「忍足君、本当に大丈夫だよっ?多分・・・」
「多分やろ?」
「う・・・ま、まあ、1時間もあれば・・・」
「1時間も外うろうろしとったら、また倒れるで?まだ暑いんやし。」
「う、はい・・・」
可憐は、一人で帰れるか不安という理由で、忍足に駅まで送ってもらうことになった。
前回来た時はもう夜遅いという理由で、忍足の父瑛士が車でブーンと送ってくれたので、足で帰るのは初になる。
中学生としてはべらぼうに高い迷子率を誇る可憐としては、迷子になるだろと言われると、もうぐうの音も出ず。
嬉しいような、余計惨めなような・・・振られた者特有の複雑な気分で歩いていると、忍足が、ん、と小さく声を上げた。
「どうしたのっ?」
「アフガンハウンドや。」
「えっ?どこどこっ?」
アフガンハウンドというと、跡部の家にいたマルガレーテと同じ犬種である。
可愛かったが、日本ではそうそう居る犬とは言い難い。大分珍しいはずだ。
可憐がきょろきょろ周りを見渡すと、忍足の視線の先。
歩道の真ん中で、犬連れだというのにナンパの憂き目に合っている少女が居た。
「あっ、あの子っ!」
「知ってるん?」
「う、うん、本当に知ってるだけなんだけど・・・と、とにかく助けないとっ!」
知り合いとも言いづらいくらいの知り合い未満。
アフガンハウンドを連れた由水明日香は、目の前の言い寄ってくる男が鬱陶しくて仕方なかった。
「だ~か~ら!言ってるでしょ、私とデートしたいんだったら試合に勝ってからにしなさいよ!」
「まあまあ、そう固い事言わないで、」
「しつこいのよ!男のくせにいつまでもぐだぐだ言い訳するわ、約束は守れないわ!こっちはアベルの散歩をしてるのよ、あんたに構ってる暇ないの!さっさと消えて!」
「そんなあ、明日香ちゃ~ん。」
「ちょっ・・・止めて!利き手を掴まないでよ、怪我したらどうするつもり、」
「由水さん。」
忍足は実に堂々と、由水と男の間に割って入った。
こういう時、ポーカーフェイスは非常に役に立つ。
忍足は全く初対面だが、そんなこと微塵も感じさせない。
「だ、誰だお前!」
「誰や思う?」
「え、ええう・・・クラスメイト?「ち、違うわよ!私の、そのう・・・ええ・・・あ、あれよ許嫁よ!」
「へ?」
「だからあんたとデートできないの!さ、さっさと行った行った!」
「やって。」
男はしばし逡巡していたが、やがて諦めの溜息を吐いた。
そして可憐も、安堵の溜息を吐いた。
多分、許嫁というのは嘘だというのは相手にもわかった。
ただそれ以上に男が間に入ってきて、多勢に無勢で、おまけに忍足が明らかに男としてレベルが上なのを感じて、ナンパは引いていった。
今3人は、近くの公園のベンチで一服していた。
「まずはありがと。お礼を言っとくわ。彼奴しっつこいのよねー。」
「ええと・・・由水さんは、テニスであの人と、」
「ああ、一応スクールメイトなのよ。うちのスクール、男女合同だから。でも私のが強いし、今まで一回もデートしてやったことないの。何回も挑戦してくる気概だけは買うけど、負けて潔くないとかダサすぎるわ。」
ハン、と鼻を鳴らす由水は、まあ偉そうではあるが一応筋は通っている。
言い寄られてる側が条件を出すのは当然だし。満たせなければ断る権利があるのも当然。
「由水さんは、茉奈花ちゃんと同じスクールやったんやろ?」
「そうよ。もう違うけどね。」
「もう違うのに、ライバルなん?」
「私があいつに勝つまではライバルよ。ずっとずーーーっとね。」
相変わらずの勝手さだなあ、なんて思いながら可憐は苦笑するが、忍足は全然違うことを考えていた。
「・・・ブランクある相手でもそこはええのん?」
「何よ。ブランクあるから可哀想とでも言いたいわけ?」
「そうやのうて。こういうのんは、全盛期の相手に勝ってこそ満足いくもんなんとちゃうんか、て思うて。」
「そりゃあ欲を言えばそうだけど、実際無理でしょうよ。現実として。仮に今からあんたたちの部活止めてスクールに戻ってきたとしても、だからって即戻るもんじゃないわよ。」
