と言って、ゲームを始めて暫く。
決着は着かず援軍も来ず、勝負は膠着していた。
「おら!」
「ふっ!」
「よっ!・・・あー!又当てられたー!」
「当然だろい。」
丸井と桑原にとってはこれは所謂動く的当てのようなものであって、非常に高いコントロール力が要求される。
だが2人は今の所、的を外すことなく正確に紀伊梨のラケットにボールを当てていた。
流石にテニス部と言うか、一筋縄ではいかない。
(むー、ちーっとも外さないなー。でも!頑張って勝利を掴むお!目指せ、ホールケーキ!)
段々本来の目的が入れ代わりつつある紀伊梨がぐっと意気込む中、桑原は頭の中に違和感を覚え始めた。
(何か引っかかるんだよな・・・何だ?何か俺、重大且つ決定的な何かを見落としている気が・・・)
しかし取り敢えず目の前の事に集中せねばならないから深く考えられず。
丸井も丸井で打っているから、相談も出来ず。
などと思っていたら。
「五十嵐、此処に居たのか・・・五十嵐?」
「あー!やなぎー!」
何をやってるんだろうか、と柳が思うのはあまりにも妥当であろう。
こんな泥棒側にとって、悪いなどと言うレベルじゃない立地で、もう半分捕まえているようなものなのに何故か3人打ち合いをしている。
「おし!人が来たな、これで終了。こっちの勝ちって事で♪」
「あー!そーだった、あーんもー!くやしー!ケーキがー!」
「ケーキ?」
前後の成り行きを知らない柳には、何処から「ケーキ」が出て来たのかさっぱり分からない。
「あのねー、ゲームしてたの!私が勝ったらケーキ作ってくれるって約束してたんだけどー・・・」
「負けたのか。」
「うん!だからくやしーけど、逃がしてあげないとー。」
「逃がす?」
「そういう約束だったんだよ。俺が負けたらホールケーキ、そっちが負けたら見逃してくれ、って。」
「ほう・・・」
そうきたか・・・というニュアンスが柳の口調に滲み出る。
「・・・あの、やなぎー。」
「何だ。」
「お、怒ってます?よ、ねー・・・」
負けたら2人も見逃さねばならない事に対して、紀伊梨は実際負けてみて初めて実感が湧いたのだった。
これは痛い。ケイドロの勝敗的に。
「・・・丸井、確認だが。」
「ん?」
「五十嵐とそういう約束をして、ゲームをした。勝敗はついた。今の状況はこれに相違ないな?」
「おう。」
「つまり、俺は約束をしていないから見逃す義理など無いという事だ。」
(・・・はっ!)
桑原はやっと違和感の正体に気が付いた。
そうだ。
これだ。
援軍が来たら切り上げという条件だったが、援軍が来たらどちらにしろまずい。
今の柳みたいに約束の取り様で幾らでもどうとでもなってしまう。
「やっぱり気づかれたか。」
「えっ!?想定済みだったのか、ブン太・・・」
「まあな。ってわけで・・・」
丸井はポン☆と親友の肩を叩く。
「後は任せたぜ、ジャッカル君?」
「・・・は?」
「あーーーー!」
言うが早いか、丸井はがら空きだった右側へ駆けていった。
今、丸井以外の誰も走る姿勢にはなって居なかった。
タイムラグは一瞬だが、こういうゲームの時はその一瞬がもう命取り。
丸井は最初からこれが狙いだった。
あのまま2人共捕まるよりは、こうしてごたごたを起こす事で隙を作り出して、1人でも逃げた方がよろしいという判断をしたのだった。
みるみる遠ざかる丸井の背中。
「俺が追う。五十嵐、桑原を捕まえろ。」
「えっ!?でも約束がーーー」
「約束は破らない。プランBだ。良いな。」
「えう!え?あれって、あれ?」
紀伊梨が唸っている間に、柳も丸井を追って行き、見えなくなった。
「あれは約束破らないの?うーん・・・?あれ?そっかなー?でもそーなのかな?」
「・・・何か良く分からないが、逃げるぞ?」
プランBとやらが何なのかは知らないが、何にしろそれに律義に引っかかってやる義理は無い。
元々逃がしてくれる約束だったのだし、とやっぱりどこか律儀な桑原は駆け出した。
