立海大附属中等部。
1年D組黒崎千百合。
所属ー--帰宅部。
部活なんて興味ない。
毎日放課後の時間を割くのも面倒だし。
何かしたいことがあるわけでもない。
でも、兄や友人はそうでもないようで。
兄は部活というより校内に遊びに?行くらしいが、友人はそれぞれ文芸と軽音に行く。
千百合も誘われたが、さほどやる気がないため断った。
だからいつも、放課後はひとりでまっすぐ家に帰る。
のだが。
「はーあ。」
部活がないから、無条件で放課後まっすぐ帰れる、とは限らないもので。
今日の千百合は掃除当番として、何人かと居残っていた。
とはいっても、教室じゃない。
美術室の掃除だが。
(美術室ねえ。)
こっちは第二美術室。言うなれば美術に本腰入れてる生徒が使う用の部屋で、授業ではここを使ったことがない。
だから、掃除はだるいと思いつつ、純粋に「へえ、こんな部屋なんだ」という興味を持って掃除をしていた。
上級生のものか、はたまた美術部のものか。
絵とか作品も、その辺に置かれている。
千百合は、そういう意味では美術室の掃除でラッキーと思っていた。
先生が、作品に傷がつくのが怖いから細かい所は良い、とあらかじめ言ってくれるので。
「・・・・・お。」
千百合は箒をはいていたが、ある一枚の絵の所で足を止めた。
空の絵だった。
太陽と雲と青空と、それだけしか描かれていない。
でも、絵の中の太陽はなんだかぎらぎらと、鋭いほどに眩しくて力強い。
見ているだけで、目を眇めたくなるようなエネルギーを感じる。
(ふうん・・・・)
ちょっと眺めて、どれくらい経っただろうか。
同じように美術室を掃除していたクラスの女子が、きゃあ、と歓声をあげたのが聞こえた。
目を向けると、ちょっと離れたキャンバスに上品な一輪挿しの絵が描かれていた。
「見てほら、幸村君の絵だってー!」
「わあ、やったあ!こんなところで見られるなんて思ってなかったあ!」
(・・・ふうん。)
幸村。
幸村精市。
とは、立海のアイドルの名である。
いや、嘘である。嘘だけど。
(でも、似たようなもんよね実際。)
幸村精市とは、同学年の目立つ男子の名前。
それが千百合の認識であった。
同じクラスじゃないし、小学校も別々だ。
だからほとんど知らない。
でも、凄い美形で成績もよく、スポーツもできる。
しかも性格も良くて、誰にでも分け隔てなく優しく、まさに漫画のヒーロー役みたいな存在だというのは知っている。
というか、勝手に聞こえてくる。有名すぎて。
そしてその漏れ聞こえてくる情報の中に、どうやら彼は美術が好きらしい、というのもあるが。
「・・・・へえ。」
あんまり近くに行ってじっくり見たわけじゃないが、正直あまり興味を引かれる絵とは思えない。
下手だとは言わない。
でも、ふうん、という感じ。
コメントしろと言われても、上手ですねくらいの感想程度。
それなら、こっちの空の絵の方が千百合は好き。
なんて思っていると、美術室の扉がからら・・・と軽い音を立てて開いた。
「あっ!」
「ゆ、幸村君!」
(ん?)
