入ったのを見届けたら、そのままお暇しましょう・・・)
「お姉ちゃん!」
「はい?」
「おうちで不思議の国読む!」
「バカ!読んでもらったお礼に来てもらうんだろ、何もっと読んで貰おうとしてるんだよ!」
「やーだ!」
「やだじゃねえの!」
「やだ~~~~~~!」
「はいはい、帰ったらお姉ちゃんだけじゃなくて、お母さんも皆居るからねえ。読んでもらおうねえ。」
「う、ううん・・・」
正直、読むだけなら別に良いのだが。
おやつを貰うのに気が引けてるだけで。
でもこうなると、玄関前でさっと姿を消そうと思っていたけど、ちょっと可哀想かな・・・なんて思っていると、とうとう家が見えてきた。
「お姉ちゃん、ここだよ。俺達の家。」
「そうなんで、す・・・・?」
さっと消える予定だったのが、足が止まったのはその表札のせいである。
ローマ字だから、パッと見わからなかったが。
「えーーー」
「ちょっと待っていてねえ。というか、暑いから玄関にお上がりよ。」
「ただいまーーー!」
「兄ちゃーん!兄ちゃんおやつ!おやつ姉ちゃんにあげてー!」
開け放された玄関。廊下の向こうから足音が聞こえる。
誰より先に家に戻った上のちびっ子が、何事か話しているのが聞こえる。
「ねー!早くー!」
「おい、ちょっと待てよ!お姉ちゃんにおやつあげるって、何の話、して、る・・・」
多分、持っていたものを落とすかと思ったのはお互いさまである。
表札には、丸井と書いてあった。
まさか知っている丸井じゃあるまいなと思ったら、本当に知っている丸井だったなんて。
でも、今目の前でカスタードの入ったボウルを抱えて、玄関に立っているのは、確かに自分の知っている丸井だ。
「・・・・え、」
「ブンちゃん、この子にタルトを一切れあげられないかねえ。図書館でお世話になったんだよ。」
「兄ちゃん、健がさ。あのお姉ちゃんに絵本読んで貰ってたんだ。ずっとずーっとだよ。」
図書館。
絵本。
読む。
ずっとずっと。
それで丸井の頭の中では、大体の事の成り行きがやっと輪郭を表した。
「・・・・ぷっ、あっはっはっはっはっはっは!あっはっはっはっは!」
丸井は大笑いしてしまった。
いやでも。こんなのもう、笑うしかないじゃないか。
「ねえ兄ちゃん!タルト、」
「おう、タルトな?一切れとかケチな事言わねえから、2つか3つ食えば良いじゃん?ほら。」
「え、」
「上がれよ。牛乳温めてやるから。」
ロイヤルミルクティーが好きなのを記憶されているらしい。
いや。そうじゃなくて。
「で、でも、」
「はいはい。ほら、良いから良いから。それとも、何か急いでんの?」
「そ、そういうわけじゃ、」
「じゃあ良いの。上がった上がった。」
「ブンちゃん、知り合いかい?」
「おう、友達。」
「なんだ、そうだったのかい。それなら遠慮しなくて良いよ、どうぞ上がって食べれば良いよ。」
「お姉ちゃん!不思議の国読む!」
「もー!それはだめだって言ってるだろ!」
「はいはい、健は後で兄ちゃんが読んでやるから。で、春日は早く靴脱いで。」
「でも私、そんなつもりじゃ、」
「そんなつもりじゃない事は俺が一番知ってるって。」
言いながら、丸井は片手で紫希の手を取った。
こうしておかないと、紫希はすぐ逃げてしまう。
「まあ自信作だから食べて行けよ。」
「にーちゃん今日なーにー?」
「フルーツタルト。」
「やったー!」
「ほら健ちゃんに準ちゃん、お手手洗おうね。」
「洗面所あっちだからな。」
「え、う、え、」
まだ気持ち的には、遠慮のあまり帰りたい感情の方が大分大きいのだが。
でも。
試にちょっと引っ張ってみた手は、全然振りほどけそうになかった。
「・・・・お邪魔します・・・」
「どうぞ?」
兄ちゃん楽しそう。
上のちびっ子ーーー準太は、兄を振り返りながらそう思った。