「お疲れ様、深谷君。」
「ああ、阿賀君か。どうした?」
「跡部君の秘書の件で、少しね。」
「そっちの話か。ええ・・・1年生だったな。」
「ええ、そうよ。それでね、深谷君。ちょっと提案が。」
「?」
「秘書は2人まで選べるでしょう?」
「ああ。」
「でも、今は私だけよね?」
「そうだな。」
「それで私、考えたのよ。
引き抜いてみない?あっちから、ひとり。」
可憐と忍足は、目の前に鎮座しているものをじっと見つめていた。
「・・・・・これ、貼るのっ?」
「アーン?貼るために用意したんだろうが。」
「一応聞いとくけど、選管(選挙管理委員会)のルールに抵触してへんやんな。」
「ああ、許可は下りた。なんだ、まさか貼れないことを心配してたのか?」
「誰だってそっちの心配すると思う・・・」
2人の目の前にあるのは、ポスターである。選挙用のポスター。これを、学校の各所にある掲示板に貼って回るのだが、これがまあ派手。背景にゴールドの箔押しまでしてある。
本当に選管通ったのかな・・・と思う可憐と忍足だが、通ってはいる。というか、こんな派手なの誰も想定してないから、禁止と書いていないだけなんだけど。
「というわけで、頼んだぞ。」
「「はい。」」
多くのことに見ないふりをしつつ、2人は散会した。
「あ、あのー、そのポスター・・・」
「ご、ごめんなさいちょっと急ぐんですっ!あの、2号館の方はもう貼り終わってるんで、そっちへどうぞっ!」
放課後のポスター貼りは捗らなかった。
とにかく跡部のポスターはキラキラしてて目立つため、持っているだけで周りの人からは「あっ、跡部のポスター!」と丸わかり。そこから「ちょっと見せてー」が始まってしまい、際限なく人が集まってくるため、可憐はもう相手にしないで、躱してダッシュしていた。
「ふう・・・」
やっと次の掲示板である。ああ、疲れた。たかだかポスター貼りなのに・・・いや。
「跡部君のポスターだからしんどいんだよね、これ・・・」
「じゃあ、止めますか?跡部の秘書なんて。」
え、と呟いて後ろを振り向くと、男子生徒がポスターの束を持って立っていた。
知らない人・・・いや。知っている。
「えとっ・・・ふ、深谷一二三先輩っ?」
「ああ、知ってるんですね。流石に秘書だ。」
「お、お顔だけはっ。同じ、立候補者だしっ。」
深谷は可憐の隣に来ると、普通の様子でポスターを貼り始めた。
「・・・先輩は、自分で貼るんですねっ。」
「まあね。僕は、人にやらせません。できる限り、自分でがモットーなんです。」
(跡部君と真逆のタイプ・・・)
「それで?」
「えっ?」
「返事の方は?」
「返事?・・・・えっ、あ、いやっ!え、今の本気なんですかっ!?」
「そうですよ。僕は冗談もあんまり好きじゃない。」
「そうなんですか・・・い、いやでもっ!そういうわけにもっていうか、私はもう跡部君の秘書でっ!」
「おや、知らなかった?秘書はいつでも変更可能ですよ。」
「えっ、」
「いつ止めても初めても、付く候補者を変えても良いんです。ただし、2人を超えないというルールだけはありますが。」
「あ、そ、そうなんですか・・・」
「僕の秘書は今ひとりなんです。阿賀真奈美という女子だけ。先日、間違って君ともうひとりの秘書が作業しているところに乱入してしまったそうですが。」
「・・・ああ、あの人っ。」
今の時期に生徒会室付近をうろついている時点で、何かしらの形で選挙に関わってるのかとは思っていたが。そうか、対抗馬の秘書か。
(・・・って!そ、そうだった、あの人スパイかもしれなかったんだったっ!っていうことは、この話も・・・)
可憐が引き抜きたいというより、跡部の弱体化を狙っているのか。そうなのか。
「・・・と、とにかくっ!私、跡部君の味方なのでっ!」
「跡部君の味方。」
「そうですっ!跡部君の味方っ!」
「何故?」
何故。
可憐は口を開いてしまった。
いや、何故って。何故も何もへったくれも。
「だ、だってっ!跡部君は友達だし、部活のチームメイトだしっ。」
「ふっふっふっふっふ。」
「・・・・・なんですかっ!」
「いや?大した友達もあったもんだな、と思いまして。こんな無体を働いているのに。」
「・・・・え?」
「ああいや、君じゃありませんよ。君のパートナー・・・忍足君でしたか。彼のことです。」
可憐の心臓が大きく高鳴った。
嫌な予感とでも言うべきものだろうか。
「・・・どういう意味ですかっ。」
「彼は、同じテニス部のマネージャーさんが好きなんでしょう?あなたではなくて、ええ・・・失礼ながら名前を失念してしまいましたが、リーダーを勤めている子の。水泳大会で、一躍有名になりましたね。」
そうか。どうして知ってるんだそんなことと思ったが、水泳大会の件がある。
あれは全校生徒が見ていたから。
だから、事実じゃないかもしれないとは思いつつ、皆噂してそれが今も残っているのだ。
ー--本当だとは知らないまま。
「純粋に秘書としての能力からあなたが選ばれたのかもしれませんが、それはあくまで能力面の話だ。心理的な話を踏まえれば、あなたではなくて彼女を採用した方が、結果的に上手く回ったでしょうに。」