千百合は、幸村精市という男を見たことが無かった。
だから入ってきた人間の顔を見ても、クラスメイトが幸村君、と言うまで彼が幸村精市だと気づかなかった。
「・・・・・・・」
なるほど。
確かに美形。
芸能人みたいだ。
その辺の絵より本人の方がきれいとは、稀有な例だなと千百合は思った。
「こんにちは。掃除してくれてたんだ。ごめんね、ちょっと忘れ物だけ取らせてもらえるかな?」
「あ、うん!」
「どうぞどうぞ!」
「ありがとう。」
微笑んだ顔の方が絵画そっくりだな、なんて思いつつ、千百合はまた箒を動かし始めた。まあ、あんまり興味ないし。
ただ、空の絵の方は気になってしまって、どうもちらちら見てしまうのだが。
「ねえねえ、この花の絵って幸村君が描いたんでしょ?」
「え?」
「すごいよねー!きれーい!」
「幸村君、お花好きなんだよね?」
「ああ、うん。好きだよ。ただ、これはー---」
幸村が言いかけた所で、掃除終了のチャイムが鳴った。
「あ、うわ鳴った!」
「やばいやばい、今日ミーティングなのに!ごめんね幸村君、じゃあ!あ、黒崎さんどうする?」
「ああ、ちりとりだけしたら帰るから。」
「わかった、悪いけどお先に!」
クラスメイト達は、手早くほうきを片づけて、慌てて出て行った。
あとはもう帰るだけだし、先生ができをチェックするとかそういうのもない。
だから普段なら千百合も、別に自分を置いていってくれて何も支障はないのだが、今日は若干面倒くさい気持ちがあった。
話しかけてきませんように。
応対が面倒くさいから。
それを態度に出すように、千百合は幸村の方を見ないでちゃかちゃかほうきを動かす。
(もうここだけやったら切り上げて帰ろ。)
そう思って掃除していたのだが。
「・・・・・・・」
やはり、嫌いじゃない。
この空の絵。
掃除がまあまあ苦にならない程度には気に入った。
「気に入ったかい?」
はっとして幸村の方を見ると、彼はにっこり微笑んだ。
「その絵。」
「・・・・うん。まあ。」
「ふふ、そうなんだ。どういう所が?」
「別にどこがってわけじゃ。なんとなく。」
話しかけられた、だるい。
さっさと帰ろう。
そう感じて千百合が手を早めると、急いでるらしきオーラを感じて、幸村が再度話しかけてきた。
「ごめん、時間がなさそうな所悪いんだけれど、ちょっと良いかな。」
「何。」
「さっきここに居た子達は、クラスメイト?名前はわかる?」
「・・・・分かるけど聞いてどうすんの。」
「誤解を解きたいんだ。今日は無理だけど、明日にでも。」
「誤解?」
「この花の絵は、俺のじゃないから。」
千百合は驚いて、しばし手を止めた。
「・・・サインがとかって言ってなかった?」
「ああうん、そうなんだけれど。実は美術部には、雪村さんー--雪の村で雪村さん、っていう人が居てね?俺は幸せな村で幸村なんだけれど、サインはローマ字で。」
「ああ。人違いなの。」
同姓同名ー--というよりは、同音異義語に近いだろうか。
「大したことじゃないけれど、違うっていっておかないと、トラブルの元だからね。この絵が素晴らしいと思うのなら、あっちの雪村さんに言ってあげないと。彼女に失礼だし。」
「それはまあ良い気もするけど。」
だって、はっきり言って、彼女らは多分絵の出来なんてどうでも良かったのだ。
ただ、幸村に気に入られたかっただけ。
そう考えると。
「・・・気の毒なやつ。」
「え?何が?」
「ああ、いや。何でも。」
この美形男は、本当に素晴らしい絵を描いても、ある意味まともに見てはもらえないのかもしれない。
皆「幸村が描いた」という部分ばっかり見て、できの方をまともに見ない。
自分がやったことの成果をまともに見てもらえないというのは、気の毒なことだと思うのだ。
言っても詮無いから言わないけど。
「・・・本物は?」
「うん?」
「あんたが本当に描いた絵。」
こういうことを言い出すのは、千百合にしては珍しい。
ただ。
何を描いてもまっとうな評価を得難いであろう彼に対して、若干同情の気持ちが湧いたことは確かだった。
幸村は一瞬きょとんとした顔をすると、次には柔らかく笑った。
「どれと思う?・・・って聞きたいところだけど、止めにするよ。」
「助かる。その手の冗談だるいから。」
「あはは!そうかと思ったよ。なんとなくだけど。」
幸村は右手をすっと上げると、千百合の方ー--いや、千百合の後方を指さした。
「・・・・え。」
そこには、あの空の絵。
千百合が何度も見てしまう、青空の絵があった。
「・・・・マジ?」
「裏を見て。俺の名前が書いてあるから。」
千百合がそろりと後ろに回ってキャンバスの裏を見ると、確かにきれいなアルファベットで「Seiichi Yukimura」とサインがしてある。
「ありがとう。」
「え?」
「気に入ってくれて。」
彼の微笑は、何度見ても絵よりきれいだった。