5周年記念企画:カサブランカの物憂い 後編 - 6/8


時代が味方してくれた。
というべきか。

この時代、銃はまださほど流通しておらず、全員が持ってるわけじゃないので、一度距離を取ってしまえば攻撃は当たらない。

加えて、この時代はまだ電気が無い。
だから、廊下は真っ暗である。

もっとも、真っ暗なのはこっちにとっても同じだが。

「どうしようっ、どうしようっ、どこ行くのっ!?」
「とりあえず降りよ。階段ー--」

忍足も可憐も、移動させられてる時は基本目隠しであった。
だから、窓からの風景でここが多分3階なのはわかっても、どこに1階への階段があるのかは知らない。

(あんまりぐずぐずしてられへんけどー---)

バン!
バン!

銃声のようなものが、下から聞こえてきた。

「な、何っ!?何の音っ!?」
「・・・・さっき言うとった2人が、暴れてるんかも知らへんな。」
「ええっ!?」
「どういう奴か知らへんけど、とりあえず追われてる女と追っとる憲兵やさかい、もみ合いになっててもおかしゅうないで。憲兵も銃剣は持ってるやろし。」
「た、助かってる・・・わけじゃない、かなっ?」
「犯罪者増えてるわけやからなあ。まあでも、おかげで部屋は出れたわ。」
「そうだよねっ。」

しかし、困る。
広い。

5人居た十手団だって、何人下に行ってくれたかわかったもんじゃない。最悪、階下の事情は階下の事情として、全員降りてないこともあり得るだろう。

(流石に1人くらいは下行っとるて思いたいけど。)

「・・・・!可憐ちゃん、こっちや。」
「え?」

足音がした。まずい、近づかれている。
忍足は、適当な扉を開けて中に入った。

幸い倉庫なだけあって、物陰には事欠かない。
が、代わりにそんな広くもない。

だから、隠れるにはちょっと無理しないといけない時もある。

「堪忍な。」
「え?え?」
「非常事態やねん。後で文句は聞くさかい。」
「待って待ってっ!何がー---」

忍足は可憐の肩を抱いて体を引き寄せると、そのまま机の下に入った。

大分狭い。
でも、今回に限ってはそれが吉だ。
これだけ狭いと、「流石にあそこに2人は無理だな」と思ってくれる可能性が高まる。

ただまあ、しばらくはこの状態ー--ぎゅっと抱きしめてしまうことになるけど。

「・・・・・!」

可憐は事態を把握した瞬間真っ赤になってしまったが(もっとも真っ暗でよくわからなかっただろうが)、次の瞬間には青くなった。

バタバタバタ・・・と部屋を通り過ぎる足音が聞こえたからである。

見つかったら殺される。
今まで死なない体で話をしてきたが、すでに一度脱走を試みている。
見つかったら普通に死んでもおかしくない。だって怒らせてるもん。

一気に甘い気持ちも雲散霧消して、ちょっと震えだしさえする可憐に、忍足はすぐに気づいた。

ああもう。
今日はこんなはずじゃなかったのに。

「・・・堪忍な。」

ほとんど囁きのような声が可憐の耳に滑り落ちてきた。

「え?」
「こんなことに巻き込んでもうて、ほんまに悪いて思うわ。」
「そんな、忍足君のせいじゃないよっ。」
「いや、今日のんはほんまに俺のせいやわ。」

自分の傍に居なければ。
せめて、今日2人で出かけなければ、自分だけの話で済んだかもしれないのに。

こんなところでこんな風に、2人して死ぬかもしれなくなるなんて。

(・・・・死ぬ、なあ。)

明治という時代は。
発展と同時に混沌の時代でもある。

時代の歩く早さはあまりにも速すぎて、ついていけない人間も大勢いて、忍足にとって死はそんなに遠いことではなかった。

まして、忍足は医者息子である。
昨日生きていた人が次の日この世を去っているなんてことも、珍しいことじゃない。

だから、自分なりに精一杯生きていたつもりだったのだ。
これでも。

明日に積み残しをしないように。
何かあっても、ああ、あの時こうしておけば良かったと思わなくて良いように。



でも可憐に対しては違う。

またこんな日を過ごしたいと思う。
また次の時にと、何度も何度も思う。

卡薩布蘭卡亭に通う日々が始まってから、ずっとそう思って、通うようになって、今日は2人きりで出かけて。
そしてガス灯を見た時に、またこんな日を過ごしたいと思った。

これは罰なんだろうか。
命の側にあって、その上で明日のことを考え続けてきた報いなのか。

それなら。

「・・・・・・・」
「・・・忍足君?」
「可憐ちゃんー--」

バァン!

