紫希と丸井は2人で静かな廊下を歩く。
別にことさら静かな所選んでるわけじゃないが、今後夜祭中で、大体皆グラウンドに出ている。後の生徒は、帰るから先に自分の出し物の片づけをしに教室などにこもっているだけ。
行き交う人は少ない。
「あの、良いんですか・・・?」
「うん?」
「良く分からないですけど、ロッカーの上の何かを譲るとか、譲らないとかって、」
「ああ!あー・・・まあ、うん。大丈夫大丈夫。」
「そうですか・・・?」
本当は大丈夫じゃない。
というより、惜しいと思う気持ちはある。普通にある。
でも、こっちのが惜しい。
お菓子は自分で作れても、この時間はなかなか思い通りには作れないことを丸井は分かっている。
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・・」
「おう、いっぱい甘えろい。あんなに頑張ったんだから。」
(・・・・・!)
聞きたかった言葉に隣を振り向くと、丸井はいつもとちょっと違った笑顔で紫希を見ていた。
余裕しゃくしゃくの明るい強気な笑顔じゃない。
優しくて、なんだかあたたかい笑顔。
「お疲れ。すごかったじゃん、頑張ったな。」
あ。
まずい。
いけない。
と思ってももう遅かった。
「ちゃんと楽しそうにできて・・・・え!?」
「ご、ごめ、ごめんなさい、う、ひっく、ごめんなさい、」
ちゃんとできた。
聞かせたい人に聞かせられた。
今の言葉で実感が急激にわいてきた紫希は、安堵で涙腺が緩んでしまう。
「違うんです、あの、ほっとして・・・」
「あ、びっくりした・・・まあほら、泣き止めよ?」
「ううう・・・」
「ははっ!なんでちゃんとできたのに泣いてるんだよ?」
「ぐす・・・そうなんですけど・・・・」
(変な奴だよなあ。)
紫希はよく泣くと思う。
でもじゃあ泣き虫かと言われるとそれも違う。
皆が普通泣くだろと思うようなきつい場面では絶対に泣かない。
そうかと思えばここで?みたいな時に泣く。
丸井は紫希のこういうところが面白いと思っていた。
それに、好きだった。
そう思われているとはまったく知らない紫希は、変なタイミングで泣いて恥ずかしいと内心で思って、ハンカチでやや急ぎ気味に涙を拭った。
泣いてる場合じゃない。
自分も伝えたいことがある。
「あの・・・」
「うん?」
紫希はさっきしまい直したクリップをまた出した。
「これ、お返しします。忘れないうちに・・・」
「・・・・んー。」
「え?」
「いや、まあ良いや。サンキュ。」
今丸井は、一瞬何か考えるような目をしたが、とりあえず受け取ってくれて紫希はホッとした。
気がかりがあると、気が散って話に集中できなさそうだったから。
話したいことがある。
だから、図々しくもここまで時間割いてもらったのだから。
「それから、あの、私丸井君にずっと話したかったことが・・・」
「うん?」
「・・・今日は、本当にありがとうございました。」
「?おう、でも俺別に見てただけで、」
「あの、見ていてくれたこともそうなんですけど・・・そうじゃなくて、もっと色々・・・ここまで、沢山助けてくれて、ありがとうございました。
皆に黙っててくれたり、
紀伊梨ちゃんにバレないようにしてくれたり、
出来るって励ましてくれたり、
練習させてくれたり、
歌ってくれたり、
電話で相談に乗ってくれたり、
他にもいろいろ、いろいろ沢山・・・」
数え上げるとキリがないくらい、丸井は良くしてくれた。
いつも助けられた。
もちろんビードロズのメンバーだってすごく助けてくれた。
紀伊梨はいつも喜んで手を引いてくれたし、
千百合も何も聞かないで受け入れてくれたし、
棗に至ってはずっと練習に付き合ってくれて頭が上がらない。
