「あっ!2人ともお疲れさまっ!」
「お疲れさま♪2人とも今日は終わったのかしら?」
「いや、まだ終わってねーけどよ。」
「今レーン混んでんねん。当分並ばなあかんやろし、様子でもと思うて。」
言われてそちらを見ると、成程。
今日は水泳大会も近くテニス部占有のレーンを少し減らしたために、向こうでは多少の列が見受けられる。
「どないや、お友達さんの出来は?」
「うんっ!良い感じだよっ!」
「泳げないのって彼奴?泳げてんじゃねーの?」
「ええ、彼女はもう泳げるわ。ただ足りないのは、覚悟と踏ん切りね!」
内川はようやっとスタートを切った所で、榎本に励まされて6m地点を通過した所であった。
フォームにほぼ問題は無い。問題があるのは、何としても此処まで来るという気持ちの方。
「いけそうやけどな。」
「うーん、でもいつもあの辺から足着いちゃうんだよねっ!」
「いいえ、させないわ!内川さん、頑張って!少し先に伊丹さんが待ってるわよ!」
「・・・本人より熱くなってねー?」
「茉奈花ちゃん、意外とスパルタな所あるから・・・・」
「え?何?何か言った?」
「「「別に。」」」
「?そう?あ!そうだわ侑士君、後で話があるの!大事な話よ、ちょっと残って頂戴!」
「え。」
「え、何だよ何かしたのか侑士?」
「してへんわ。」
「ま、茉奈花ちゃんっ!良く分かんないけど忍足君は何も、」
「いいえ、侑士君が悪いのよ!」
「え?何したん俺。」
「だから何も、」
「おい、来たぜ!」
いつの間にか内川は伊丹の前を通り過ぎ、可憐の方に向かってきていた。
ただ、残念ながら順調とは言い難そうだった。
息継ぎのペースが無駄に頻繁になっている。不安に駆られているのだ。
「真美、頑張れっ!もうちょっとだよっ!」
「内川さん、落ち着いて!大丈夫よ、その調子!」
声援を送る可憐に網代。
忍足と向日もその場で見守る中、内川は少しづつ進む。
後10m。9、8・・・
「真美っ!私の所まで来たよっ!後7mでゴールだよっ!」
もう残り10mも無いが、それが苦手な人にはきついのだ。
でも折角ここまで来れたのだから、此処で失敗して又スタートからはおそらく精神的に辛い。内川自身の為にも、今ゴールしておきたい所。
(真美・・・・)
「・・・・・」
「行け!頑張れ!・・・侑士?」
「ん?ああ、いや。何でも。」
そっとプールに近づく忍足を向日だけが見ていた。
可憐はそれに全く気付かず、内川が泳ぐところをひたすら見つめ続け、そして。
とうとう、内川の左手が、網代の右手に届いた。
「プハ!はあ!はあ!はあ!」
「やったーーーっ!真美っ!やった、やったよっ!」
「内川さん、凄いわ!出来たわよ、出来たの!」
「真美!泳げたじゃない!」
「おめでと~。」
皆が祝いの言葉を叫ぶ中、内川はへろへろの顔で網代に掴まりながら笑った。
「で、出来た・・・」
「そうよ、内川さん!」
「あ、アリガト・・・でも流石に疲れたというか、限界・・・」
「うん、上がって休憩しよっ!今日は帰る時にお祝い・・・っ!?」
お祝いしよう。
コンビニでスイーツとか買ってさ、皆で奢るから。
なんて言いかけた可憐の口に、水がざぶんと入って来た。
足が痛い。
動かない。
(つ、攣ったっ!どうしよう、どうしようっ・・・!)
此処は水深が可憐の身長を上回る。
その為立ち泳ぎし続ける事になるが、内川の応援に夢中になるあまり適当な泳ぎ方になってしまっていた。水中で爪先立ちの姿勢など取り続けると、要は其処の筋肉をひっきりなしに使っている事になるので攣りやすい。
分かっていたはずなのに、忘れてしまっていた。
不意を突かれたので沈む準備が出来ていない。息も吸ってないし、ゴーグルも付けていないパニック状態。
苦しい。
苦しい。
助けて。
「可憐ちゃん!」
ガッ!
と音がしそうなくらい勢いよく引っ張り上げられて、可憐はプールサイドに両手を着いた。
「はあっ!はあっ、はあっ、はあっ、はあっ、」
「はあ・・・」
回り出す酸素。
思わず必死に呼吸しながら右腕を見ると、安堵の溜息を吐く忍足の左腕に捕まえられている。
「可憐ちゃん!」
「桐生!大丈夫か!?」
「ちょっと、可憐!」
「今溺れてなかった~?平気なの~?」
「う、うん、大丈夫・・・ちょっと足が攣っちゃってっ・・・」
水泳あるあるとはいえ、水深の深い所しかも急に起こると馬鹿には出来ない。
水中でパニックになると、呼吸困難の足音は急速に近づいて来てしまう。
「ご、ゴメン可憐~・・・私が疲れてしがみついてたもんだから、網代さんが一番近かったのに・・・」
「あ、良いよっ!真美の所為じゃないしっ、私が悪いんだしっ!」
「侑士、良くあんな早く助けられたな。」
「ああ、足がな。あの立ち泳ぎの仕方、攣りそうやなと思うててん。」
だから何かあったら即応できるようにプールサイドギリギリに近づいていた。
何もないならないで良いしと思っていたが、まあ結果的には備えておいてよかった。
「良く見えるわね。私も近眼だけど、今コンタクト無いからそこまでちゃんと見えないや。」
「あ。瑠璃、忍足君は「可憐ちゃん、足伸ばそ。水から上がってあっちのヒーターの所がええわ、体冷えてても足攣り易いからなあ。」えっ?ちょ、ちょ、ちょっと待ってっ!」
まだ片足が攣ったままなので、上手く上がれないし身じろぎすると痛い。
両手と左足は無事だから、それを前提にどう上がろうか・・・と考えていると、急に肩と膝裏に手が回った。
(え・・・?)
