カーラを追って行った一同は、程なくして微妙な気分に包まれだした。
急いで捕まえないと、と思っていたのだが、しばらくしてわかった。
急いで捕まえる必要などないのだ。
カーラはあくまで、のそのそ歩いているし。
この辺は1本道で、見失っても散会の必要などない。
さりとて、戻るのもこの場合微妙なので、そのまま歩みを進めていたが。
「・・・・・・」
幸村はちょっとスピードを緩めて、羽織っていたカーディガンを脱いだ。
「どうぞ、千百合。」
「え?」
「ふふっ。肌寒いんじゃないかと思って。」
「・・・・じゃあ。ありがと。」
「うん。」
思って、と一応言うが、幸村的にはほぼ確信に近かった。さっきから千百合は、なるべく手を袖から出さないように頑張っている。
厚意に甘えて袖を通すと、暖かくてホッとした。
「・・・・・・・」
「どうしたんじゃ、なっちん。」
「あ、いや。うん・・・・」
「?」
昨日も、同じ光景を見た。あの女性に会う直前こんな風に暗い廊下で、紫希が寒がって丸井が上着を貸した。
そして自分も肌寒いと感じている所も一緒。
さっきまで、別に何ともなかったのに。
なんだか、今は室温が急に2~3度下がったような感じがする。
この場で昨日も居たメンバーが自分だけなので、誰も気づいてないようだけど。
「そんな寒いかなー?紀伊梨ちゃんわかんないなー。」
「寒いとは言わないけど・・・さっきよりは涼しい気がするな。」
「湿度のせいではないか?」
「湿度?」
「霧がまた出てきただろう。」
真田の発言に、一同は窓を見た。
確かに。
昨日のような深い霧が、また出ている。
「すごいねー!」
「うむ。日本とは比べ物にならん。どうやら、夜になると出るらしいな。」
紀伊梨はあまり深いことを考えない。
真田も、あまり薄気味悪いだのそういう感覚的なことは考えないので、あまり気にしていないが、他のメンバーはどうしても何かいろいろ考えてしまう。
日中のあの晴天。
それが、夜になった途端、こうも急に何も見えなくなるものだろうか。
本当か?
などと考えていると、ごく近くから笑い声が聞こえてきた。
棗にとっては昨日も聞いた声だ。
「Hello.」
彼女は、窓の外に立っていた。
今日は窓から廊下に身を乗り出し、笑って手を振っていた。
「わ、びっくりした!誰!?」
「あ、あの人あの人!」
「何がじゃ。」
「カーラの飼い主!」
「「「え?」」」
この場で昨日居たのが棗だけということは、つまり、彼女がカーラの件の依頼者だということを知ってるのも棗だけなのだ。
何も知らなければ、不審者でしかない。
「あれ?そーいえばカーラちんは?」
「(もう居なわいよ。庭へ出たから。)」
「え?なんて?ガーデン?お庭?」
「たわけが・・・もう庭に出た後で、ここには居らんと言ってるんだ。」
「あ、そなの?」
「棗、彼女の名前も確か・・・」
「そう。聞くの忘れちゃって。」
「あほ。」
「ごめんて・・・っていうか、昨日は俺だけじゃなかったじゃん・・・」
「そっか、昨日はブン太と春日と柳生と黒崎だったから・・・」
「3/4居らんのか。たまたまとはいえ、話が遅くなるの。」
とりあえず昨日会った人代表として、棗が前に出る。
正直、この人というか、あまり窓に近寄りたくないのだが。
霧で冷えるから。
「(こんばんは・・・)」
「(こんばんは。今日はありがとう、とても楽しんだわ。)」
「(楽しんだ?あなたが?)」
「(彼女がそう言ったのよ。そうそう、私名前を伝えてなかったけれど、貴方達カーラって呼ぶのね。)」
彼女は楽しそうだった。
幸村も棗に続いて前に出ようとしたが、千百合が背中を引っ張る気配がしたので、少し笑った後、近づくのは止めることにした。
離れないで、というよりは、危ないから止めておけ、のニュアンスが強いのだろう。
幸村はこういう千百合の気遣いをとても可愛いと思う。
「(名前がなければ、不便だと思いまして。)」
「(そうね、そう思うわ。)」
「(ただ、ちゃんとした名前が知れれば、もう仮名は要りません。教えていただけますか?)」
彼女は幸村に向かって、きれいに笑って言った。
「(カーラよ。)」
「「「「「「え?」」」」」
「(カーラって呼んで、って本人が言ってたわ。だから、明日からもカーラでお願いできるかしら。)」