けど、丸井なんてそもそもメンバーですらないのだ。
「丸井君は友達じゃないか、って言うかもしれないですけど、でも私は、そうは思えないんです。友達だからって言うだけじゃ片付かないくらい、本当に、本当にいろいろ、いつも助けてくれて、
だから、あの・・・本当にありがとうございます。気の利いた言葉も出てこなくて、申し訳ないんですけど、本当に感謝してます。
今日ステージでやれたのは、皆と丸井君のおかげです。何回言っても足りないですけど、ありがとうございます。」
作詞担当なんて言ってる割に、上手い言い回しのひとつも思いつかない。
でも、思いつかない美辞麗句を考え続けるより、とにかく伝えたかった。
今日。
今。
後でじゃなくて、今が良い。
「・・・聞いてくれてありがとうございます。どうしても、今日の間に伝えたかったんです。」
「・・・うん。」
続けて言いかけて、丸井はちょっと息を吐いた。
苦しい。
胸が苦しい。
息が苦しい。
紫希の声を聞いて、顔を見ていると、どんどん胸が詰まるように苦しくなってくる。
不快じゃない。
むしろ不思議と、このままで良いとさえ感じる。
でも話しにくくなるのはちょっと困る。
ちょっとだけ。
いつもの自分の声が出ないような気がするから。
「・・・どういたしまして。こっちも楽しんだぜ、サンキュ。」
「ふふ。そう言って頂けたら嬉しいです。」
「本当だって。」
「い、いえ!謙遜とかじゃなくて!大丈夫です、信じてますから、」
「そうじゃなくて。」
「え?」
「本当だからな。俺、本当に良いステージだって思ったから。技術とか完成度とか、そういうのはよくわからねえけど、すごかったぜ。」
ステージは、試合じゃない。
勝ったとか負けたとか、そういう分かりやすい物差しが無い。
レインボーフェスタでは賞をもらったが、あれもあれで特別な例だ。
文化祭も歓迎会も、誰かが評価してくれるわけじゃない。
1位も2位も無い。
だからきっと、紫希は自分でわからないだろうと思う。
今日のステージが、どんなに輝いていたか。
眩しくて、眩しくて、ちょっと泣きそうになるくらいだった。
「俺も、上手い言い方思いつかねえからさ。芸がない言い方になっちまうけどー--すげえ良かった。かっこよかった。」
「・・・・・・・」
「見れて良かった、って思った。本当だからな?それに・・・はははっ!また泣いてんじゃんか。」
「す、すいません、つい・・・・」
いけないと思いつつ、紫希はまた涙ぐんでしまう。
「良かった、本当に・・・私、正直途中まで、頭が真っ白になっちゃって、」
「え?弾いてたじゃん?」
「なんというか、そうなんですけど、あれは体が勝手に動いてただけで・・・こう、妙にふわふわした感じというか、地に足が着いてないような・・・・」
「ふうん?まあでも、緊張したときってそうだよな。」
「はい。だから、ちゃんとできてたのか心配で・・・ちゃんとできてるのかどうかも、自分で良く分からなくなってしまって・・・」
このぼんやりした状態のまま終えてしまうのかと思った。
意識を引き上げてくれたのは。くれたのはー--
「・・・ありがとうございます。」
「ん?」
「私、演奏してる時に皆が見えて、丸井君が居てくれたのも見えたんです。ああ、聞いてくれてるんだって思って・・・嬉しくて、それで持ち直せたんです。丸井君が一緒に居てくれて、本当に良かったです。ありがとうございました。」
今もはっきり焼き付いている。
見ているようで何も見えてないあの視界の中で、メンバーが見えて、観客の中に丸井が居るのが見えた瞬間。
どんなに嬉しかったか。嬉しくて、心強くて、何でもできそうな気がして。
(・・・・あれ?)