「まあ、それはそうだけど・・・」
「私だってねえ・・・はあ、」
由水は缶ジュースを一口飲んだ。
「環境が変わる前に勝ちたかったわよ。中学校に上がるとか、そういう時期にスクール止めるって言うのはよくある話だし。それは止めようがないから私も諦めたわ。だからこそ、そうなる前に白黒はっきりつけたかったのに、あの女・・・・!」
「・・・ま、負けちゃったのっ?」
「負けたんじゃないわよ、勝負しなかったのよ!強いくせに!当時誰より強かったくせに!強いもんが挑戦を受けるのは当然でしょって話よ!」
「勝負せんのに強いのんは知ってたん?」
「そりゃあスクールですからね。チーム内でも練習試合はするし、公式戦にも出るわよ。そこでは負けなしだったわ。でも、野試合になるともう全然だめ!てんで応じないのよ!特に居なくなる直前は、本当に試合をしたがらなくって・・・ラストの1か月は、とうとう一回もできないまま終わったわ、私はそれに納得が行かないの!」
パカン!と鋭い音をたてて、由水の投げた空き缶がゴミ箱に入った。
「・・・・・・」
「ああ、思い出したらむしゃくしゃしてしょうがないわ!本っ当にあいつときたら!」
「で、でもっ!それじゃあ、茉奈花ちゃんは由水さんが勝てるまで、ずーっと勝負を受け続けないといけないことにならないっ?」
「そりゃそうよ、強いんだから。さっきも言ったけど、挑戦者からの勝負を受けるのは強い者の義務なのよ、義務!逆に、私が勝ったら網代からいつ勝負を持ちかけられても良いわよ?」
「そんな・・・茉奈花ちゃんにだって都合があるよっ!」
「都合ってどんな?」
「え?」
「だから都合ってどんな都合なのかって聞いてるのよ。」
「ど、どんなって・・・都合は都合だよっ!そんなの当たり前じゃーーー」
「だ~か~ら~!どういう都合なのかって聞いてるのよそれは!納得するしないは置いておいて、まずそれを言いなさいよ!どう都合が悪いわけ?ええ?」
「え、だって・・・そ、れはっ!そのう・・・ええ・・・」
常識の話だろと可憐は思ったが、確かに言語化せよと言われると難しい。
何故。改めて考えると何故なのだろう。
「・・・・だって、私だったらそんなの、都度都度顔を合わせる度に勝負勝負って言われたらうんざりしちゃうし・・・」
「ふうん。じゃあ、都度じゃなければ良いわけね?」
「え?」
「例えばだけど、年に一回だけとかなら?もしくは、私がもう十分勝てるって踏んで勝負を持ちかけて、それで負けたらもう金輪際挑戦はしないとか、そういう条件を付ければOKなのね?」
「ああ・・・うん・・・確かに、それなら受けるかもしれない、かなっ?私だったら、それならって思うなあっ。」
「ふうん。ま、私がそれをやるかどうかは別ですけどね?」
「そーーー」
またそんな。
呆れの感情を抱きながら可憐が返そうとすると、その前に忍足の声が割って入った。
「せえへんのんちゃう。」
「「え?」」
「どんな条件付けても、してくれへんと思うで。辞めた直後やったらともかく、もう今になってもうたらな。」
「え・・・・」
「待って。なんであんたにそんなことが分かるのよ。」
そう、それだ。可憐も今それを思った。
「忍足君・・・知ってるのっ?その、茉奈花ちゃんがどうして試合しないか、みたいなこと・・・」
「知ってるて言うたら語弊があるなあ。まあ、当たりがつくていう感じや。多分正解やけど。」
「へええええ・・・言うじゃない。何、あんた彼氏?付き合ってる感じなの?」
ぎゅ、と胸が締め付けられる感覚が可憐を襲った。
そうだ。と返そうが、そうじゃない。と返そうが、最早さして意味に差などあるまいと思う。
ほぼほぼ同じようなものだ。今付き合っていようといなかろうと。
「・・・ちゃうけど。」
「ふうん。なのにわかるわけ?」
「まあ、色々な。少なくとも、親しいのんは事実やし。」
「へえ。」
