(暑い・・・・)
じーわ、じーわ、じーわ、じーーーーー・・・と延々繰り返される蝉の声。
刺さる日差し。
上がる体温。
(プールだから当たり前なんですけど・・・庇の下に居られないの、本当に辛いです・・・!)
気温が何度だとか言ったって、それは所詮温度計で測る話。
日影と日向に居る時の体感温度には雲泥の差がある、特にこんな雲一つない晴天の日は。
猛暑日はボンネットで卵が焼けるとか言うけれど、今の自分はさながら水の無いプールと言うグリルの上に置かれた食材ではないだろうか。
(・・・駄目、限界です。休憩しましょう・・・)
ふらふらふらっとデッキブラシを置いて、プールサイドのベンチに腰を下ろした。
涼しい。
まるでエアコンが点いてるかのような涼しさ。さっきまでのグリル状態とえらい違い。
「はあ・・・・」
やっぱり日差しの有る無しは大きい。
ずっとあそこに居るのは不可能だ。
(休憩を取らないと日射病になりますね・・・ああ、こんな長丁場になるのなら前以て飲み物を買ってから来れば良かったんですけど・・・あ、でも!日差し的には今がピークですから、これから夕方に近づいていけばもっとマシに、)
「はい。」
暑さで狭くなる視野の外から差し出されるドリンク。
アクエリアス。
冷たいのだろう、凄く結露していてびしょびしょだ。
良いなあ。
美味しそうだなあ。
なんて思いながら視線を上げると、笑う丸井と目が合った。
「お疲れ!」
ああ。
分かった。
これはアレだ。蜃気楼なんだ。
砂漠に居る人がオアシスの夢を見てしまう、あの現象だ。
(まあおかしくはないですね・・・こんなに暑いですから・・・・)
ああでも、元気になった。
本当にお疲れと言われた気がした。
有難う、蜃気楼の丸井。
現実じゃなければこそ、多少図々しい事も出来るというもの。
紫希は微笑んで遠慮なく手を伸ばした。
「有難う御座います、丸井君。頂きます。」
「お、素直じゃん?」
「ふふふっ。きゃあ、冷た・・・冷たい?」
冷たいだと。
なんでだ。
蜃気楼はどんなに冷たそうに見えたって、実際冷たいもんじゃないんだぞ。
「・・・本物ですか?」
「ん?え、うん。本物だけど?」
紫希はゆだっていた頭が急速に冷えた。
「ごっ・・・・」
「?」
「ごめんなさい!私、あの、厚かましくて、お返ししますから、」
「え!?何!?何が!?」
「違います、あの、受け取るつもりじゃなくて、」
「ええええ・・・まあまあ、落ち着けよ。な?お前ちょっと疲れてんだよ、ほら飲んで休憩しようぜい?」
「違うんです本当に、私白昼夢だと思って・・・!」
「白昼夢?」
「あの、暑いから、喉も乾いたので、だから気温差で都合の良い幻覚を見てるんだとばっかり・・・」
わかってくれるだろうかこの気持ち。
まだヒートの抜けない脳味噌で必死に言う紫希に、丸井はキョトンとした顔になった。
「・・・はははははっ!お前、俺の事触ったら消えるとか思ってたのかよ?」
「はい・・・」
「あはははははは!」
腹を抱えて笑う丸井。
紫希は只でさえ赤い顔が尚更赤くなるが、これはしょうがない。
自分が悪い、そこに居る人を蜃気楼扱いするなんて。
(・・・あれ?)
「あの、丸井君・・・」
「はー・・・え?何?」
「丸井君はどうして此処に居るんですか?」
「プール掃除。」
「え?当番・・・じゃ、ないですよね、違いますよね?」
「うん。」
丸井はあっけらかんと言う。
「さっき4号館で一条に会って、ちょっと話したんだけどよ。」
(もう話せるんですね・・・)
「一条のクラスの奴、何かサボったみてえな事言ってて。」
「ああ・・・」
「俺も自分のクラスでサボろ、って言ってたの聞いてたし、五十嵐は紫希ぴょん当番なんだってー、とか言うし。まさか1人でやってねえよなと思って?廊下から見てみたら?」
「あ、あはは・・・」
ちょっと目を逸らす当たり、悪いことしたと言う自覚は辛うじてあるらしい。
「まあ、こんなこったろいと思ってたけどな。じゃあ・・・そうだな、後10分くらいしたらやるか。」
「ま、待って下さい!丸井君は此処に居て下さい、やらなくて良いですから!」
「えー。つうか、お前今日は素直だなと思ったのにさっきの態度はどこへやったんだよ?」
「あれは夢だと思ったから、あんな図々しい態度が取れたんですよ・・・・」
「図々しい?」
「図々しいです。」
「可愛かったけど?」
嘘だ。
とつい口をつきそうになるけれど、丸井はこの手の世辞とか嘘は言わない事を紫希はもう知ってる。そもそも、丸井が正直だから丸井の隣は居心地が良いのだし。
「・・・聞いてみたかったんですけど。」
「うん。」
「失礼ですけど丸井君って・・・視力はお幾つですか?」
「視力?あー!幾つだっけな、えーとこの前の健康診断で・・・右が1.5で?左が1.6?逆だっけな。まあでも、両目で2.0はあるぜ?」
「あ、近眼と言うわけでは無いんですね・・・」
聞いた事無かったけれど、もしかしたらそこそこの近視で、でもテニスに邪魔だから眼鏡普段かけてないだけなの。だから実は日常だとあんまり良く見えてないの。だから自分みたいな女の子が可愛く見えてしまうんだ。
みたいな可能性あるなと思ったのだが、違うらしい。
(という事は次に考えられる可能性は乱視でしょうか?いえ、それならテニスに支障が出ますよね・・・・)
「お前は?」
「え?」
「視力。良いの?悪い?」
「あ!ええと・・・多分、普通、です。両目で、1.1です。」
「へえ!何か意外だな。あんなに本読んでるから、もっと悪いと思ってたぜ?」
「ああ、悪くはなってきています・・・・」
「やっぱり?」
「はい。勉強の事もありますし、机に向かう時間が増えていますから。何年先か分かりませんけれど、どこかで多分眼鏡かコンタクトのお世話になると思います。」
「ま、そうだよな。読書家で成績の良い奴ってもれなく皆眼鏡だろい?柳生とか。」
「あ。でも、柳君は違いますよね?」
「そっか!そういやそうだな。幸村君とか真田もそうか?」
「いえ。幸村君は読書家と言うか・・・成績は良いですけれど。」
「あれ?幸村君って本読まねえの?」
「偏りが大きいんです。色んなものを読まれるより、専門書が多くて。」
「ああ。確かにこないだガーデニングのコツみたいなやつ読んでたな。後は美術系とか?」
「はい。真田君もどちらかというと幸村君タイプで、ご自分の興味のある物をドンドン読まれるタイプです。この前はーーー」
「待った!当てさせろい、えーと。えー・・・あれじゃねえ?こう、兵法100選!みたいな?」
「ふふふっ!残念、はずれです。」
「マジ?じゃあ、テニス関連?」
「いいえ。日本刀古今東西、というタイトルでした。」
「そっちか・・・彼奴の趣味も偏ってるよな。」
涼しいベンチ。
冷えたアクエリ。
他にだーれも居ない夏のプールサイド。
結局会話の止まらない2人が掃除を再開したのは、20分後の事だった。