「桐生。」
「zzzz・・・・」
「おい、桐生。行くぞ。」
「・・・え、うえっ!?え、は、ええう、えっ!?」
起き抜けの一瞬、頭が混乱する可憐。
何処、此処。
自分は何していたっけ。
吹き抜ける風。
緑。
穏やかな日差し。
そして跡部。
「・・・あ!」
そうだ、思い出した。
家出の付き添いをしていたんだった。
「ご、ごめんねっ!ついつい気持ちよくってっ!」
「まあ、それが目的だ。さて、次は・・・」
「何処行くのっ?」
「・・・・・・・」
「跡部君っ?」
跡部はじっ・・・と可憐を見つめた。
(・・・行くか。)
行こう。
その為に可憐を選んだんだ。
可憐ならきっと、余計な事を考えないで、ただあるがままのあの場所を見てくれる。
それで良い。
あそこに行って、余計な事を考えるのは自分だけで良いから。
「・・・ついてこい。」
跡部は踵を返した。
「ここ・・・」
「着いたぞ、此処だ。」
「・・・此処が目的地なのっ?」
「ああ。」
其処は公園だった。
何の変哲もない。
真面目に、全くの誇張なしに普通の公園。
変わったところなど何もない。
強いて言うならば、比較的広めで各種遊具が揃っているくらいで。
「・・・?」
見れば見るほど珍しい所など無く、ただ先を行く跡部の後についていく可憐。
一体何の用事があるのだろうか・・・と思いつつ付き従っていると、跡部はやがて足を止めた。
「わ・・・!」
コンクリートで出来た、半円の床。
それを囲うように配置されたベンチ。
其処は、簡易ステージだった。
とは言っても、さして大きくもない公園のそれである。
意図は分かるが仰々しくもない、ステージだって7、8人立てばもうそれでいっぱいな位の大きさしかない。
跡部は其処の正面の位置の観客席に腰を下ろした。
「・・・隣、良いのかなっ?」
「ああ。」
可憐も隣に座った。
無人のステージ。
跡部と可憐以外、此処には誰も居ない。
踊る人も歌う人も居ない其処を、跡部が無言でじっと見つめているその横顔を可憐はそっと見上げる。
何か観ている。
何かは知らないけれど、跡部は間違いなくこのステージに何かを観ているのだ。
自分には観えないものを。
「・・・ねえ、跡部君。」
「アーン?」
「・・・どうして家出なんてしようと思ったのっ?」
気まぐれだ。
というならそれも構わなかった。
それは嘘だろうけど、その時は嘘を吐きたいと思う跡部の言葉を尊重しようと思っていた。
しかし。
「さあな。」
跡部はそれだけ言った。
「・・・さあな?」
「正直な所を言うと、俺にも良く分からねえ。」
「へっ?」
「此処に来たかった事は確かだが。」
跡部はゆっくりと立ち上がり、ちょっとだけステージに近づいた。
「来て、どうするつもりだったのかは俺にも分からねえままだった。今もそうだ。こうして、此処を見て、そしたら何か分かる事があるのかもしれねえと思った。ただ、いざ目の前にしてみると・・・」
「見ると?」
「尚更わけが分からなくなった。」
具体的な事を一つも言わない跡部。
でも、ふざけているわけでもはぐらかしているわけでもない事は、その目つきでわかった。
目の前のステージは、こんなに小さくてボロなのに。
なのに、跡部の青い目は茫漠とした物をなすすべなく見ているように、諦念で彩られている。
「お前はどう思う。」
「ふえっ?」
不意に話を振られて、可憐は一瞬話題を見失った。
「え、ど、どうってっ、」
「あのステージをどう思う。」
あのステージ。
そりゃあ。
小さくて。
ボロくて。
「・・・月並みなんだけど、寂しそうだよね。」
自分でも陳腐な意見だなあ、とは思う。でも、実際そう思ったのだから仕方がない。
「寂しそうか。」
「うん・・・なんだか、こう、イメージなんだけどねっ?ステージとかって、もっと華やかな物って言うか・・・立ってる人はニコニコキラキラで、それを見てる人が周りにいっぱい居て、その人達もニコニコで・・・っていうのが、私の印象だから。」