「あ!待てー!」
「待つか!」
再び逃げ出す桑原。
追われている事には変わりないが、少なくとも捕まる運命からはこれで一時逃れた。
「くー、早い!でも頑張るお!今度は逃がさないかんねー!」
(後は適当な所で撒かねえとな、体力は持つとしてもこのままじゃ他の警察に又当たるかもしれないし・・・)
それにぐずぐずしていたら、プランBとやらが発動しかねない。
「待て待・・・ぎゃあっ!」
ガサ!という葉が擦れる音が後方から聞こえて、桑原は思わず振り返った。
紀伊梨は地面にうつ伏せになって倒れていた。
「お、おい!」
「・・・いだいよぉ~!」
慌てて引き返すと、紀伊梨は目を擦りながらぐずぐずと泣き始めた。
「大丈夫か?何処が痛い?」
「足が痛い・・・」
「足?おい、涙が出て来るのは分かるけど目を擦るな・・・」
そう言って、桑原は親切心から半ば無理矢理、紀伊梨の右手を目元から離した。
すると、パチンと。
何時もと変わらない大きく煌めく眼が桑原を覗き込む。
「え、」
「捕まえたー!」
紀伊梨は桑原の右腕にしっかと抱き着いた。
「・・・え?え?」
「えっへっへー!吃驚した?吃驚した?」
「お前、怪我は?」
「してないよ!」
ケロリンパ、と答える紀伊梨の、半ズボンから覗く両足は綺麗な物である。
擦り傷一つ無い。
「やったー!紀伊梨ちゃん、鮮やかにプランB成功!イェーイ!」
「・・・プランBってこれかよ!」
そう。
ゲーム開始前に警察側は幾つか策を設定しており、今回の事故を装って気を引く作戦は「プランB」に該当する。
「でも、これ良いのかなー。やっぱり約束破っちゃってる気がするんだけどー。」
「はあ・・・いやまあ、約束は破ってはないだろ、一応。」
「そう?」
「お前は見逃すっていう約束をしてただけだろ?今のこれは俺から近寄って行ったわけだからな。」
だからプランBなら約束を違えた事にはならない。
柳はそういう解釈をしたのだろう。
「だからそれは良いさ。」
「そう?」
「ああ。それより、転んだのは振りだよな?本当に怪我はしてないよな?」
「してないよ!紀伊梨ちゃんはどこも痛くありません!」
「そうか。なら良いんだ。」
その事にホッとして、檻はどの方向だったかなと思いだし始める桑原に、紀伊梨は良心がちくちく痛む。
この作戦は紫希や桑原辺りに特に有効と説明はされたが、それはつまり相手の人の良い所を突いているのである。
勝つ為に有効とは言え、紀伊梨1人なら絶対に出てこない発想だ。
「・・・桑ちゃん。」
「ん?どうした?やっぱりどこか痛いのか?」
「んーん。じゃなくて・・・」
「じゃなくて?」
「・・・なんかごめんね?」
語彙力の乏しい紀伊梨はどうしても「なんかごめん」とかいう言い方になってしまうが、要は罪悪感である。桑原に悪い事している、という感覚が紀伊梨をしょんぼりさせるのだ。
桑原が「ずるい」とか「こんなのアリかよ」とか文句を言わないで、しょうがないなと受け入れてくれるから尚そう思う。
分かりやすい紀伊梨の今の心境が手に取るように分かって、桑原は捕まった側なのに笑ってしまう。
「別にお前がそんな気にする事じゃないさ。ゲームの作戦に俺が引っかかったって、それだけの話だ。」
「うーん・・・」
「それに、今は一時的に捕まってるだけだからな?もし誰かが逃がしに来てくれたら、俺はまた逃げるんだ。」
別にこれでゲームが決着したとかそういうわけではない。
まだまだ序盤、最終的にどう転ぶかは誰にも分からないんだから。
「分かったら、敵のチームに情けなんかかけてる暇は無いぜ。偶々俺が引っかかっただけで、こっちだってそっちを出し抜くのに全力なんだからな!」
お互いに本気。
ましてリーダーがあの2人なのに、騙して悪かったとかそんな事思っていられない。
「・・・分かった!」
「よし・・・って、おい!」
「へ?」
「そっちじゃない、檻はこっちだろ!」
「あり?」