(はあー・・・・)
紫希はレンタルテニスコートを興味深くしげしげと見つめる。
此処は駅からほど近い私営のコート。
ラケットからボールから何から、全部貸してくれるので手ぶらで良い。
「来た事ねえの?」
「はい、初めてです。」
「マジかよ?幸村君に教えて貰ったりしてねえんだ?」
「そうですね、私は見るだけで満足というか・・・自分でやろうと思った事はないです。見てるだけで楽しいですし。」
(それに運動は苦手です・・・)
嫌いではない。
嫌いではないけど極端に下手だから、誰かとやると必ず足を引っ張るのだ。
チームでやると味方の邪魔になり、対戦すると弱すぎて話にならず。
「2人お願いします。」
「はい。お時間どうなさいますか?」
「ええと・・・」
「取り敢えず2時間♪」
「はい。ではお一人様500円お願いします。」
受付のお姉さんがそう言った途端、パシ、と音がして丸井の左手が紫希の右手を捕まえた。
「一応聞いとくけど。」
「はい・・・」
「まさか、1000円出すつもりじゃねえよな?」
(どうして分かるんです・・・!)
返事に詰まる紫希に丸井は苦笑した。
そんな事だろうと思った。
「でも!私がお願いしてるんですし、付き合って頂いてるんですから、」
「そんな事言い出したら、これから先俺がどっか誘う度に奢らないといけねえって事にならねえ?」
「私は良いんです。」
「新種の我儘かよ。」
丸井は思わず吹き出した。
初めて見たぞ、こんなダブルスタンダード。
「兎に角ダーメ。割り勘割り勘。」
「そんな・・・」
「生徒は先生の言う事聞くもんだろい?割り勘じゃなきゃ、俺教えねえからな。」
「・・・ううう。」
漸く諦めてお札をしまう紫希。
最近ちょっと、紫希のやりそうな事が分かってきた。
「はい、では丁度頂きます。此方の券を持って、3番コートの方にどうぞ。ラケットとボールはご入り用でしょうか?」
「はい、お願いします。」
2人分のラケットと、3個1セットのテニスボールを渡して貰って中へ入ると、そこかしこからボールの音が聞こえる。
コートごとに与えられているベンチに荷物を下ろした所で、丸井はあ、と声を上げた。
「悪い、ちょっと待ってろい!もう一回受付行って来る。」
「?はい・・・」
何の用だろうか。
まあ間もなく戻ってくるだろうとは思うが。
「・・・・・」
パコーン、パコーン、と響く音。
他の客の喋る声。
運動の苦手な紫希は、そもそもこういう施設に殆ど来た事が無い。
せいぜいスポッチャに皆で行く程度の物で、勝手が何も分からずどうもリラックスし辛かった。
(色んな人が居る・・・)
上手い人ばかり居るのだと紫希は思い込んでいたが、此処はスクールではない。
見るからに初心者の人も居るし、親に練習の相手をして貰っている小さな子供も居る。コートとコートはネットで遮られているので、お互いに姿は見えるがボールが飛んで来るような事はない。
皆楽しそうだ。
自分は同じようになれるだろうか。
楽しいと思えるだろうか。
それを確かめにきたんじゃないかと言われれば、それまで、なのだが。
「春日。これ・・・」
戻ってきた丸井は、思わず言葉を途切れさせた。
コートに入らないで、そのくせコートの方をジッと見つめて、背中に不安を背負うその姿。
幸村の長い友人なのに、テニスに一切触れた事がないなんてそんな事あり得るのかよと思っていたが、どうやら本当だ。
紀伊梨から何かの折に、紫希は運動が苦手だと聞いた事もある。
多分、下手だから迷惑かけるとかそういう事もあって二の足を踏んでるのだろう。
「・・・春日!」
「あ。お帰りなさい丸井君・・・それは?」
「借りてきた。ラケットとボール以外もレンタルしてくれてたから。見た事ねえ?」
丸井が持っているのは、重りにゴムひもの付いたテニスボールがくっついているもの。
打ったら戻ってくるアレである。
「先ずはこれでちょっと打ってみて、ラリーとかはその後な。」
「ラリー!?」
「何吃驚してるんだよ、そりゃあやるだろい?」
「無理です!そんなの、私運動神経鈍いのに、」
「だーいじょうぶだって、出来る出来る!大体、テニスなんて対人競技なんだから相手が居ねえと面白くないって。」
「う・・・」
なんという正論。
「でも私、本当に本当にこういうの苦手で、下手で・・・」
「やりたくねえ?」
「え?」
「テニスしたいから、此処に来たんじゃないのかよ?」
「そ・・・」
それを言われるとぐうの音も出ない。
「・・・そう、ですけど・・・」
「ならやろうぜ?大丈夫、安心しろい。」
丸井は何時もの、自信に満ちた笑顔でウインクした。
「優秀な先生が、キッチリ教えてやるから!」
紫希は本当に不思議で堪らない。
どうして丸井は何時もこんなに余裕で居られるのだろうか。
でも、この笑顔は何時も紫希の不安をサッと霧散させる。
「・・・分かりました、頑張ります!よろしくお願いします!」
「オッケー!」
任しとけ、という丸井の言葉に、紫希は漸く緊張が綻び始めた。
「あ、そうでした、丸井君。」
「ん?」
「あの、私、服どうですか?大丈夫でしょうか?」
「服?」
服、と言われて丸井は紫希の全身をサッと眺めた。
至ってシンプルなトップスに体温調節用の軽い上着。
私服は殆どスカートしか無かったけど、今日はタンスに1着しかないキュロット。
そしてスニーカー。
紫希的に精一杯運動に適した服装で来たつもりなのだが、何分普段殆ど一切スポーツしないので、本当にこれで十分動けるのか自信が無い。
しかし丸井は表情一つ変えず、ケロッと言った。
「良いんじゃねえ?可愛いと思うぜ。」
「へ!?」
違う、そうじゃない。
「あ、あの!違うんですそうじゃなくて、この格好でテニス出来るのかなっていう確認を・・・!」
「あ、なんだそっちか?感想求められてんのかと思った。」
「違います・・・!」
「ははは!ま、春日なら今日の服褒めて欲しいとかそういう事言わねえだろうし、変だなと思ったんだけどよ。」
お世辞と分かっていても、男子から可愛いなどと言われると狼狽えてしまう。
幸村も棗もこういう褒め方はしてこないから余計に。
「でもそういう意味なら、今の服で十分。」
「本当ですか?」
「おう。GWの時着てた、ロングスカートとかだったらちょっと厳しかったけどな。」
「ですよね・・・」
タンスの中にあるボトムスの殆どはそのロングスカートなのである。
今日の為にわざわざズボンを1本買わないといけないか、と思ったほどだ。
「あ、でも。」
「はい?」
「それはそれとして。可愛いじゃん、って思ったのは本当だからな?」
オッケー?と楽しそうに聞き返してくる丸井に、オッケーじゃないです、と真っ赤な顔の紫希はしっかり反論するのだった。