3限と4限の間の休みに、紀伊梨は職員室に足を運んだ。
プリント集めて持って来て、と言われたので、それに従ったのだ。
「正ちゃーん!プリント持ってきたおー!」
「だから正ちゃんは止めろってば!有難う!」
社会科教師の新海正一は、C組の担任。
だが一生懸命な反面子供っぽいミスをちょくちょくやらかすので、良く親しみを込めて正ちゃんと呼ばれる。
「ちゃんと人数分あるか?」
「多分!」
「多分って・・・ええと、1、2、3・・・」
「あ!ねーねー、この写真の人だーれ?綺麗!正ちゃんのお嫁さん?」
「あー!馬鹿!触るな!写真立てを持っていくな!」
「ねーそーなのー?お嫁さんなのー?」
「そーなの!返せ!でも褒めてくれて有難う!」
「あーん、もっと見たいー!」
「駄目!」
「おい、五十嵐!」
「あー!桑ちゃーん!」
声をかけたのは桑原だった。
ちょっと職員室に行ったら何やら騒がしくなり始めたから、何事かと思ったら友人が騒ぎの真ん中に居た時の疲労度。
此処で見てみぬふりが出来ないのが彼の美徳であり。損な所でもあり。
「どったの?正ちゃんに用事?」
「いや、俺が用があったのは岩代先生の方だ。少し質問があったから。それより五十嵐、先生を困らせるなよ。」
「えー。だって正ちゃんのお嫁さん見たかったんだもーん。」
「「正ちゃん」じゃくて、「新海先生」だろ・・・すみません、新海先生。お返しします。」
「いや、もう良いよ。有難う、本当有難う、取り返してくれて。」
「あーん・・・」
「ぼやくなって。ほら、行くぞ。先生、連れて行きますんで。」
「ああうん、頼む。」
紀伊梨を引きずるようにして、桑原は職員室を後にした。
「失礼しました。」
「あー、お嫁さんがー・・・」
「・・・どうしたんだよ、そんなに見たかったのか?」
「だって紀伊梨ちゃん、お嫁さん見た事ないもん!」
「お前のお母さんだって、お前のお父さんのお嫁さんだろ?」
「そーだけどー!でもおかーさんって、お嫁さんじゃなくておかーさんなんだもん!紫希ぴょんのおかーさんは紫希ぴょんのおかーさんだし、千百合っちとなっちんのおかーさんもゆっきーのおかーさんも、皆おかーさんだよ!」
「ああ・・・まあ、分からないじゃないけどな。」
子供にとって、父親母親というのは父親母親以外の何物でもない。
両親にだって小さい頃があったとか言われてもぴんと来ない。まるで生まれた時からずっと父親は父親で、母親は母親であったかのような感じがしてしまう。
こうして頭では分かる年になっても、感覚の上ではまだまだ。
「良いなー、お嫁さん!お嫁さんってあれでしょー?ふりふりのエプロン着てー、お帰りなさいあなたーって言うの!そんでお帰りなさいのチューとかして!」
「それは新婚さんじゃないのか?」
「えー!じゃーその内やらなくなっちゃうの?」
「いや、良く知らないし限らないけどな。そういうのって、お嫁さんだからとかそうじゃないからとかじゃなくて、性格の問題だろ?」
「えー。お嫁さんは皆やるんじゃないんだー。」
「皆が皆はやらないだろ・・・」
「なんだー!千百合っちもゆっきーと結婚したらやるんだと思ってたのにー!」
「絶対ないと思うぜ?」
あるとしたら幸村がやってくれと強請る時だろう。
千百合から進んではやらない、絶対に。もし自分からそんな事を始めたら、多分皆微笑ましいとかじゃなくて心配になる。どうした、インフルエンザにでも罹ってるのか、とか言って。
「そっかー。んでもでも!紀伊梨ちゃんはやってみたいなー!お帰りなさい、貴方ー!お風呂にするー?ご飯にするー?それともゲームするー?って☆」
「ははは!帰って早々ゲームするのか?」
「だってお仕事してる間は出来ないっしょー?」
「まあな。じゃ、お前はゲームが好きな旦那を捕まえないといけないわけだ。」
「おお、確かに!んじゃー、それも今日忘れないで書いとこー!」
「書く?」
「うん!ほら、今日七夕行くっしょ?その時に短冊に書いとこーって!」
「ゲームが好きな旦那さんと結婚できますように、って?」
「そう!」
(日本の神様って、なんでも聞いてくれるよな・・・)
神様と言ったらキリスト様!以上!お終い!なブラジルから来た桑原には、この宗教観は未だにちょっと戸惑ったりする。八百万の神とかいってそんなに沢山の神様が居る事にもびっくりだし、割と皆自由な事を思い思いに願って居る事にも吃驚だ。
なんか、そんなんで良いのか?
もっとちゃんとしないといけないんじゃないのか?なんて時々思ったりもするのだが。
「ねーねー!桑ちゃんは何お願いするのー?」
「俺か?」
「そー!国語が分かるよーになりますよーにとか?テニスの事はやっぱ書くよね・・・ハッ!よく考えたらテニスの事っていっぱいある!」
「いっぱい?いっぱいあるか?」
「あるよー!先ずゆーしょー出来ますよーにでしょー?それからレギュラーになれますよーにと、試合の日はお天気になりますよーにと、後、」
「そんな事いちいち願わなくても良いんじゃないのか・・・?」
「えー、なんでー?短冊は何枚書いても良いんだから、なるべく沢山お願いした方がお得っしょ!」
こうやって屈託なく笑う友達を見ていると、神様の気持ちも分かるような気がしてくる。
ちょっと困った顔で笑いながら、でも「しょうがないなあ」なんて言って叶えてやろうかなという気になるかも。
「・・・叶うと良いな。」
「ねー!」