夕日の差しこむ部室棟で、可憐は足をぶらつかせながら勉強に勤しんでいた。
「ええと、ここでロブを上げた時に注意しないといけないのは、リターンが・・・」
「可憐ちゃん、お疲れさん。」
「あっ!忍足君っ!」
こうして2人で、此処で勉強すると言うのもすっかり慣れた光景だ。
「今日は、堪忍な。途中からでも行けると思うててんけど、捕まってしもて。」
「ううんっ!そんな日もあるよ、気にしないでっ!」
可憐がそう言うと、忍足はおおきに、と言って顔を緩ませた。
「ほんなら、始めよか。」
「うんっ!・・・あ。」
そうだ。
昼に会えなかったから、結局忍足にはまだ聞けていない。
「?どないしたん?」
「あっ!いやあの、勉強しながら軽ーく聞き流してくれて良いんだけどねっ?」
「おん。」
「そのー、恋って、何だと思うかなあって。」
忍足のメモを取り出そうとした手が止まった。
「・・・えらい唐突やな。どないしたん?」
「わ、私がどうって話じゃないよっ!?ただ、怪我の事で、千歳ちゃんの事考えちゃって・・・」
「ああ、成程な。しかし、恋なあ。」
なかなか奥深い問題である。
甘く見んなよ永遠のテーマを、と言った某国民的アーティストのメッセージは正しかった。
「・・・そもそも論になってまうねんけど。」
「?」
「木崎さんのあれはほんまに恋なんやろか。」
「えっ!?」
なんと吃驚、ここでまさかの前提の撤回である。
「す、好きじゃないのっ!?」
「いや、好きじゃないとは言わへんけど、いや言うてるようなもんやな。ううん、どない言うたらええやろ・・・可憐ちゃんは、恋に切っ掛けって、あると思わへん?」
「切っ掛け・・・?」
「一目ぼれは例外やけど、誰でも好きになるまでに、その人に色んな気持ちを持ってるもんやろ?友達からやったら友情とか、先輩とかやったら尊敬とか。お世話になってたら憧れ、仲間やったら連帯感。・・・逆に、最初は腹の立つ奴やと思ってたんが、徐々に見直す様になって、とかもあるやろし。」
「あ、そういう事だねっ!うんうん、分かるよっ!」
「木崎さんの場合、それは執着なんやないやろか・・・って、俺は思うねん。」
「・・・執、着。」
「宍戸からも聞いたけど、病気してたんやろ?それで甘やかされて、あんな性格で、殆ど学校にも来られへんくて・・・ってなったら、学校生活めっちゃ過ごしづらいと思うねん。」
「そうだね・・・」
「そんな中で優しゅうしてくれる奴が居った。ってなったらなんちゅうか、そいつが唯一無二の、心の拠り所みたいに思えてしまうんやないやろか。」
それはまるで、砂漠を彷徨っていてオアシスを見つけたような。
或いは長い間海を漂流し続けて、漸く陸地に辿り着いたような心境なのかもしれない。
「勿論、だから好きじゃないんやとか言うつもりはないで?切っ掛けはどうあれ、その人を好きなのには変わりない思うしな。ただ、木崎さんはまだ「恋してる」状態っちゅうより・・・」
「・・・「執着」の方が大きいように思う?」
「俺にはそう見えるわ。」
「成る程・・・」
忍足は木崎に会った事はない。
でも、話に聞いているだけでも、如何に木崎がその好きな人とやらに必死かは分かる。
その必死さが、どうもその人にのぼせているというより、その人の優しさにしがみついてるように感じられるのだった。
「まあ、どっちにしろ周りがよう見えへんようになるのは変わりないけど。」
「そうだねっ。」
「でもやっぱり、俺としては、今回の件は恋が原因て言われると、なんや違う気がするわ。恋ってこう・・・」
「こうっ?」
「こう・・・もっと、切のうて苦しゅうて、どうしようもないもんとちゃうかな。」
「どうしようもない?」
「自分ではコントロール出来へんもんやからな、恋って。ある程度まではどうにかなるんかもしれへんけど、そっから先は・・・」
見ないでおこうと思っても目が追ってしまう。
聞かないでおこうと思っても、耳が聞いてしまう。
考えない様にしようと思っても、いつも考えてしまう。
そんなレベルにまで育ってしまったら、その恋はもう本人の手にさえ負えない。
「・・・・・・」
「どないしたん?」
「忍足君は、そんな恋をした事あるのっ?」
忍足はちょっと目を見開いた。
した事無い。
した事無いけど。
「・・・せやな、なんや今の言い方やったら、自分の経験言うてるみたいになってもうたな。」