建物ごと揺れるような轟音がして、忍足と可憐は思わず机から外に出た。

「な、何何っ!?」
「・・・とりあえず、そない近くやあらへんけど。」

でも、何かが起こってるのは間違いない。
しかも、あまり良いことではなさそうなことが。

「こ、ここに居て良いのかなっ!?」
「出た方がええかも知れへんな。ただ、出たら見つかるかもしれへんけど・・・・」

さっきのはおそらく爆発音である。
原因はわからないが、爆発が起きたことには違いない。

つまり、火災や崩落の危険がある。

「・・・出よか。」
「わ、わかったっ!」
「離れんといてな。」
「うんっ!」

部屋から出ると、妙な匂いがした。
間違いない。階下で何か燃えている。

こうなってくると、いよいよぐずぐずしていられない。

(とりあえず、2階へ行かな。)

3階から飛び降りるのは無理でも、2階なら足から行けば、死ぬまではいかない。
この時代は階高がまだ低いので、2階の高さはたかが知れてる。

可憐は厳しいかもしれないが、自分が緩衝材になれば良いと忍足は思っていた。

「取り敢えずこっちへー--」

「そうは行かないぜ。」

暗闇から表れたのは、まとめ役の男であった。

「やってくれたなー--いつどうやってやったのか知らないが、お前仲間を呼んだだろ?」
「えっ!?」
「・・・・・」

どうやら真田が上手くやってくれたらしい。
場所の特定にもっと時間がかかると思ったが、嬉しい誤算。

「さっき入口に居たとか言ってた、男と女もお前の差し金かー--まあそれはもうどうでも良い。わかるか?この匂い・・・木が焼ける匂いだぜ。」
「火事やろ。」
「えっ!?」
「そうさ。下で粉塵爆発がおきたんだ。誰か備蓄用の米と偽って、木くずを大量に持ち込んでたらしいな。」
「じゃ、じゃあっ!この家ってー--」
「そうだ。放っておいたら焼け落ちて、俺達全員丸焦げだ。」

いよいよ濃くなる死の気配に可憐は真っ青だが、忍足は冷静さを失わない。

慌てない。
狼狽えない。
もうやることは決まってる。

「で?見逃してくれるん?」
「まあ、見逃さない理由もないとは言えるな。」
「えっ?」
「どっちにしろもうここは駄目だ。仲間も何人か、捕まるか死んだかしたようだし。ここでお前らを殺して何になる?と聞かれると、まあ何にもならないな。」
「じゃ、じゃあー--」

「ただ、やられっぱなしで黙ってられるほど俺はできた人間でもない。」

やっぱりそうきたか。

「お・・・お・・・忍足君、どうしよう、どうしよー--」
「大丈夫やで。」
「え?」

「絶対、守ったるさかい。」

ここまで来たらどうしようもない。
その気持ちは忍足も同じである。

一番大事なことだけ優先しよう。
他のことはもう捨て置くしかない。

「根性は褒めてやるが、できるのか?」
「できるとかできへんとか、そういう話はしてへん。」

するのだ。
他にどうしようもない。

「・・・・こっちや!」
「わっ!」


「逃がすか!」


忍足は可憐の腕を引いて駆け出した。
まず距離だ。それから。

「可憐ちゃん、悪いねんけどちょっと自分で走ってな。」
「は、はいっ!」
「右や、右行って。」
「はいっ!」
「そのまま真っすぐ。」
「はいっ・・・忍足君っ?」

忍足は、着ていた上着を脱いでいた。
そしてそれを、右手に巻きつける。

「ど、どうしたのっ?怪我したのっ?」
「これからすんねん。」
「えっ!?」
「左。」
「あ、ああっ!はいっ!」

言われるままの方向に全速力で駆ける可憐。
しかし。

(何だろう・・・何か、変なにおいがきつくなってきた気が・・・)

「・・・あっ!」

可憐は急停止した。

「・・・そんなっ!」

進行方向の廊下。
その右手に階段があるのだが、なんと階段に火の手が上がっている。

これでは、3階の奥へは行けても、2階へ降りるのは望むべくもない。

「お、忍足君階段がっ!」
「あかんかったか・・・可憐ちゃん、ちょっと離れといてな。」
「えっ?」
「怪我するで。」

忍足は上着を巻いた右手を振り上げて。
硝子窓を殴った。


バリィン!