「えええええええ・・・・!」
「え?何?何々?桑ちゃん、なんて言ってるの?」
「ええとな・・・何か、カーラがカーラっていう名前を気に入ってるから、明日からもカーラってことで、って・・・」
「あ、そなの?良いよ!おけおけ!」
「おけおけってあんたね。」
「しかしまあ、しゃあないんじゃないんか。」
「そうだね。教えてくれる気は、あまりなさそうだし。」
「(では、あなたの名前はなんですか?)」
真田が切り込んだ。
「(まあ、ペットの名前はよしんば良いとしましょう。しかし、依頼主であるあなたは名乗るべきです。)」
「・・・・hmmmmm.」
当然だが、名前はと聞かれて口ごもる人間と言うのは、みなおしなべて怪しい。
普通はすっと答えられるはずだ。
「(・・・カーラよ)」
「(ふざけているのですか?)」
これは真田でなくとも、大体の人間が同じ意見だろう。
結局。
この人は、自分の名前もカーラの名前も、こっちに教える気がないのだ。
話にならない、と一同ーーー紀伊梨以外の一同が思ったのを、彼女は感じたのだろう。
ずうっと悠然だった微笑みをちょっと崩し、悲しそうな笑みを浮かべた。
「(ごめんなさい、言いたくないの)」
「(何故です)」
「(言うと、連れ戻されそうなのよ)」
「(誰に?)」
「(誰にというより・・・仕事ね。)」
「(仕事?)」
「(私はもう、十分働いたわ。)」
そう言った彼女の顔は、何故かとても老けて見えた。
「(おかげで、体も不自由になった。別に嫌なことばかりだったとは言わないし、恵まれてる部分も大きかったけど・・・でも、もう辞めたの。今戻る気はないのよ。)」
著名な人なのかもしれない。
紀伊梨以外、皆そう思った。
世の中、名前だけであああの人ですか、と言われてしまう人は居る。
ここに居る人間は皆日本人だが、もしかしたら彼女の本名は、イギリス人なら皆知ってるような名前なのかもしれなかった。
幸村辺りは、筋が通ってるなとさえ思った。
何故この地に縁もゆかりもない自分達に、ペットの面倒など託すのかと思ったが、おそらく逆なのだ。
縁もゆかりもない人の方が良かったから、自分達に白羽の矢が立った。
「・・・ねーねー。」
ずっと黙って聞いていた紀伊梨が、桑原の服を引っ張った。
「え?なんだ?」
「今何の話してるの?」
「あ、いや・・・その、あの人の名前を真田が聞いたんだけど、言いたくないって。」
「え?なんで?」
「何か・・・言うと多分、職場?の人?にバレて、仕事に連れ戻されるかもしれないから、って・・・」
「へー・・・お仕事嫌なの?」
「まあ、少なくとも今は嫌だって言ってるな。もうたくさん働いたらしいし。」
「ふーん。じゃーその方が良いね!」
良いのか。
と聞かれて、良いのかどうか極めて微妙と思っていた一同は、紀伊梨が声に出して「その方が良い」と言ったことで、そちらに傾き出した。
良いか?
良いか。
「あ!でもでもそーすると、カーラちんと一緒で、呼ぶ時困るね!」
「ああええと・・・自分もカーラで良い、って言ってるけど、」
「あ、そなの?じゃーカーラおばさんね!よろしく、カーラおばさん!」
どうやら彼女は日本語がわからないらしいが、紀伊梨が自分をカーラ、と呼んでくれる気なのは伝わったようで、パッと顔を輝かせた。
「・・・良いわけ、これで。」
「まあ、どの道彼女はこれ以上、何も言ってくれないだろうしね。」
「それもそうだけどさ。」
「ただ、それはそれとして。」
「精市?」
「(カーラさん。)」
そう呼ぶと、彼女ーーー今しがたカーラということになった彼女は、より嬉しそうになった。
「(なあに?)」
「(今、ここに来た目的はなんですか?)」
さっきカーラは、烏の方のカーラが楽しかったらしいという話をした。ということは、帰って来ないぞという文句の線は消える。
後は単にお礼か。
もしくは、明日もよろしく的なことか。
などと考えていると、カーラは笑って言った。
「(実は今日のお礼に、貴方達に協力したいと思って。)」
「(協力?)」
「(貴方達、勉強に来てるんでしょう?)」
そう。
今回の目的は海外研修だから、その見立ては合っている。
「(貴方達を、幽霊城に招待するわ。我が国の文化史を語る上では、外せないわよ。)」