「それより、俺も一個聞きたいねんけど。」
「私に?何?」
「茉奈花ちゃんがスクール辞める理由に関して、進学以外に心当たりあらへん?」
くどいようだが、日本にアフガンハウンドの飼い主なんて、そんな沢山いるわけではあるまい。
その中で網代のスクール時代に関わる者となると、もうかなり絞られるだろう。
忍足はもう、由水明日香こそが、跡部邸で網代から聞いた人物。
即ち、網代を退校に追い込んだ人間であると推測していた。
しかし。
そうだとすると、解せないことが一つある。
「え、知らない。」
「そうなん。」
「ま、私だって網代の事を何でもかんでも知ってるわけじゃないから、私が知ってる範囲の事しか知らないけど。でも、少なくとも私は知らない。心当たりない。」
そう。
由水は最初から今までずっと、網代のスクール退会に関して、自分が理由である者のような振舞や言動を一切していない。
むしろ、止めて欲しくなかったのにと思っているような節さえある。
「・・・さよか。」
「ていうか、進学が理由じゃないわけ?マジで?」
「いや。何べんも言うけど、あくまで俺の推測でしかないで。ほんまの所は本人に聞かへんと。」
「・・・・・・・」
「な、なあにその顔っ?」
由水は、苦虫を噛み潰したような、心底嫌そうな顔をした。
「あんたさあ・・・本当に網代と親しいの?嘘ついてない?っていうか、吐いてるんでしょ?」
「なんで?」
「今言ったでしょうがあんたが!本当の所は本人に聞かないと、って!逆に聞き返しますけどね、あんたあいつが本当の事なんて言うような女だと思ってるわけ?マジ?
そうだとしたら、あんた網代茉奈花って女を分かってないわよ。彼奴は、本当のことなんて、誰にも言わないわ。そういう性格よ。」
可憐は言い返そうとしたが、一瞬言葉に詰まってしまった。
確かに。
網代に秘密主義な側面があるのは、可憐も何となく感じている。
別に嘘吐かれていると思っているわけではないが、そうーーー正に、本当の事を言わないという感覚。とでもいうか。
一理あるな、と思ってしまった可憐だが、忍足は逆に意にも介さないで返事をした。
「本当の事は確かに言わへん性格しとるけど。」
「けど?」
「言わへんだけで、性格が分かっとったら本心の部分は想像がつくで。」
それこそ、言語外の部分から相手を推し量ったりするのは、忍足の得意分野である。
確かに網代は本当のことは言わない性格だが、言わないからといって消えてなくなるわけじゃない。
何故本当の事を言わないのか。
そこに思い至れれば、網代の本心に辿り着くのは、実はそこまで難しいことではない。少なくとも忍足はそう思っている。
「ふうん・・・で?」
「でって?」
「結局スクールを辞めた理由は何なのよ。あんたの推測で良いから、教えなさいよ。」
「嫌や。」
「なんで!」
「そら俺かて、別に恨みとかあるわけやないけど、由水さんと茉奈花ちゃんどっちか取れて言われたら茉奈花ちゃんの方取るで。」
そうだろうな。
それはそうであろう。
由水も流石にそれは妥当だと感じているのだろう、やや不服気味にしながらも、ふうん、と鼻を鳴らしたような返事をした。
「じゃあ、どうすれば勝負に応じそうかを教えてくれるだけで良いわ。辞めた理由なんて、今更知ったって確かにもう遅いし。それはどう?」
「さっきも言うたけど、多分もう無理やで。性格的に。」
「そこをどうにか考えなさいよ!1%でも確率が上がれば良いから、ほら!」
「言うたかて。」
そう言いつつ、一応忍足も考えてはみる。この辺が忍足の気の良い所だ。
「・・・・でも無理ちゃう。」
「はああ!?」
「今も言うたけど、俺の推測が当たってるもんとして、茉奈花ちゃんが嫌や言うてんのんは性格的な話やさかいなあ。性格変えろいうても無理があるやろ。由水さんかて、自分がせえ言われたら難しいやろ?」
「むぐぐぐ・・・!」
そこを突かれると反論できない自覚はあるのだろう。
由水ははあっ!と大きな溜息を吐いた。