「違うのっ?」
「俺はそんな恋はした事あらへんよ。あくまで、そんな感じなんちゃうかな、と思うただけで。」
「あ、そうなんだ?てっきりした事あるのかと思っちゃったっ!」
「・・・・・」
どういうイメージなん?と聞きたくなったが、イメージ云々言うのなら、経験も無いのに恋愛観を訥々語る方がイメージに関わる気がする。
「・・・なんや冷静になってきたら恥ずかしゅうなってきたわ。」
「えっ!?なんでっ!?」
「いや、なんの気なしに答えたけど、良い年した男子が何を乙女チックな事言うてんねんってなるやん。」
「えええっ!?そんな事ないよっ!忍足君の恋の意見はそのう・・・ええと、なんて言ったら良いかな、今迄聞いた中で一番・・・そうっ!情熱的っ!情熱的だよっ!」
(それを乙女チックって言うんやないやろか。)
性格上顔には一切出てこないが、可憐の良かれと思っての追い打ちが結構きつい。
余計に恥ずかしい。
でも。
でも実際にそう思っているんだからしょうがないじゃないかという気持ちと、そう思ってしまっている自分を自覚している辺り。
「・・・どっかで夢見てるんやろうな。」
「えっ?何が?」
「ん?ああ、恋の話。」
「?」
「木崎さんの話からは逸れるけどな。経験ないのに恋ってこんなんやろ、って意見してる時点で、「こうやったらええのにな」っちゅう理想みたいなもんが入ってしもうてるんやろなあ、て。」
忍足がそういうと、可憐の目はちょっと輝いた。
「じゃあじゃあ、忍足君ってそういう恋がしたいんだねっ!」
素敵!と言う可憐に、忍足は苦笑を返した。
違う。
無条件にそんな恋がしたいんじゃない。
だって、怖いじゃないか。
目が、耳が、心が、自分の全部がその人を追うようになってしまったら。
そしてその挙句、破れてしまったらと思うと。
(現実は、思うようにはいかへんからな)
全身で恋した人が、全身で自分を好きになってくれるなんて。
それは素敵だとは思うけれど、実際そんな事を成し遂げられる確率が低い事も忍足は分かっている。
リスクと諦めを踏まえた現実。
捨てるにはあまりに甘い、夢に溢れた理想。
その2つの概念を同時に持つ忍足としては、不用意に情熱的な恋をしてみる気にはなれない。
恋をするなら、準備がしたい。
相手は選びたいし、失敗したくないし、玉砕覚悟なんてそんな事出来ない。
「そっか・・・でも、ちょっと意外だったかなっ。」
「顔に似合わずロマンチストやって?」
「違うよっ!茉奈花ちゃんは全然違う事言ってたから。」
網代が。
その言葉に忍足の目がちょっとだけ細まったのを、可憐は見た。
「そうなんや。茉奈花ちゃんはなんて?」
「・・・恋してるにしても、木崎さんはちょっと入れ込み過ぎだ、って。もう少し周りを見た方が良いって。」
「成程なあ。茉奈花ちゃんらしいわ。」
いかにも言いそうな事である。
でも、結論としては真逆でも、根柢の思いーーー傷つかないで恋したい、という点は一緒なのだろうなと思うと、ちょっとおかしい。
「・・・?可憐ちゃん?どないしたん?」
「・・・・・・」
「可憐ちゃん?」
うっすらうっすら、そうじゃないかなーとは思っていた。
それこそ、最初にそうかも?なんて思ったのはもう2ヶ月も前の話。
でもデリケートな話だし、そもそも聞いてどうするのかという話だし、聞いても答えて貰えないかもしれないし、気に障るかもしれないし・・・と延ばし延ばしにし続けて、今もう6月上旬。
でも、今なら。
今なら、聞ける条件が揃っているかもしれない。
「・・・忍足君って。」
「おん。」
「・・・茉奈花ちゃんの事好きなの?」
可憐はドジである。
ドジだけれど、馬鹿ではない。
成績だってトップレベルとは言わないが普通に良い方だし、空気だって読めるし人の機微に鈍いわけでも無い。
だから、分かった。
忍足の顔に、「不意を突かれた」と書いてあったのが。
「・・・・・・」
喉に空気の詰まる感触。
いや、気の所為だ。
空気で蓋をしたいと思う、忍足自身の気持ちが、そういう錯覚を起こしているのだ。
そしてその、蓋をしたいと思う気持ちすらもきっと気の所為。
そうだ、そうに違いない。
だって、今言ったばっかり。
今考えたばっかりじゃないか。
現実は、夢とは違うんだから。
「・・・せやで。」
決意を秘めた忍足の呟きが、夕暮れの部室棟に転がる。