「はあ・・・」
「お疲れ様。」
「お疲れじゃないわ!なんか流してたけど、なんで居るのよ!」
「ふふふっ。」
「あはははは!」
幸村はおかしそうに笑った。
一条も笑ってる。なんなんだ2人して一体。
「実を言うと、以前から考えては居たんだ。どんな人が指導してくれているのか会ってみたいなと思ってね。だから少し覗いて帰ろうと思ったんだけれど、当の千百合が今日は居なくって。」
「ああ・・・そう、遅れちゃって。すんません。」
「いやいや、僕は別に。人を待つのは嫌いではないからね。のんびり行こうと思っていたら、黒崎さんより先に幸村君が訪ねてきたものだから。」
「本当にすみません。いきなり押しかける形になってしまいまして。」
「いや、何!折角だから見て行きなさいと誘ったのは僕の方だ。黒崎さん、彼の名誉の為に言っておくが幸村君はちゃんと出直すと申し出て来たよ?僕が引き止めただけさ。」
「いえそんな。」
「いやいやそんな。」
「分かった、もう良い。」
元より嫌なわけじゃない。
見られてるからって緊張する質でも無いし。
ただ一瞬プチパニック状態になるから出来れば予告して欲しいけど。
「で?どうだい幸村君、愛しい彼女を指導している講師の出来の程は。お眼鏡に敵ったかな?」
(おいしばくぞ。)
「ふふっ!ええ、実際にお会いして凄い人だと思いましたよ。毎日千百合を見ているわけでもないのに、宿題と週に一回の指導であそこまでアドバイスが出来るなんて。」
「・・・それは思う。」
つい今し方もそうだったが、えっ、そこ!?みたいな所ばかり指摘されてしかもそれが当たっているので、なんだか情けなくなってくるのである。
何か、今迄一体何してたんだよと言われてるようで。
「ふむ、僕は別にそんなに大した事はしていないがね。黒崎さんが分かり易い生徒なだけさ。」
「え。」
「そうなんですか?」
「ああ。基本的に黒崎さんは出来るベーシストなんだ。概ね妙な事もしない。だからこそ変な癖が付いている所はそこだけとても目立つんだね。僕じゃなくても、ちょっと詳しいベーシストなら皆気づくと思う。」
「マジかよ。」
確かに今まで周りにベーシスト居た事なかったけれど、まさかこんな弊害が生まれていたなんて思ってもみなかった。
いや。というか、よくよく考えるとちゃんとした楽器の専門家と言うのがビードロズには居ないのだ。
紀伊梨も棗も持って生まれた素養を活かして我流でやってるようなものだし、自分もわざわざちゃんと調べたりした事なかった。そんな事しなくても弾けていたから。
「これは、新しい課題だね。」
「うん。覚えとかないと。」
「あっはっは!まあ僕からしてみると、我流でこのレベルまで来れる君たちが羨ましいよ。ちゃんと習ったって物にならない人間だって山ほど居るからね。楽器と言うのはそういう世界だから仕方がないが。」
才能が全てだと言う気はない。
でも長くこの世界に身を置く一条としては、やっぱり才能が無いとどうしたって見えない景色があるのは、否定できない事実である事を感じる。
まあ別に無ければ無いで良い。
無いなら無いなりの景色が見られるし、それは天才には見えない物だ。
重要な事は、そう。
「・・・時に幸村君。」
「はい。」
「君は弾けるのかな?それ、例えば其処のクラシックギターとか。」
此処は音楽室。
なので授業で使う授業用のクラシックギターが大量に並べてある、それを一条は指差した。
「弾けたっけ?」
「短い曲を1つだけなら、おそらく。五十嵐・・・ビードロズのリーダーに教えて貰った事があります。とはいっても、もう随分昔の事ですが。」
「ほうほう。」
へえ。
そうなんだ、知らなかった。
そんな何気ない返しが、こういう時はとてもし辛い。
今のは所謂「千百合は知らないが紀伊梨は知っている幸村の事」で、そんなもの無数にあるんだからいちいち気にしてると身がもたない。そんな事もあるよね、と思っていれば良い。
・・・分かっているのに。
ひっそり内心で溜息を吐く千百合を他所に、一条はならばよし、と楽しそうに言った。
「じゃあ弾いてみてくれないかい?」
「今此処で?ですか?」
「そう。その習った曲とは何の曲かな?」
