忍足に連れられるまま、可憐はやがて見知らぬ場所に辿り着いた。
そう遠く歩いたわけじゃない。
でも今まで、用事が無いからと近寄りもしなかった一帯。
「わあ・・・・」
「可憐ちゃん、どこか行きたい所ある?」
「え?」
「俺も場所はなんとなく考えとったけど、それより可憐ちゃんに何か当てあるんやったら、そっち優先してもええなて思うて。」
「行きたい、所・・・」
可憐の内心に、ちらりと過った場所がある。
学校。
日中の忍足が大半の時間を過ごす場所のことを、可憐は何も知らない。
でも立地も知らないし。もしかしたら遠いかもしれないし、自分は庶民だから近づいて良いものかわからない。
困らせるよりは言い出さない方が、と咄嗟に思ってしまった可憐は、言わないでおくことにした。
「可憐ちゃん?」
「あ、ううんっ!私特に何にも・・・ぶっ!」
「おっと。」
急に視界が遮られ、後ろにふらついた可憐は忍足に支えられて、なんとか転ぶのを免れた。
「な、何何っ!?」
「新聞やな。」
「新聞っ?今の時間にっ?」
「号外やわ。」
「ほんとだ・・・『十手団、またも貴族相手に空き巣成功。今度の標的は四宮家』・・・へえ・・・・」
「近いな。」
「近いっ?」
「ああいや。この狙われた家が、友達の家に近いなて思うて。」
「そうなのっ!?だ、大丈夫なのっ!?」
「大丈夫やないかもしれへんし、まあ機会があったら、知り合いの憲兵にでも言うとくわ。」
(知り合いの憲兵・・・)
可憐は憲兵に知り合いなんて居ない。
これは庶民だからと言うより、単純に縁が無いからである。何か怖そうだし。
ちなみに、安音は結構縁があるらしい。よくお叱りを受けている。とか、いないとか。
「可憐ちゃんも気つけてな。」
「えっ?でも私、庶民だし取るものもないよっ?」
「店があるやろ?」
「でも、お店も別にお金があるってわけじゃ、」
「この十手団いうやつは、貴族の家とか、贔屓の場所とかよお狙いよるねん。正直あそこ、俺とか跡部がちょいちょい出入りしてるから、狙われる可能性はまあまああるで。」
「ええええ・・・か、帰ったら皆にも言っておくねっ!」
「そうしとき。まあ、卡薩布蘭卡亭は、可能性がある中でも低い方ではあるねんけど・・・ああ、ここ。」
「えっ?」
「お昼、ここで食べよ。」
「へ・・・・」
桐生可憐。生まれて初めての洋食屋におそれおののく。
多分今の可憐の顔に見出しを付けるとしたら、そんな感じ。
ところで卡薩布蘭卡亭は、一応コーヒーが売りではあるものの、本当にコーヒーしか置いてないわけではなく。
他に飲み物も紅茶とか炭酸水とかあるし、軽食もサンドウイッチとかオムレツとか、餡みつとかそういうのがあるのだ。
でも、あくまで軽食だから、がっつり食事の品書きを可憐は見た事が無い。食べたことも無い。
「あ、あの、忍足君・・・」
「うん?」
「ごめん、お品書きに書いてある料理名がわからないものだらけで・・・!」
「ああ。」
わからない。
読めるけど聞いたことが無さ過ぎてわからない。
(ビフテキって何・・・?シチュウ・・・支柱?違うよね、そんなわけないよねっ!ピラフ、ピラフ?)
