昨今、精神的な病についてはたくさんの研究が重ねられ、症状が分類されたり名前が付いたり薬が出されたりしている。
そんな中で、千百合の母、純子のこの症状を何というのか、幸村は知らない。
というか、誰も知らない。誰も純子を病院に連れていかないからだ。
何でも、昔一度だけ行った事があるらしいが、「精神的なもの」と言われて、それ以降行ってないらしい。
幸村は、千百合に聞いたことがある。なぜ病院に連れて行かないのか。
『なんで。』
『え?』
『病院に連れて行く理由なんかある?』
そりゃ、お母さんが行きたいならついていくけど。と付け加える千百合は、自分の母が病院にかかりたいと思ってないことなど、お見通しのようだった。
『・・・治してあげたいと思わないの?』
『別に。一切出られないってわけじゃないし、皆一緒なら普通だし。お母さんも私も皆も、別にそこまで不便感じてないから。』
だから良いの。
そう言った頃の千百合は小学2年生で、友達ではあったけど、まだ付き合うなんてまるで想像していなかった。
それでもあの横顔を覚えているのは、あの頃からすでに彼女に惹かれ始めていたからだろうか。
「大丈夫ですか?」
「うん、大分楽・・・ありがとう、幸村君・・・」
「ふふ。いえ、大したことじゃ。」
不思議な話だが千百合にそう言われて以来、幸村も「そこまで言うほど困ったことじゃないのかも」と思うようになった。
ちょっと不便なだけ。
別に心身が健康であっても、環境次第でちょっとした不便に付き合っていかなくちゃいけないのは、誰しも似たようなもの。
「あの、精市君・・・」
「はい?」
「あの・・・AKBって・・・」
「え?AKB48ですか?」
「知ってる?」
「あまり詳しくはないですけど、有名なので名前くらいは。AKBが、どうかしましたか?」
「あそこのさ、もう卒業したアイドルが・・・」
「はい。」
「私の事は嫌いになっても、AKBのことは嫌いにならないでって・・・」
「へえ、そんなことを。」
「だからその・・・」
「?」
「わ、私の事は嫌いになっても、千百合のことは嫌いにならないで・・・」
「・・・・ふっ!あははははは!あはははは!」
幸村は思わず笑ってしまった。
何をいまさらそんなこと。
「おばさん、自分のせいで俺が千百合を嫌いになるかもとか考えていたんですか?」
「だって・・・」
「あり得ませんよ。おばさんはおばさんで、千百合は千百合ですから。」
「そ、そう・・・」
「それにそもそも、俺はおばさんが嫌いじゃないですよ。」
「・・・・・・・」
「おばさん?」
「私は自分のこと嫌いだなあ。」
純子は、今日の天気は雨だなあと言うようなノリでそう言う。
「買い物ひとつ、ひとりで行けないんだよ。この年になって。」
「でも、最近ちょっとづつ、行けるようになってるんでしょう?」
「え、」
「千百合から聞いています。3件隣のコンビニになら、行けることもある。ようになってきた、って。」
だから今日も幸村は、見つけた瞬間思った。
ああ、練習してるんだと。
ひとりで、どうにかできるようにしようとしていて、でも途中でやっぱり失敗してしまって、往生していたのだ。
「高いハードルに挑戦してるんですから、こんなこともありますよ。」
「・・・・・・・」
「できるようになるまで、やり続ければ良いんです。最後にできれば、それで良いんですから。」
(この子、こういうとこがいかにも、って感じなんだよねえ。)
幸村は、できなくても良いよ、とは言わない。
自分の夫とも息子とも娘とも違うな、と思う所がここにある。
できるまでやれば良い。
それはつまり、最後にはできるようになっとけよ、ということであって。
「解せないよなあ・・・」
「え?何か言いましたか?」
「あ、いやごめん。ちょっと独り言。」
「?そうですか。」
この向上心の塊みたいな少年と、あの無気力な娘の何がそんなに噛み合うのか。
母、純子は未だによく分かってない。
実は娘も分かってないことを、純子は知らない。