「はー・・・お腹いっぱーい・・・」
「口に合うた?」
「うんっ!とっても美味しかったっ!あんなの初めて食べたよっ!」
この時代、日本食と言うと基本出汁は海産物なのである。肉の出汁ベースの料理がもうすでに新鮮で美味しい。
「牛肉ってあんな感じなんだねっ。柔らかくって口の中で溶けて、私多分一生忘れない、と・・・思う・・・」
「・・・うん?」
「・・・・・」
「どないしたん?」
「あ、いや、ううんっ!何でもない、何でもっ!」
今一瞬、忍足がすごく優しく微笑んでた。ような気がした。
忍足は優しいが、反面表情があまり動かないのは、卡薩布蘭卡亭の人皆知ってる事であった。笑うにしても悲しむにしても怒るにしても、小さく眉を潜めたり、口元が少し緩んでたりするだけ。
顔に出にくい人なのね、と皆言ってるし、だからといって冷たいわけじゃないのは程なくして皆わかったから、もうすっかり「そういう人」として受け入れていたけど。
でも今の微笑は、もっとはっきり微笑んでたように思う。
(み、見間違いかな、そうかも・・・だってあんな顔してるの見たことないし・・・きっとそうだよね、うんっ。)
はあ心臓に悪い、と可憐が思う傍ら、忍足は心底安堵していた。
良かった。自分の作戦は功を奏したよう。
そこで、次なのだが。
「可憐ちゃん、この後やねんけど。」
「あ、うんっ。」
「良かったら、俺の学校見てみる?」
「・・・・えっ!」
忍足は、可憐が「学校」という存在を気にしていることを察していた。
それは単に可憐がまったく行った事が無いから、知らない物に対する好奇心かもしれないし。
都合よく解釈するんだったら、自分のことを知ろうとしてくれてるのかもしれないし。
どっちにしろ、可憐が学校に興味を抱いているのは、ほぼ確実と見ていた。
今日だって、行きたいところを訪ねた時に、おそらく学校の話題を持ってくるんじゃないかと思っていたくらいだった。
結果的に可憐は遠慮して言わなかったわけだが、何か言いたそうにはしていたことも忍足はわかっている。
「い・・・良いのっ!?だってほら、私生徒じゃないしっ!」
「見学てことでええんとちゃうやろか。中まで入れるかはわからへんけど、ひとまず俺が居るさかい、身分の保証はできるで。」
「じゃ・・・じゃあ行ってみたいっ!」
「ほんなら行こか。」
「うんっ!」
(学校だって・・・!)
断っておくが、可憐は別に、学校見たことないわけじゃない。
ただ、家の近所にある学校は、どっちかというと公立に近いというか華族が通うような学校じゃないのだ。
でも、忍足の通う所は華族の通う学校である。
想像もつかない。どんな風なんだろう。
「・・・・・!」
「ここ・・・どないしたん?」
「お、お、お、大きい・・・!」
こんなでかい敷地、可憐は初めて見た。
「あの、忍足君っ!」
「うん?」
「お願いがあるんだけど・・・」
「うん。」
「あの・・・迷子になったときの、待ち合わせ場所を決めておきたいなあ、と・・・・」
言いながら恥ずかしくなってきたが、しょうがない。
子供みたいだけど、でも本当に迷う自信がある。
忍足は一瞬目を丸くしたが。
「・・・ほんなら、手繋がへん?」
「へっ?」
「そっちのが確実やで。」
「そ・・・・!」
確かに、そうかもしれない。
と一瞬思った。一瞬。
そして忍足には、一瞬あれば十分だった。
「ほんなら行こか。」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってちょっとっ!」
「あかん?」
「いやその、その、ええと・・・」
駄目かと言われるともうどうしようもない。
繋がない理由はまあまあるけど、繋ぐ理由もたくさんあるから。
「・・・・じゃあ、お願いします・・・」
「うん。」
今日学校が休みで良かったと可憐は思った。
人が居ないから、誰かに何か言われたりしなくて済む。
そこから2人は、憲兵に生徒手帳と校章を見せて正門を通過し、いろんなところを見た。
と言っても忍足にとっては勝手知ったる母校だが、可憐にとってはどこを向いても新鮮そのものである。
今こうして、歩いている廊下がすでに新鮮。
「床がつやつやだ・・・!」
「油効いてるさかい、滑らへんように気つけてな。」
「う、うんっ!」
可憐は無意識に、忍足に体を寄せるように歩く。
滑りそう、というのもあるが、そもそも怖いのだ。目に映るもの全部高そう。触るのが怖い。
忍足は忍足で、内心これ他の人にもしてるのかなあ、なんてことが気になったりもしてるのだが。
「あ。」
「えっ?」
「見えたで。あれが俺の、組・・・・?」
扉が開いている。
それに、話し声が聞こえる。
今日は土曜日だから、おそらく鍵が閉まっていて入れないだろうと忍足は踏んでいた。だから、本当は中を案内したかったが、ガラス越しに中を見せるのがせいぜいだろうと思っていた。(可憐的には、そもそもガラスがはまってる戸がこんなに沢山ある時点でびっくりだが)
でも、誰か居るのか。
大体こういうのは警備員とか担任が多いけど。
近づいていくと、段々声がはっきり聞こえてくる。
これは。
あれだ。
担任と友人だ。
「紫希ちゃんやん。」
「え?」
可憐に言ったというよりは、完全に独り言としての声の小ささで忍足が呟いた。
それと、2人の足が教室に辿り着くのは同時だった。
「春は、あけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎは・・・」
「そーそー・・・ん?あれ?忍足!よーっす!」
(わあああ・・・・!)
