少し時間を巻き戻して、まだ雨が降っていた時の事。
氷帝の待機テントで、向日は暇を持て余してメールしていた。
(あ、横井から・・・あーカラオケの件か!どうすっかな、予備日と被ってるから後で連絡し直すか。あ、と、で・・・って誰だよ、人がメールしてる時に送ってくんなよ!・・・宮田?あ、やべ!くそくそ、ノートまだ教室じゃねえか!)
「お忙しそうね、向日君?」
「ん?」
向日が顔を上げると、にっこり笑う網代が立っていた。
「どうした?何か手伝いか?」
「いーえ?でもちょっとお話があるの。お隣良いかしら。」
「おう。」
それは良いけど、同学年の部員からの「良いなあ網代さんと仲良く出来て」な視線はちょっと面倒くさい。知るかよ、話したいなら普通に話せば良いじゃんか。
「お話って言うのはね、ちょっと聞きたい事があって。」
「?」
「可憐ちゃんの様子が変なのよ、何か知らない?」
知ってる。
割と良く知ってる、と内心で返事する向日は、割と良く知ってると言うより割と何から何まで知ってる、と言って良い位には首を突っ込んでる事を知らない。
「・・・お前の前で変なのかよ?」
「ん?ううん。私の前では普通だわ。普通じゃないのは、向日君も薄々は感づいてるだろうけど、侑士君の前でね。」
「んー・・・まあしょうがねーよ。だって彼奴今、」
「甘えないでいようキャンペーン中だから・・・だっけ、ね?」
向日は驚きに目を見開いた。
知っていたか。
という事は、忍足に言った事が多分筒抜けになっている。
というか。
「理由分かってんじゃねーかよ!わざわざ俺に聞いて来なくたって、」
「そうじゃないのよ、どうして急に又そんな事を始めるのか?っていうのを聞きたいの。だって、今の可憐ちゃんと忍足君は誰が見ても変だわ、関わらなさ過ぎよ。」
「別に良いじゃん。」
「良い訳ないじゃない。」
「今だけだよ、今だけ!ほら、良くあるだろ?何か始めたばっかりの時っていうのは、気合ありすぎて、ちょっと極端な事とかしちまうんだよ!彼奴もその内慣れたら、そこまで距離取らなくても良いっつうか・・・なんか、良い感じの距離が分かるようになるって。」
「・・・・ふむう。」
あくまで、キャンペーンの理由は教える気が無いらしい。
理由はどうあれ、別にキャンペーンやってたって良いじゃん。不都合は無いじゃん。好きにさせろよ。という方針のようだ。
「じゃあ、止める気はないのね?」
「逆にお前はなんでそんなに止めさせたいんだよ?」
「そりゃあだって、見てて今の2人は変だから、」
「じゃ、なくて!それはデメリットだけどメリットもあってトントンだろ、なんで其処無視するんだよって聞いてんだよ!」
「メリット?」
「お前侑士が好きなんだろ?」
「ーーーーーー」
この台詞は流石に声を潜める向日。
うん。
いや、確かに向日には話をした事がある。
正確に言うと、「恋をするなら忍足が良い」と言ったのだが、まあ元来向日はそういう細かい言い回しの違いとか、言葉の裏を深々と読むタイプではないから、こう見做されるのも想定内。
そう、そこまでは想定内。
このキャンペーンからが、想定外だ。
「だから、お前には良い事じゃねーか。桐生が・・・っていうか、単純に侑士の近くから女子が1人、自主的に離れてくんだぜ?バンザイバンザイって喜べとは言わねーけど、チャンスじゃん。」
「・・・・・」
「な?」
「・・・まあ、ね。」
そう言われたらそうですねとしか言いようがない。
「でも、それはそれとして良い気分じゃないわよ?」
「ま、気持ちは分かるけどよ。でもそんなの、おっ・・・・!」
「?お?」
「・・・っんでも、な、い!」
危ない危ない。
お互い様だろ、ともう少しで口から出そうになった。
そう、お互い様。
好きな人が女友達と離れてるから、それに乗じて距離を詰めるなんて、なんだかつけ込んでるみたいで良い気分じゃないのは向日も分かる。
でも向日からしたって、忍足と網代が近づいて行けば行く程、なんだか様子がおかしくなっていく可憐に、離れないでずっと2人の近くに居ろと言うのは良い気分じゃない。
それなら、そっちが譲ってよと向日は思う。
どうせそっちは両思いなんだから、良いじゃん。という、些か乱暴な論調。
「え~?あ~やしい~。」
「あーもう、くそくそ!なんでもねーよ!兎に角、今のままで良いの!」
「・・・本当に良いの?忍足君は寂しい思いをしてるのよ?友達がそんな目に遭ってるのを放っておいて良いのかしら。」
「それは分かってんだよ。」
だから嫌だけど間に入ってやったのだ。
自分が居なけりゃ、可憐は何も言わないで離れてしまう。そうすると忍足はよく分からないけど急に友達から避けられる事になって、傷ついてしまうに違いなかったから。
だから、離れる理由はちゃんと言っておいて。
貴方の為でもあるんだよとちゃんと言い含めておいて、それで今がある。
可憐だって友達だ。
忍足は友達だけど、忍足だけを無条件に優先する気にはなれない。
どっちもなるべく満足させようとした結果が今なのだ。
これ以上自分に何をどうしろと言うのだろう、可憐が云々の話なんてまさか網代相手に出来ないし。
「しょうがねーだろ、桐生のやりたい事だって考えてやれよ。彼奴は侑士に手伝って欲しくないんだよ。」
「・・・まあ。そう、ね。可憐ちゃんがそうしたいならそうさせてやれっていうのは、そうかもしれないけど。」
「だろ?大体お前ら2人揃って、「今」の何がそんなに嫌なんだよ?」
このキャンペーンは忍足と網代には予想外だが、向日としてはこの状況が想定外である。
なんでこんなに食い下がってくるんだ。
お前ら2人で良いじゃないか、いちいち可憐を間に入れてやるなよ。可哀想だろ。
本気で分からん、何考えてるんだか、な向日の顔に、網代は少し目を眇めた。
違う。
「今」が嫌なんじゃない。
「今」が良いから、言ってるんだ。
誰にも、何もして欲しくない。
変わった事をしないで。行動を起こさないで。
誰かが何かすると、引きずられる。対応を要求される。それは嫌なの。
静かな水面に浮いている葉が1つ揺れると、波紋が広がって他の葉まで揺れてしまうのと一緒。
自分は嫌。揺れたくない。動きたいタイミング以外で、動きたくない。だから他の人にも動いて欲しくなくて。
それはきっと、忍足も同じ気持ち。
でも、そっちが「今」を変えたいというのなら。
それなら。
(・・・こっちも、諦めて対応を考えないと、って事かしら。)
出来ないわけじゃない。
やれって言われたら、出来る。
でもやりたくはなかったから、一生懸命避けようとしていたのだが。
「・・・有難う、向日君。分かったわ。」
「何が!?」
「色んな事がよ。兎に角、可憐ちゃんに止めろというのは少なくとも止める気になったわ。今の話を聞いて、ね。」
「え?あ、おう・・・そ、そうか?」
まあ、良く分からないけどそれなら別に良いかな。
なんて引っ込む向日のシンプルさが今の網代には有難い。
良いよ。
そっちがその気なら、そうすればいい。
どうせ、人の行動なんて誰にも強制出来ないしさせられない。
だから自分も好きなようにしよう。
その考えを促すかのように、視界がさあっと明るくなった。
ああ。
晴れる。