「HAPPY BIRTHDAY TO YOUです。」
「わあ。」
凄く紀伊梨らしい曲のチョイス。
「よし。ギターを持って来てくれ。で、黒崎君。君はこっちだ。」
「は?」
一条はスマホを差し出してきた。
ベースの譜面である。
曲目は勿論、HAPPY BIRTHDAY TO YOU。
「え、何ですか。」
「一緒に弾いてみるといいよ。」
「は?」
「弾けるだろう?そんなに難しくない。初見でも君なら出来るさ。」
いや、可能か不可能かで言うと間違いなく可能だけど。
「なんでですかって聞いてるんですけど。」
「フェスが夏休みだからね。」
「ああ?」
「時にはこういう事をしておかないとね、黒崎君。僕らは簡単に目的を見失ってしまうんだよ。」
何の話だ。
さっぱり分からん、何言ってるんだか。
「まあ良いさ、兎に角弾きなさい。講師命令だ。」
「はあ。」
「先輩、持ってきましたが。」
「ああ、貸してごらん。チューニングをしよう。」
「お手数をおかけします。それで、弾けば良いんですか?千百合と?」
「そう。そうだな、短いから・・・5回程繰り返してみようか。」
そう、じゃねえし。
と、自分のチューニングをしながら千百合は思う。
大体こっちのベースはエレキなのに、向こうはクラシックだぞ。
アンプ繋がないにしても音が全然違うじゃないか。
幸村の事だから出来ないだろう、とは思ってない。
出来ると思うけど、でも聞けたものになるかどうか。
「・・・よし、これで良いだろう。」
「有難う御座います。」
「いや、何。黒崎さんはどうかな?」
「いけますけど。」
「よし。ボーカルはどうしようかな。あっても良いし、別に無くても良いが。」
「・・・先輩、よろしければ歌われては?」
(まあ、そうよね。)
弾き語りは、普段ボーカルと楽器を兼任しない者には難しい。
千百合でも出来るか微妙だし、幸村は更に難しいだろう。
となると、何もしない一条に白羽の矢が立つのは自然な事。
何もおかしい事など無い、と思いながらベースを構える千百合の前で、一条は困った顔で大きく息を吐いた。
「・・・参ったなあ。君は本当に格好いいね、幸村君。」
「へ?」
「・・・何の、お話でしょう?」
と言いつつ困ったように微笑む幸村は、一条の言ってる事が分かっている。
困ったな。
褒められてるようだけど、そんなに自然じゃなかったか。
失敗してしまった。
「ただね、幸村君。目的をはき違えちゃいけない。」
「目的?」
「君達は今から僕に聞かせる為に演奏するんじゃない。普段楽器に触れない幸村君に、ちょっとした体験をというわけでもない。」
「え。そうなんですか。」
じゃあなんで。
千百合が言う前に、一条は千百合をひたと見つめて言った。
「これからの演奏はね、黒崎さん。ただただ、これからの君の為に行うのさ。」
意味が分かりません。
と聞くのももう怠くなったから、何はさておいて千百合はやる事にした。
「じゃあ行こうか。ワン。ツー。ワン、ツー、スリー、フォー、」
そして流れ出す、HAPPY BIRTHDAY。
流石と言うかやはりというか、昔の事と言う割に幸村のギターから聞こえてくる曲は滞りない。まあこんなに短いんだから別に不思議じゃないが。
(・・・あー、でも。そっか。)
こんなに短い曲ですら、自分は幸村とはやった事なかったっけ。
幸村は楽器しないし、した事無いのが普通だと思っていたけど。
でも、そうか。
自分は今、幸村とセッションしているのか。
(うわ、)
そう思うと急になんだか指先が熱くなってきた。
同時に耳がスッと冷たくなる感覚がある。
ノッてる時と同じ。
「・・・to youー・・・」
(千百合?)
「Happy birthday to youー・・・♪」
出来てるな流石、と思っていたけれど、よくよく聞いたら実に幸村らしい音色。
柔らかいのに何か存在感があって、優しげなのに儚さよりも強さを感じる。
それにつられて自分の弾き方も知らず変わってくる。
単にメロディーを上に乗せているだけじゃなくて、幸村の為にちょっと譜面を無視してリードする。
此処はもう少し跳ねるみたいに。
其処は出番だから大きくしなよ。
もうちょっと伸ばしても良いよ。意味は無いけど楽しいでしょ?
