ことが起こった瞬間、紫希は何が起こったのか全然わかっていなかった。
上から人体に似たものが落ちてくると感じて。
それから丸井が自分を抱えて、バルコニーの外へ飛んでくれたのだ。
というのは、完全に後から考えてわかったことだった。
その場で紫希がわかったのは、真っ暗な視界と、自分を抱き抱える腕。後、至近距離から聞こえる声。
「う・・・・」
「大丈夫?」
「はい・・・え?え、何がーーー」
「ブン太!春日!」
バルコニーからは、心配そうな顔の桑原が2人を見下ろしていた。
柳は隣で2人の状態を目視して、ほっと息を吐いた。
良かった。大ごとにはなっていなさそうだ。
「あれ?ジャッカルと柳?どうしたんだよ?」
「いやそのーーーいろいろあって、本当にーーー何から言ったら良いかわからないんだけどな。」
「まず、俺達のことよりそっちのことが先だ。怪我は無いか?立てるか?」
「どう?」
「え・・・ああ、ええ・・・多分、大丈夫です・・・」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫です・・・というかその、まだ状況が掴み切れてなくて・・・丸井君、は・・・」
「俺は別に?ピンピンしてるぜい。」
手を貸してくれた丸井は、本当にいつも通りだった。
紫希は体力的にというより、精神的にぼんやりして、のろのろと立ち上がった。
元々居たバルコニーを見上げると、桑原と柳。
その少し上に、ぶら下がっている人体っぽいシルエット。
あれは。
「なあ!それって偽物だよな?」
「ああ、偽物だ。」
「偽物・・・だよな?何か、結構本物っぽく見えちまうけど・・・」
「確かに良くできてはいるが、ところどころ塗装が剥げている。心配しなくて良い。」
上から降ってくる、と思ったのは、襤褸を着た白骨の人形であった。
まあ、多分遠目で見たら本物に見えてしまう。
ただし、今は吊ってあるワイヤーががっちり見える。
「おそらく、スイッチか何かで窓から見えるよう降りてくる仕掛けだ。普段は上に吊ってあるから、中からは見えず、外からは樹木が邪魔になって見えないんだ。」
「凝ってる上に迷惑な仕掛けだな・・・」
「そうか?ギミックとしては面白いと思うが。」
「いや・・・悪い、俺はこういうの、あんまり面白いと思う感性を持ってなくてーー」
「おーい、ジャッカル!」
「ああ、悪い悪い!」
2人は桑原と柳に手を貸してもらい、もう一度バルコニーに戻った。
いや。
戻ろうとした。
「春日、登れそう?」
「ちょっと厳しそうです・・・」
多分、1.5mくらいはある。
踏み台も何も無い状態で、ここに上がれと言うのは結構きつい。
手はかかるから丸井はいけるが。
「ええと、ロープか何か・・・」
「いや、それはあまり意味がない。」
「え?」
「春日は握力が弱い。ロープを登ったり、捕まり続けたりするだけの握力がないんだ。途中で落ちる確率は、ざっと見積もっても8割以上だな。」
「ああ、そっか・・・・」
柳と桑原が悩んでる間に、丸井は紫希の服を見た。
紫希は今、ジャージである。
パジャマ代わりのジャージ。
というか、皆そうなのだが。
まあ、だから。
スカートではないわけで。
「んじゃあ、俺が台になるか!」
「・・・へ?」
「騎馬戦みたいにさ?ほら手の上に足かけて、こうひょいっと。」
「玄関から入り直します。」
「ははははは!」
「無理です!無理です無理です、できませんから、」
「上に2人居るんだから、引き上げてくれるって。」
「それだけじゃなくて、人の手に足をかけるっていうのがもう嫌なんです!それこそ騎馬戦でもないのに・・・!」
かけられる側なら良いのだ。
かける側だから困るのだ。
紫希は、騎馬戦の上の方も極力やりたくないと思うタイプだった。
人の上に乗って、人のハチマキを奪うなんて、とてもできない。
あまりに向いてない。
「丸井。春日の言うとおりだ。」
「ん?」
「高さからして、騎馬戦のやり方はあまり効果的じゃない。あれは、飛ぶ側に跳躍力があってこそだ。」
「・・・そう?」
「ふう・・・」
「そうなのか・・・じゃあ、どうするんだ?」
「丸井が抱えれば良い。」
「「「え?」」」
「足を持つんだ。春日が立った状態で、足を抱えて押し上げてもらう。そうしたら上へ登る力が補助できるから、随分楽だ。」
「遠慮します!」
ある意味では騎馬戦スタイルよりも嫌だった。
踏まなくて良くなった点だけは良いが、完全に抱えられるとなると、もうなんか色々と無理。
「落とさねえって、心配すんなよ♪」
「そういう話じゃないです!だって重いですし、」
「すでに丸井は、お前を横抱きで抱えた経験がある。さして苦労でもなかった。体重は気にしなくて良い。」
「そ・・・いやまあ、うん・・・そうだな。」
柳はわざと、淡々と事実だけ並べているのだ。
それが最善手だけど、心理的に嫌と言う気持ちもわからないではないから。
「玄関からーーーー」
「止めた方が良い。どんなギミックがあるかわからない。まあ今頃は流石に幸村辺りが絞っているだろうが。」
「絞る?」
「俺達もよくわからないんだけど・・・何か、仁王と黒崎がギミックを動かせるコントロールルームみたいなのを見つけてたらしくってな。屋敷の仕掛けは、それで動いてたんだ。」
「!じゃ、じゃあ!」
「ん?」
「あの、ここに来る前にウィジャボードが動いてたんですけど、それはーーー」
「ああ、おそらくそれもギミックだろう。どうかしたのか?」
(良かった・・・・!)
良かった。
本当に良かった。
あれは紫希の心情に反応して動いたんじゃなかったんだ。
つまり、あれは誰のプライベートも指していなかった。
良かった。本当に良かった。
「別にギミックじゃなくても良かったけど?」
「良くありません!って、ああそうでした、もうギミックは高確率で止まってるんですよね?ですからやっぱり、玄関から入り直しーーーきゃああっ!?」
「はいはい、じっとしてろい。」
ウィジャボードの話に気を取られてる間に、丸井は紫希の膝裏に腕を回して、抱え上げた。
「待って!止めて!下ろしてください!下ろして!」
「だーめ。」
「丸井、もっと下だ。」
「下?」
「脛の当たりに手を回すようにしろ。それから、もっとバルコニーに近づいてからで良い。」
「あ、そう?でもまあいいや、下ろしたら逃げそうだし。」
「お願いです止めて、下ろして・・・!」
暴れたら余計重いので、なすすべもなく大人しいまま、紫希は真っ赤な顔で運ばれる。
丸井は面白そうな顔さえしているが、同い年の女子を一人平然と抱えられている時点で、相当アレではある。
テニス部だったら皆できるので、誰もいちいちすごいねーみたいなこと言わないけど。
(それはそれとして、女子に対してあれは良いのか・・・?)
「桑原、準備をしておけ。」
「え?」
「春日がここまで来たら、上まで引っ張るのは俺達の役だ。」
「あ、ああ!そっか、そうだな。」
でも、そのためにはまず、丸井がここまで来てくれないといけないんだけど。
なのに、その丸井は「このままくるっと回ってやろっか?」みたいなこと言って茶化してばっかりなので、全然来てくれないんだけど。
上着持ってきて良かった、と吹きさらしのバルコニーで桑原は思った。