「・・・・・・・」
「忍足君とリーダーの彼女は、お互いに憎からず思っている相手と時間を過ごせて嬉しい。あなたも、大変な思いをしなくて済んで嬉しい。三方良しのやり方があるのに、それを無視してこんなことにしている跡部君は、果たして味方に値する男でしょうかね。悪い人間だとは言いませんが、少々愚直な面があるかと。」
「それはっ!それは・・・でも、跡部君にはきっと何か考えがあるんですっ!」
「よしんば考えがあったとしても、あなたが損なポジションに居るのは確かでしょう?まるでお邪魔虫じゃありませんか。」
可憐は胸がぎゅっと痛くなった。
そんなこと、世界中で誰より可憐が一番よくよくわかっている。
でも、可憐だって跡部に「自分を忍足と組ませて」と頼んだわけじゃない。なのに、どうしてこんなこと言われなくちゃいけないんだろうか。
あくまで采配した跡部が悪いと言う気なのか。
それとも、辞退しない自分が悪いと言う気なのか。
ー---自分が、悪いのか。
「可憐ちゃん。」
そんなわけないのに、こういう時に聞く忍足の自分を呼ぶ声は、いつも肩を抱くような優しさと安堵を感じる。
可憐はぐ、と口を結んだ。
我慢してないと、涙が出そうだった。
「ポスターは・・・ああ。こんにちは。」
「こんにちは。さて、ナイトが登場したから僕は行くよ。」
ん、と忍足は口の中で呟いた。
つもりだったのだがどうやら聞こえていたらしく、深谷は立ち去りかけて振り返った。
「何か?」
「・・・・・いいえ。」
「そうか。ではね。」
深谷はひらりと手を振って去って行った。
その背中が完全に見えなくなるまで、忍足はずっと目で追っていたが、可憐は深谷のことよりも、忍足に全然ポスターが貼れていないことをどう言えば良いのか分からないでいた。
「・・・あ、あの、忍足君、ごめんねっ。私遅くなっちゃっ、」
「なんて言われたん?」
「え?」
「何か言われたやろ?」
言われたんじゃないか、じゃない。言われたのだ、という確信を持っている響きだった。
可憐は押し黙った。
「・・・・自分の秘書に、ならないかって言われて・・・」
「え?」
「あのっ、私が悪いって言うか、隙を作っちゃったっていうか・・・跡部君の秘書って大変、みたいなことをついうっかりっ!だから、その・・・」
「・・・そうなん。」
全部は言えない。というか言いたくない。
一応忍足は自分の片思い先を可憐にもう教えているので、言われたことを全部言っても、構わないと言えば構わない。
ただ。
(本当にそう言ったら、忍足君、多分気を使って私で良いって言う・・・ううん、言わせちゃうんだよね・・・)
『心理的な話を踏まえれば、あなたではなくて彼女を採用した方が、結果的に上手く回ったでしょうに。』
『忍足君とリーダーの彼女はお互いに憎からず思っている相手と時間を過ごせて嬉しい。』
確かに止めた方が忍足のためなのかもしれない。
でも、今更何て言えば。そもそも、それで良いのか。跡部の意見失くして決めることじゃなくないか。
いや、でも。
でも。
でも。
「可憐ちゃん。」
はっとして顔を上げると、夕日に照らされた忍足がこっちを見ていた。
「話の続きやねんけど、返事は?」
「え?」
「自分とこの秘書にならへんかて言われたんやろ?なんて返事したん?」
「あ、えっと・・・私、跡部君の秘書だから、って・・・」
「あっち、納得しとった?」
「納得・・・」
納得したんだろうかあれは。いや。
「・・・・び、微妙かなっ?ふうん、まあ止めた方が良いと思うけど、みたいな感じで・・・」
「そうなん・・・・」
忍足は何か考え込みだした。
「・・・可憐ちゃん、約束して欲しいねんけど。」
「えっ?」
「次に何かコンタクトあったら、すぐ呼んでくれへん?」
「え?え?コンタクトって、」
「どんな形でもええねん。偶然でも呼び出しでも、対面でもLINEでも。何や言われたら、次は同席させてんか。」
「う・・・わ、わかった・・・」
「ん。ああそれから、相手があの人か、秘書の女子の人かて言うのも問わへんで言うてな。」
「えっ!?お、忍足君あの人が深谷先輩の秘書だって知ってたのっ?」
「いや、知らへんけど。ただ、同じこと言うてるさかい、一緒やろな思うて。間違うてへんやろ?」
「ああ、うん・・・」
同じことなんて言ってたかな。
可憐が考え込んでいる間に、忍足はポスターを可憐の手からごく自然にいくらか取って、貼り始めた。
「あっ、良いよ忍足君っ!私の担当なんだし、」
「別にええで。ノルマがあるわけとちゃうし、一緒にやった方が早いし。」
「そうだけど・・・・」
でも、ただでさえ秘書の立場を心理的に追われているのに、行動でものろのろしてたら、いよいよ秘書失格のような気がしてしまう。
(・・・やっぱり、茉奈花ちゃんに変わった方が良いのかな・・・)
俯き加減にポスターを貼る。
夕日が反射してポスターはこんなにきらきら光ってるのに、対照的に可憐の心はとてもきらきらとは言い難かった。