そう、意味なんてない。
精市、知ってた?音楽に意味なんて別に無いんだよ。
あんたや紀伊梨みたくプロになる人なら兎も角、私みたいなアマチュア止まりだろうなって奴にはね。
意味なんて別に無いけど、ただ。
ただ。
「「Happy birthday to youーー・・・♪」」
いつの間にか2人分の歌声が響いていた音楽室。
一条は椅子から立ち上がって拍手した。
「そこまで。いやあ、良かった!2人共お疲れ様!」
「え?」
もう5回も繰り返したっけ。
嘘だ、まだ2回目か3回目だろ多分。
「どうだった、黒崎さん?」
「へ、何が?」
「楽しかっただろう?」
そう言ってちょっと得意げに笑う一条の顔は、なんだかあのくそ憎らしい本物の兄よりも兄らしかった。
「・・・はい。」
「うん!」
一条は大きく頷いた。
「さて、では良い物を聞かせて貰ったお礼に僕はジュースを買って来よう。君達は此処でゆっくりして居たまえ。」
「いえ。それは悪いです、僕がーー」
「幸村君。君は知らないかもしれないが、優れた演者は観客からの差し入れを受け取る義務があるんだよ。良いから、此処で休んでいなさい。では、行ってくるとしよう。」
言うだけ言って、半ば言い逃げの様な状態でサッと出て行く一条。
千百合は遠慮なく座った。
「精市も座りなよ。」
「ああ、お言葉に甘えるよ。でも先輩に悪い事をしてしまったね。」
「甘えときゃ良いんだって。」
一条は、一部幸村や丸井辺りにちょっと似ている。
基本言い出すと聞かない、マイペースな所が。
だから今みたいな時、千百合は原則好きにさせている。
「それに喉乾くでしょ。」
「うん。予想以上に疲れるねこれは。ふふっ、何時も皆ライブの後倒れるわけだよ。」
「お。分かって来たじゃん。」
「・・・うん。」
「?」
何か変。
千百合が視線を向けると、幸村は苦笑して言った。
「・・・正直、少し悔しくてね。」
「は?何が?」
「千百合。俺はさっきの時間、本当に楽しかったよ。」
嘘やお世辞じゃない。
千百合と何かするのが楽しい、とかそんな簡単な感情でもない。
「千百合が何時も触れてる音楽を通して関わり合えるのが、俺は本当に幸せだった。他の事じゃない、千百合や皆が何時も頑張ってる音楽だから、あんなに満ち足りた気持ちになれたんだ。」
「・・・うん。」
分かる。
自分もそうだった。
ついさっき、自分は幸村と初めて言葉やスキンシップじゃない、自分だけのやり方で幸村と一緒に居られた感じがした。
「でも、俺は何も分かってなかったんだなって。その事も思い知った気がしたんだよ。今迄俺は皆がバンドをやってたのを誰より近くで見てきて、やってないなりに理解者になっていたつもりでいたけれど・・・でも違ったんだ。」
「・・・・・・」
「俺は分かってなかったよ。音楽の事も。千百合の事も。皆の事も。知る事が出来て嬉しいけれど、同時に今まで知らなかった事が悔しくて。」
やってみないと分からない事ばかりだ、なんて。
そんなの、散々テニスを通して身に染みていたと思ったのに。
「・・・私だって。」
「え?」
「私だってそんな事忘れてたわよ。」
「・・・え?」
「忘れてたの。さっきまで。」
一条が楽しかったか、と聞いて来たのはつまりこういう事だったのだ。
今なら分かる。
自分の為にやると言ってた意味とか、こういう事をしないとすぐ見失うと言っていた物がなんなのか。
「紀伊梨の為に、バンドの為に、って。私最近知らない間に躍起になってたと思う。どうやったらもっと上手くなるかってそんな事ばっかりだった。紀伊梨は何時も言ってるのにね、楽しく行こうって。」
あんなに言われてるのに忘れてた事。
楽しくやる事。
そう、音楽は楽しい事なのだ。
意味なんてなくても、一銭にもならなくても良い。ただ楽しいだけで、それで良いもの。
「さっきは楽しかった。」
「・・・・・」
「有難う。」
「・・・ふふっ。俺の方こそ。」
(これは入り辛いなあ・・・)
扉の前でジュースを持ってタイミングを見計らう一条。
気にしないでさっさと入っても良いのだが、まあ。
今日幸村はとても良く働いてくれたので。
(ボーカルは先輩がされては、ね。良く言えたものだよ。)
幸村はセッションするなら千百合と2人が良いに違いなかった。
でも2人が良いと我儘言うのもスマートじゃないし、今は自分の都合より千百合がこれからも自分の指導を受ける事を考えて、あの提案をしたのだ。
良くあの台詞を出せたと思う。
見上げた男だ、幸村精市。
(ま、それでなくても僕は入るつもりはなかったがね。)
だってあのセッションは千百合の為の物だったから。
そしてそれなら、其処に自分も、他の誰も居ない方が良い。
千百合と、幸村と。
千百合に楽しさを思い出させるのなら、それが一番良い。
後で幸村にこっそり教えてあげよう。
と思いつつ、一条は隙間から中を伺う作業に戻るのだった。