「よ。」
急に忍足の顔が近い。
そして、足が地に付いていない。
横抱きされて、いる?
「・・・・!」
かああっと頭に血が上る可憐だが、忍足は何処吹く風だ。
「ちょ、ちょっとっ!忍足君、降ろしてっ!降ろしてってば、いっ!つうっ・・・!」
「堪忍な、でも痛いやろ?ちょっと我慢したって。」
「違うのあのねっ!我慢とかそういう話じゃっ!」
横抱きされるのだけでも死ぬほど恥ずかしいのに、お互い水着で素肌が触れ合うのがもう死にたいくらい恥ずかしい。助けて貰っておいてあれだけど、あのまま溺れてた方が幾らかマシだったんじゃないかなという気すらする。
忍足は、純然たる善意で自分を運んでくれてる。
医者の息子と言う肩書に恥じず医学知識の豊富な忍足は、こういう時最適解を弾き出すスピードがとても速い。
それが余計に恥ずかしくて恥ずかしくて堪らない。
自分の方だけだ、忍足とこんなに顔が距離が近くて恥ずかしがっているのは。
冷え防止にと常設されているヒーターまでの距離が、凄く遠く感じる。
忍足に触れている部分にばっかり意識がいってしまって、ああ助けようとしてるのに助けられる側がこんな事考えてるなんて、きっと忍足には呆れる事態だろうと思うと、這って行くからこの場で下してと叫びだしたい。
「この辺でええやろか・・・」
「良いっ!良いよっ!其処で全然大丈夫だからっ!」
だから一刻も早くこの状態を解除して欲しいと思うのに、忍足の動作は殊更丁寧でゆっくりである。
医者の卵としては正しい姿勢だが、思春期の女の子を戸惑わせている男子の振る舞いとしてはかなり意地悪。
「寒ない?」
「ないっ!大丈夫ですっ!」
「さよか。ほんなら足伸ばそ。先ずは普通に真っ直ぐ伸ばしてみ。」
「こ、こうっ・・・?いたっ!」
「ちょっと我慢やで。そのまま右手で爪先持って、自分の方に引いて、そう・・・」
痛い。攣ってるのも痛いし、伸ばすのも体の柔らかさを要求されて痛いけれど、まだ余韻の残る恥ずかしさとやっと離れられた安堵で逆に今痛い事なんてどうでも良い。
「可憐ちゃん、引っ張り過ぎもあかんで?」
「あ、ああっ!うんっ!はいっ!はい・・・」
「他に痛い所とかあらへん?」
「大丈夫っ!大丈夫だよっ!有難う忍足君、もう・・・」
可憐ははた、と気が付いた。
そうだ。
混乱しててまだちゃんとお礼も言ってなかった。
というか、甘えないでいこうキャンペーンとはなんだったのか。
思い切り甘えているが。
「可憐ちゃん?」
「あのっ、忍足君っ!本当に有難うねっ!ごめんね、さっき色々パニックになっちゃってて、ちゃんとお礼言えてなくてっ!」
「別に構わへんよ。」
「でも・・・」
結局又こうして甘えてるし。
ちょっとしょんぼりする可憐に、忍足は少し声を潜めた。
「・・・それより可憐ちゃん。お願いしたい事あるんやけど。」
「えっ?」
「伊丹さんに・・・いうか、伊丹さん「達」にやねんけどな。」
「う、うんっ?瑠璃達に?」
「俺が伊達眼鏡やって言わんといてくれへん?」
可憐の脳みそはちょっと処理に手こずった。
「・・・んっ?えっ?」
「近眼やいう事にしといたって。」
「ど、どうしてっ?」
「なんや恥ずかしいやん?」
「伊達眼鏡だって知られるのがっ?」
「そう。」
そもそも伊達眼鏡なんかかけてる理由は、裸眼の顔を晒して日常を過ごすのが恥ずかしいから。
でも、それはそれとして「伊達眼鏡で日々を過ごしている人」のレッテルを貼られるのも忍足は恥ずかしいのだった。
入学式の日、対跡部戦を見ていた者は知っている。あの時忍足は要らない眼鏡を外してちゃんと試合していたから。
でもあの時だってテニスが優先だったからそうしただけで、忍足は本当は外したくなかった。だって恥ずかしいじゃないか色々と。
「やから言わんといたってくれへん?」
「・・・・・」
「可憐ちゃん?」
「・・・ぷっ、あはははははっ!はははははっ!」
「可憐ちゃん・・・」
「ご、ごめんねっ!つい・・・ふふふふふふっ!」
そうだった。
忍足はこういう男の子だった。
クールでいつも澄ました顔で、なんでも余裕そうにさらりとこなしているけれど。
でもこうして蓋を開けると、顔に出てないだけで結構人並みに失敗はしているのだ。
恥ずかしがったり。
ドジしたり。
冗談言ってみたり。
ああ。なんだか、すっかり忘れていた。
「分かった、そうするねっ!」
「おおきに。」
「・・・ふふふふふっ!」
「・・・頼むわほんまに。」