材料さえもわからない。
想像もつかないとはまさにこのこと。
?を山ほど飛ばす可憐に、忍足は笑うでもなく。
「ビフテキていうのんは、まあ牛肉焼いたやつやな。」
「牛!?た、高いんじゃ、」
「別に遠慮せえへんで。ここはそんな高ないし。」
「嘘・・・!」
「シチュウは煮込み料理で、肉とか野菜とか入ってんねん。ピラフは米炒めたやつで、カレエライスは、」
可憐はややくらくらしてきた。
頑張って想像しようとしてるけど、それはそれとして周りが気になって仕方がないし、なんだか人に見られてる気もするし。
処理能力を超えて、そろそろ限界を迎えそう。
「・・・・あれやったら、俺と一緒のんにしよか?」
「お、お願いします・・・」
「あー!ゆーし様だー!ゆーし様ー!」
あからさまな大声に可憐がはっと正気に返ると、少し離れた所で同い年くらいの美少女が手を振っていた。
その斜め前に、さらに女の子が。身なりからすると、こっちの子の方が裕福そうである。
「誰っ?」
「まあ、級友ていうか。」
「そうなのっ!?」
さっきの少女は、もうひとりに「うるさい」と言われながら隣の座席に案内された。
「奇遇やな。」
「ねー!」
「うるさいもう、静かにしろ。・・・・誰?」
「俺のお客さん。」
「えっ!?嘘、ゆーし様のお客さんってことは、患者さん!?どこか悪いの!?お外出て大丈夫!?」
「そうやのうて。」
どうやら医者志望の忍足が客と言うので、可憐を何かしらの患者だと思っているらしい。
明るい様子に可憐は緊張の糸が解けて、笑う余裕が出てきた。
「大丈夫だよっ!私、別に健康だからっ。」
「そーなの?良かったー・・・は!どーしよ、うっかりふつーに喋っちゃったよ!ど、どこのお家の方ですか!?怒らないで!許して!」
「えええっ!?・・・あ、もしかして、私の事偉い人と思ってるっ?大丈夫だよ、そんなことないよっ!私、庶民だからっ!」
「あ、そなの?はー、良かったー・・・いたあ!何すんのさー!」
「うるさい。黙れ。座れ。逢引の邪魔すんな。」
「叩かなくたって良いじゃんかー!」
「あ、あ、あ、逢引じゃないですっ!」
「あ、違うの。ごめん。」
「あ、い、いえ・・・・」
なんだか不思議な二人組である。
「紹介するわ。俺と同じ組の、黒崎千百合さん。と、侍女の五十嵐紀伊梨さん。」
「紀伊梨ちゃんです!はじめまして!」
「ども。」
「は、はじめまして、桐生可憐ですっ!」
(・・・・黒崎、)
可憐が考えていると、忍足は可憐の考えを先回りするように言った。
「一応教えとくけど、黒崎財閥のお嬢さんやねん。」
「や、やっぱりっ?」
ちょっとそうかなと思ったのだ。黒崎財閥と言うと、華族で今は貿易関係の会社を経営しているはず。
確か店にも、いくつか回ってきている品があったと思う。
「あの、私コーヒーを出すお店の女給でしてっ!いつもお世話に、」
「あー。良いよ、あんまり気にしなくて。だるいし。」
「だ、だるい・・・」
「めんどくさいもん。お作法とか身分とか。」
「ねー!紀伊梨ちゃん千百合っちの侍女さんでほんとーに良かったー!」
あっはっは、と豪快に笑う紀伊梨に、うるさいとは言いつつ態度を改めさせようとはしない千百合。とても財閥のお嬢様とそのお付きとは思えない。
(まあ、二人とも級友だからなのかなあ?いやでも・・・級友?)
「あ、あのっ。」
「うん?」
「紀伊梨・・・ちゃんって、学校に行ってるの?」
「うん!」
「ああ、こいつ同じ学校通わせてる。学費こっち持ちで。」
「学費持ち!?そ、そういうのあるんだ・・・・!」
「でも、最初は来てへんかったやんな。」
「そうなのっ?」
「うん!だって紀伊梨ちゃん、別に勉強しなくても困んないしー。」
この時代、進学は絶対じゃないのだ。だから可憐も学校には通っていないし、紀伊梨もそうなる予定だったのだが。
「思ってた以上に不便でさ。下僕の居ない生活。」
「そ、そうなんですか・・・」
「紀伊梨ちゃんはがっこー楽しいから良いけどねー!お友達もたくさんだし!ねーねー、可憐たんもがっこー来ないー?」
「ええっ!?そ、そんな、無理だよっ!とてもそんなお金ないし、」
「・・・お金あったら、学校行きたい?」
「え、」
お金があったら。
もし学校に行けたら。
「・・・・・ちょ、ちょっと行きたいかどうか判断できるほど、良く知らないし・・・・」
「勉強だけしたいってんなら、紀伊梨とやったらどう。」
「え?」
「こいつ馬鹿だから、教科書共有して一緒に勉強するだけでも、多分あんたの方が覚え早いよ。」
「そらええな。」
「えええ!?で、でも、教科書なんて高いものだし、練習する帳面とかもないし、」
「文房具やったら、俺からあげるわ。うち、そういうのん余ってるし。」
「おー!良いじゃん良いじゃん、楽しそー!一緒に勉強しよー!」
「い、良いんですかっ!?」
自分はまるで何も提供していないのに、一方的に教えてもらって良いんだろうか。何かもう、話が目の前でトントン進んで行ってるけど。
「ビーフシチュウのお客様。」
「ああ、おおきに。こっちです。」
「ああ来た・・・わああ・・・!か、嗅いだことのない匂い・・・」
「あ!可憐たんビーフシチュウ初めてすか!美味しいよ~、紀伊梨ちゃんもさー、初めて食べた時ほっぺが落ちそうだったよ!」
「そうなの!?た、食べて良いかなっ?」
「どうぞ。」
「い、いただきます・・・」
生涯初めてのビーフシチューの味は、まさに衝撃的だった。