片倉にファイルを返した後、紫希は廊下に立ち止まって、空き教室の壁にもたれかかっていた。
その状態で、ノートを開いて中を読む。
ページをめくり。
めくり。
めくり。
戻し。
めくり。
戻し。
戻し。
めくり。
戻し。
めくり。
めくり。
めくり。
戻し・・・
「よっ!」
「きゃあっ!あ、ま、丸井君・・・・」
「ははは!お疲れ。」
「はい、お疲れ様です・・・あれ?どうしてここに居るんですか?皆は・・・」
「ああ、何かさっきLINE来てたぜい?五十嵐つれて、ご褒美の買い食いしとくから、追いつけってさ。俺は待ってるつもりだったから、残ってるけど。」
「えええっ!?ご、ごめんなさい!待たせてるなんて知らなくて、私、」
「良いって。それより、それ何?」
「え?」
「すげえ真剣に見てたけど。勉強?」
紫希は知らないだろうが、さっきノートを見ていた時の紫希の顔は、何かを深く深く考えているような顔だった。
さっきライブが成功したとは思えない顔、と言い換えても良い。
丸井に尋ねられると、紫希はノートを抱える手に、無意識に力が入る。
「・・・これは、詞のメモで・・・」
「ああ!そこに作詞書いてるってこと?」
「ええと、ちょっと違ってて・・・清書用があるんです。こっちは本当にメモと言うか、いろんなフレーズを書いていて、書き込みとかたくさんしてあるんです、けど・・・」
「ふうん?」
それはわかったが、それをなぜあんな顔で読まなくてはいけないんだろうか。
丸井が暗にそう聞きたがっているのを感じて、紫希はあまり軽く開かない口を開いた。
「・・・あれで、良かったのかな、って・・・」
「へ?」
「今回に限らないんです、他の曲でも多かれ少なかれあるんですけれど・・・決まった後に、本当にこれで良かったのかな、って・・・もっと良いフレーズがあったんじゃないか、こっちの言い方の方が良かったんじゃないか、って考えてしまうんです。」
じゃあそっちにしたら、とかそういう話じゃない。
フレーズを変更した所で、結局「本当にそっちで良いのか?」という自問自答からは逃れられない。
結局どっちかに決めるしかないし、そもそも時間だって無限じゃない。
だからいつも、自分にできる精一杯で作詞をしているけど、それでも「本当にこれが最良か?」という問いを振り払えないのは、紫希の性格ゆえだ。
立海テニス部は、「勝て」が部是である。
言い換えると、勝ちさえすれば、勝ち方は別にどうでも良いとも言える。
その点、詞は違う。
勝ち負けとか点数とかそういうものがない。
基準が無い。
価値を自分しか決められない。そして紫希は、自分の価値を自分で決めるとか、そういうのがすごく不得手であった。
「今日の曲も・・・ライブはすごく良かったですけど、あの曲もこれから先、チア部に使われるものなので・・・・」
「・・・・・」
「・・・結局考えても答えは出ませんから、あんまり考えすぎないようにはしてるんです。でもやっぱりこう・・・どうしても意識がそっちに囚われる時って言うのがあって、今みたいにお披露目直後なんかは特にーーー」
「春日。」
「はい?」
「ありがと。」
紫希はきょとんとして、目を丸くした。
「・・・何がですか?」
「応援歌作ってくれて。すげえ気に入ったぜい、あれ。曲も詞も。」
あれは全部、自分達の為にやってくれたこと。
作曲は紀伊梨、編曲は棗、詞は紫希。
そういう担当なのは前から知っていた。
知っていたけど、誰かが本当にこんなに本気になって、1曲作り上げてくれる。
それがどういうことか、丸井は今初めて身をもって知った気がした。
紫希がビードロズに詞を捧げても、それはある意味では当然と言いうか、役割を果たしているに過ぎない。
代わりに紀伊梨と棗は曲を捧げ、千百合は演奏で返す。持ちつ持たれつで、ビードロズは回っている。
でも今回は違う。
テニス部は、一方的に貰う側。
ありがとう、が出てくるのは当然だと思うが、同時に紫希にとってはとても慣れないことでもあった。
作詞をして、人から礼を言われる日が来るなんて。
ああ。
でも。
演奏やあれこれを抜きにして、純然たる観客が出したものを認めてくれるのは、なんだか。
「・・・ありがとうございます。」
「あはは!なんでお前がありがとうなんだよ、今は俺がそう言う立場だろい?」
「いえ。私・・・あれは、テニス部とチア部のために考えたものですから。ですから、テニス部の丸井君が気に入った、って言ってくれるのがとっても嬉しいんです。本当にありがとうございます。」
ビードロズに詞を書いているのとは、種類の異なる満足感。
初めての温かい感覚に笑みを零した紫希は、もうノートを見て難しくしていた表情がすっかりかき消えていた。
「あれ?春日さん、まだ残ってたの?あれ、それに丸井・・・え、まだ解散してないの?」
「片倉君。」
「よ!解散はもうしたけど、ちょっと立ち話。」
「あ、そうなんだ。びっくりした、もう帰ったと思ってたよ・・・丸井、何か良いことあった?」
「なんで?」
「いや何か、すごい機嫌良さそう。」
「そお?」
「ああでも、丸井君ってそもそも、そんなに不機嫌にはならないタイプですよね。」
「まあな!ぶすっとしてたってつまんねえし?」
「ああいや、それは聞いてるんだけど、それはそれとしてやたら上機嫌と言うか・・・まあ良いか。」
もう帰るの?一緒に帰る?と2人に誘われたけど、片倉は断った。
それくらいの空気読みスキルは、生徒会の人間なら大抵ある。
片倉も、御多分に漏れなかった。