どうしてだろう。
もうステージは終わったのに。
ここには苦手なものも、怖いものも、やらないといけないこともないのに。
それなのにドキドキする。
すごく大事な場面に居る時みたいに、鼓動が早くなる。
「どうした?」
「あ、いえ!何でも・・・あ!そ、そうです、もうひとつ・・・」
「うん?」
「これ、持ってきました。」
紫希は、くすみブルーのしずく型チャームが付いたシャーペンを出した。
余分なペンを。と言われたから持参したやつ。
「お、サンキュ♪」
「いえ。それで、これをどうすれば良いんですか?」
「貸して?」
「はい。」
丸井はシャーペンを受け取ると、しげしげと見つめた。
「これ、借りといて良い?」
「え?ええ・・・大丈夫ですけど・・・・」
借りてどうするつもりなんだろうか。
別に余分なシャーペンなんて、そこらに沢山持ってる人が居るだろう。
わざわざ手紙に書いて、持って来いと念押しするような大層なものじゃあるまい。
「いつまでに返ってこないと困る、とかある?」
「いえ。別に差し上げても良いくらいですけど・・・」
「OK!じゃあ遠慮なく。」
「あの・・・」
「うん?」
「何に使うんですか?」
「返しに行くのに。」
丸井は悪戯が成功した時みたいな顔で笑った。
「・・・・ん?」
「そのうち返しに行くから。」
「はい・・・」
「で、そのとき今度は俺のペン貸してやるよ。」
「へ?」
「返しに来いよ?いつでも良いから、今日みたいに。」
「今日みたいに・・・・?」
江野は言った。
紫希は、気を使っているのだと。
もう入学してずいぶん経ち、すっかり学校に馴染み、丸井の周りには友達が増えた。友達だけじゃない。「テニス部の」丸井ブン太と話したがる人も増えて、いつも丸井の周りには誰かしらが居るのが普通になっている。
紫希はそういう時、いとも簡単に引いてしまう。忙しそうだからと人に譲る。
幸村も人気者ではあるが、こと友達の人数の多さと言う意味では丸井の方に軍配が上がる。
寄ってくる女の子にしても、幸村相手だと遠くから眺める子も見受けられるのだが、丸井には堂々と近寄ってくる子の方が多い。
だから紫希には経験が無い。
人の群れに割って入っていったことがない。
だから遠巻きに見て、忙しそうと思っては接触を諦める。
丸井も江野に言われたらすぐにわかった。
いかにも紫希の考えそうなこと。
でもそれは困る。
紫希は我慢できても丸井は嫌だ。
だから作ることにした。
話しかけて良い理由。
本当は理由なんか要らないけど、紫希にそれが通じないのは知っているから。
「・・・・・・・」
「クラスの奴らに頼むなよ?」
「はい・・・・」
「返しといてあげるね、って言われても断るんだぜ?」
「・・・・はい。」
「ってわけで、まだ持ってて?」
「え?」
「貸してくれんのは、帰り際で良いって。」
クリップだって、紫希は「忘れたらいけないから」と言ってたけど、忘れてくれても良かったくらいだった。
忘れたら、また来てもらっても良いし、自分が行っても良い。
そしてまた忘れても、それはそれで良いと思う。
「で、でも・・・・」
「うん?」
「・・・・良いんです、か?」
紫希も察しが悪い方じゃないから、丸井が何をやろうとしてくれてるのかは何となくわかる。
わかるけど、それは良いんだろうか。
本当に良いんだろうか。
だって自分は、丸井のたーくさん居る友達の中の、たった一人でしかないのだ。
一人一人にいちいちこんな気使ってちゃ、大変だろうと思う。
でも丸井は、実にあっさりといつもの顔で言う。
「良いよ?」
まるで、本当にペンの貸し借りをしているようなライトさだった。
違うのに。
このペンは、権利を具現化したようなものなのに。
これがあれば、いつでも丸井の元を訪ねて良い。
そういうフリーパスのようなもので、そんな大事なものをこんなあっさり得ても良いのか。
そんなバカな、と紫希は思った。
思ったけど。
「良いよ。」
念押しのようにもう一度そう言った丸井の声音は、眼差しは、紫希が何考えているのか分かってるようだった。
分かっていて、それで良いんだよと言ってくれてる気がした。
「・・・ありがとう、ございます。」
「おう。」
1本200円かそこらのシャープペンシルが、宝物になった瞬間だった。