可憐が驚いたのは2つ。
1つは教室である。
窓だ。ガラス窓がこんなに沢山。
机も椅子も整然と並んでいるし、照明にもガラスが使われていて、教室一つとっても高級感。
そして、もう1つが教室に座っていた女子生徒。
黒髪。黒目。そこだけ見たら立派な日本人だが。
(きれい・・・お人形さんみたいっ。何か、顔の作りが私達と違うよね・・・外国の人っ?)
でも、可憐の辞書の中で外国人と言うと、大体金髪の青い目である。
「忍足君、こんにちは。」
「そいつ誰?うちの生徒にそんなの居たっけ?」
「俺の友達です。桐生可憐ちゃん。今日は、学校見学したい言うて。」
「は、はじめましてっ!見させていただいてますっ!・・・あうっ!」
可憐は慌てて頭を下げた。
そしてぶつけた。机に。
「大丈夫ですか!?」
「おいおい、気をつけろよ?机は良いけど、その辺の花瓶とかすー--っげー高いんだからな!」
「き、気をつけます・・・!」
「あんまり脅さんといてもらえます?」
忍足は小さく溜息を吐いた。紫希はともかく、この担任はややアクが強い。
「可憐ちゃん、紹介するわ。うちの担任で、切原赤也先生。」
「よっ!学校来たら、よろしくな!」
「あ!わ、私本当に見に来ただけで、来るとかってわけじゃないのでっ!」
「えっ!来ねえの?なんで?」
「いろいろあるんです。」
「ふーん。」
(若い先生だなあっ。)
下手したら、3つくらいしか違わないんじゃないだろうか。
むしろ振舞が子供っぽいので、同い年と言われてもギリギリ通るかもしれない。
「それから、こっちの子が級友。春日紫希ちゃん。」
「春日です。よろしくお願いします。」
「よ、よろしくお願いしますっ!」
(近くで見るとますますきれい・・・)
可憐がつい顔に視線を投げるのを見て、忍足は付け加えた。
「紫希ちゃんは、お母さんが英国の人やねん。」
「えっ!?そうなのっ!?」
「はい。ですけど、父は日本人です。私も生まれはEng・・・英国ですけど、日本語はずっと読み書きしていたので、少しはできます。」
「少し・・・?」
「まあ、遠慮深い子やねん。」
すごく流暢に日本語操っている気がするのだが。
でも紫希は自嘲気味に笑って、小さく首を振った。
「全然です。特に古典が難しくて。」
「ああ、せやからさっき。」
「そーそ!勉強してるんだからな?学校で逢引してるお前らと違って!」
「ええっ!」
驚く可憐に対し、忍足は小さく吹き出した。
隣の紫希も同じ。
「えっ?えっ?」
「・・・なんだよ、お前ら2人して。」
「先生は言えた立場とちゃいますやん。」
「はあっ!?」
「先生。正直・・・結構たくさんの人が知ってますので。」
「ええっ、嘘だろ!?」
「いや、逢引してるとは思うてませんけど。」
「でもその・・・好きな人は居ますよね?」
「い、居ねえよ!っつうか、大きな声で言うなよ!くびになるかもしれねーだろ!」
(・・・えっと、これは切原先生?が、学校に好きな人居る?ってことで良いのかなっ?)
でも、学校の同僚好きになっただけでくびだなんて、流石厳格だなあ・・・なんて思う可憐は、ちょっと思い違いをしてる。
学校に好きな人は居るけど。
それが教師とは誰も言ってないのであって。
「うちの組、大概知ってますから、平気ですよ。」
「あの、なんなら便宜をはかっても・・・」
「しなくて良いんだよ!くっそー・・・誰にも言うなよ!」
「「だから結構皆ー--」」
「あー!あー!もう良い!」
「・・・・・」
小さく笑う忍足。
その隣で、忍足よりははっきり笑う紫希。
多分忍足は、学校でこんな風に過ごしているのだ。
あんな風に。
育ちが良くて。
華やかで。
勉強ができて、そんな子と仲良くしてるのだ。
可憐は胸がちくりとした。
可愛いと思っていたはずの今日の服は、緑でまとめられた紫希の制服より、なんだかずっと格好悪いものに思えた。