「捕まえたぞ五十嵐!」
「にゃーーー!ごめんなさーーーあり?」
「?どうした?」
「何かそっちから音した!」
「音?風や蝉の声ではないのか?」
「えー!違うよー、もっと靴の音っぽい・・・あ!もしかして、今日当番だったどっかのクラスの誰かが戻ってきてくれたのかも!」
「何?」
それなら絶対捕まえないと。
まだそうと決まったわけでもないのに使命感の芽生える真田と、誰であれ人が増えるのは良い事とうきうきの紀伊梨は、音のした方ーーー掃除用具庫の影を覗き込んだ。
「・・・・はあ。」
「おお!女の子!」
「一条?」
「お?一条ちゃん?って、こないだ言ってた一条ちゃん?」
そう。
其処に佇んでいたのは一条郁だった。
「ああ。しかし何故お前が・・・はっ!貴様もしや、今日の当番の1人だったのではあるまいな!」
「違うに決まってるだろう。ああ、だから君達みたいな手合いにバレたくなかったんだよ。目立つし、煩いし。」
「一条ちゃん、当番じゃないの?」
「ああ、違う。」
「じゃあじゃあ、手伝いに来てくれたの?」
「・・・・まあ。」
此処はそう言うしかない。
実際手伝いに来たのは本当だし、違うと言ってじゃあ何しにと言われるのも面倒。
一条の返答に、紀伊梨はぱあっと顔を輝かせた。
「なーんだー!やっぱ一条ちゃんって、ほんとーはテニス部の味方なんですな!」
「違う!」
「えー!違わないじゃーん!」
「違うったら、違う!僕はーーーー」
さっと一瞬、郁の脳裏を丸井が横切った。
「あれ?・・・もしかして、一条さんですか?」
何か騒いでいる気配に近づいてきた紫希。
その姿を見て、郁は本来の目的を思い出す事が出来た。
「!春日さ・・・そう!僕は、「春日さんの」手伝いをしに来たんだ。別にテニス部なんて、居ようが居るまいが関係ないね。」
「えっ?手伝い、ですか?」
「ああ。春日さんは僕を手伝ってくれただろう?今こそ、その時の恩を返す時だよ。」
「一条?」
一条はびく、とした。
肩を震わせた、とかじゃなく。何と言うか心がびく、としたのだ。
「何だ!お前結局来たのかよ?」
「・・・君が春日さんが居ると言うから来たんだよ。居なければ直ぐ帰ったさ。」
「じゃー、いっちーはもう帰らないんですな!手伝ってくれるんっしょ?」
「おう!そういう事だよな、よしやるか。」
「おい、だから引っ張るな!」
「ま、丸井君に紀伊梨ちゃん!駄目ですよそうやって無理にさせるのは!一条さんも、お気持ちは有難いですけれど、嫌ならご無理されずに・・・」
「あ、いや・・・だから、僕は君に手を貸すのはやぶさかでないのであって、」
「ええい、はっきりせんか!手伝うのか!手伝わんのか!どっちだ!」
「手伝うよ!手伝うって言ってるだろう、だから手を離せ丸井!君もだ!」
「紀伊梨ちゃんは君じゃなくて五十嵐紀伊梨ちゃんだよ!」
「そういう事を言ってるんじゃなくて!」
「・・・・・・・」
「ふふふっ。」
「何?」
「一条さんが好ましくないかい?」
「・・・・・」
「顔に出てるよ。」
はっきりしやがれ、苛々する。
千百合の表情は、割とはっきりそう物語っている。
そもそも外弁慶な千百合は、テニス部に対して無関心なら兎も角、敵意丸出しと言うのが如何にも気に入らないのだ。
おまけに自分からわざわざ出向いておいて、紫希の為だとか本当は関わりたくないとか。手伝いに来たのか文句言いに来たのかどっちかにしろよ。
「精市は腹が立たないわけ。」
「ううん、彼女はなんというか、俺達に対しての接し方を分かっていないんだね。手伝いに来てくれた事をきっかけに起こっている変化に対して、ついて行くのが怖いからどうにか足踏みしようとしているのさ。」
「だから?」
「・・・一言で言えば、彼女は弱者なんだ。要は強くないんだよ。」
千百合はちょっと目を見開いた。
幸村がこういう事をはっきり言うのは珍しい。
「春日と丸井の作戦は、成果を早くも上げられていると思う。彼女は目下、それに抵抗している真っ最中なんだ。厳しい状況に居る彼女を、更に厳しい目で見つめるというのも気の毒とは思わないかい?」
「・・・え、待って。」
「ん?」
「こんがらがってきた。というか・・・何か話聞いてると彼奴って、何?仲良くしても良いかなって気になってきてるの?でも自分でそれが嫌なの?」
「ううん・・・概ねは、そうかな。」
厳密に言うと、郁は確かに多少は仲良くしても良いかなと言う気になっている。
そして、それは別に然程嫌では無い筈だ。
そうじゃなくて、嫌なのはもっと別の事。別の展開。
郁が無意識的にか意識的にか恐れているのはその事で、それに気づいているのは幸村。そして兄の一条直樹。他の人は誰も知らない。
紫希に丸井は勿論、最初の切っ掛けになった林さえ。
今はまだ、ほぼ誰も。