今、目の前のステージはそのどちらも失っているのだ。
ステージの上はがらんどう、観客はこんな粗末なベンチに2人きり。
この状況がもう、寂しさを感じさせるではないか。
(・・・寂しい、か。)
あの子も寂しかったんだろうか。
逃れて逃れてこんな所まで来たけれど、寂しくて。寂しいけれど、でも他に行く所も無くて。
やっと見つけたと思ったのに、それを今、自分は奪おうとしている。
せめてもう、寂しい思いだけはさせたくないけれど。
でも、それだって限界がある。
どんなに万能な人間でも、人間である以上どうしても出来ない事というのは絶対にあって、それは跡部とても例外ではない。
跡部が跡部である限り出来ない事と言うのは、世の中にちゃんと存在しているのだ。
お金はある。
時間は作れる。
地位だって名誉だって、プライドだって優しさだって跡部は持っているけれど。
でも、無い。
あれは今以て、跡部の持たざる物。
忍足も持たない物。
網代も持たない物。
・・・可憐は。
「・・・桐生。」
「はいっ。」
「お前は・・・・」
持っているのか。
自分や皆が、持ちえないアレを。
持っているのか。
「・・・・・」
「跡部君っ?」
「・・・いや、良い。」
「へっ?」
「何でも無い。忘れろ。」
聞きたかった。
持ってる?って。
知ってる?って。
でも、跡部は止めた。
聞いて、その後の事を考えた。
自分には+になるだろう。
でも可憐には-になる。
可憐にとっては、例え持っていたってきっとどうしようもないものだ。
どうしようもなくなんか無い、と友人として言ってやりたい気持ちはあるけれど、それは持たない自分が知ったかぶって言って良い台詞じゃない。
何も知らないくせに適当な事なんて言えない。可憐を大事な仲間だと思っているからこそ。
(跡部君・・・・)
跡部は嘘を吐くような性格じゃない。
家出して、どうしたかったのか。
それは跡部にも分からないまま此処に来た、というのは本当なのだろう。
ただ、自分の今の答えは、役に立っただろうか。
今日の家出の意味を、跡部に何か与えられただろうか。
「・・・あの、跡部君っ。」
「?」
「何か、ごめんねっ?ありきたりな事しか言えなくて・・・」
「バーカ。」
「馬鹿!?」
「こういう意見に、ありきたりも何もねえんだよ。お前の意見は、それはそれで正解なんだ。」
こういう時に肝心なのは、勿論意見の中身。
そしてそれと同じくらい大事なのは、それを誰が言ったか、である。
同じ「寂しそう」という意見でも、忍足が言うのと網代が言うのとでは、可憐の言葉と全然違う。
「俺はお前に聞きたかった。だから、それで良いんだ。」
「・・・そうなのっ?」
「ああ。忍足や網代には聞く気がしなくてな。」
「しないのっ?どうしてっ?」
「彼奴らは性格がひねてやがるからな。ストレートな意見を聞きたかったんだ。かといって、向日や宍戸辺りは、適任とは言い難かった。」
勿論、それは2人が持たざる者だからである。
持ってないどころか、自分が持ってない事を意識もしてない。
芥川なんて、そもそも起きて、見て、意見を述べると言う一連の動作を熟してくれるかが怪しい。
「そうだな、千百合の方の黒崎には聞いても良かったかもな。まあ、急だったからそれも無理だが。」
「千百合ちゃんっ?」
不意に出て来る千百合の名前。
「どうしてっ?」
「さあな。」
「さあって・・・」
「良いんだよ。もう気は済んだ。収穫は上々だ。」
本当か?
本当に、収穫はあったのか?
可憐はもう少し追い打ちで問いかけたくなったが。
こっちを振り返る跡部の微笑みが、あまりにも綺麗だったから。
「帰るぞ。」
「・・・はあい。」
つい、黙ってしまった。