1枚割ったら、そのまま2枚、3枚と割っていく。

「お、忍足君何してるのっ?」
「可憐ちゃん、窓のとこ居っとき。」
「えっ!?」
「煙吸ったらあかんで。」

火事で死ぬのは、熱よりも煙である。
忍足はそのことを知っていた。

とりあえずこれで、可憐は窓から顔を出して呼吸できるはずだ。

後は。

「どうした?諦めたか?」

こいつだ。こいつをどうにかしないと安心できない。

「ほう・・・階段がやられたか。いよいよお互い、死ぬしかなくなってきたな。」
「わからへんやろ。」
「まあそう思いたい気持ちも、それこそわかるさ。お前はまだ若い。良い仲の女もいる。そりゃ生きたいだろうよ。でも良いのか?俺は武器持ち、そっちは丸腰だぜ?おまけに利き手はやられてるようだしな。」
「え・・・・!?」

可憐はそこではじめて、忍足の右手が真っ赤になってることに気づいた。
布を巻いてるとはいえ、素手で硝子窓殴っていたのだ。当然と言えば当然だが。

「お、忍足君血が・・・や、止めようよっ!戦っても勝てないよ、」
「大丈夫。」
「大丈夫って・・・・」

どの辺に大丈夫な要素があるのかわからない。

でも。

「大丈夫やから。」

やるしかない。
どんなに勝利の確率が低くたって、怖気づいて居られない。

対峙する男は、忍足が手強いことをわかっていた。
この世で一番怖いものは、腹を括った人間なのだ。

「・・・・いざ!」
「っ!」

忍足は右手を振った。

(右手を捨てる気か!)

右手は、もう無いものとする。
切断しても良いものと諦めて、脇差を受けるのに使う気か。

「甘いな!受け止めたところで・・・!?うぐっ!」

男は急に視界が効かなくなった。

「くそ!なんだこの匂いは・・・!?」

(血の匂い!そうかあの男、血を投げて目潰しをー--)

そうは言っても、良く見えないのなんて数秒である。
数秒だけ。

でも、数秒あれば十分だ。だからここを選んだんだから。

「ふっ!」
「ぐうっ!?」

忍足の体当たりが、男を吹っ飛ばした。

男の体は、宙を舞い。

階段の、一番炎がきつい部分を通り越して、踊り場に叩きつけられた。


「う・・・・ぐう・・・」


「・・・・・!お、忍足君大丈夫っ!?」
「大丈夫やで。」

まだ死んでないけど、もうここまでは来られまい。
これで良い。もう手出しされない。

さて。
最後だ。

「可憐ちゃん、出よか。」
「で、でもどこから・・・きゃあっ!」
「っ!」

本格的に火が回ってきた。

向こうの方で、梁や何かが焼け落ちた音が聞こえる。
ここももう間もなくだ。

「行こ。」
「ま、待って待ってっ!どこからどうやって・・・・!?」

可憐は抱き上げられた。
そのことに一瞬狼狽えたが、次の瞬間には別のことで狼狽えることになった。

忍足は、窓の桟に足をかけている。

「・・・もしかして、ここから降りるんじゃ。」
「せやで。」
「だ・・・・駄目だよっ!そんなことしたら死んじゃうよっ!」
「大丈夫やて、可憐ちゃんは。」
「私は・・・?」

もう他にどうしようもない。
火事が起きたのに3階からスムーズに降りられなかった時点で、遅かれ早かれ火事で死ぬか、見つかって殺されるかのどっちかになるのは予測していた。

でも、自分が可憐を最後まで抱えていれば大丈夫。

可憐は死なない。
自分は死ぬけど。

可憐も察した。
忍足がどうするつもりなのか。

「・・・・!?駄目駄目駄目だよっ!下ろしてっ!そんなの絶対駄目っ!絶対駄目だよっ!」
「ちょっと右手に響くさかい、じっとしといてくれると助かるんやけど。」
「あ、ごめ・・・じゃなくてっ!ー---きゃあっ!」

ガラガラ!と大きい音がして、周囲が明るくなってきた。

階段も燃え落ちた。
忍足が階段上から落とした男も、火の勢いが強すぎて、もう助かったのかどうかさえ見えなくなった。

「ほな行こ。」
「駄目だよっ!」
「でもなー---」
「確かにこのままじゃ2人とも死んじゃうかもしれないけどっ!けど、けど・・・・」

可憐だってわかる。
自分達は死の淵に居る。

飛び降りても死ぬし。
此処に居ても死ぬ。

それなら、忍足を犠牲にした方が、少なくとも死ぬのは1人で済むのだ。
簡単な計算の問題。

それはわかる。
わかるけど。

わかるけど。

「・・・・やっぱり嫌だよ。」
「可憐ちゃん、あんな、」


「じゃあもう良いよっ!ずっとここに居ようよっ!私、忍足君が死んだ後に一人で生き残るのなんて絶対嫌っ!」


可憐は死ぬのが怖い。
自慢じゃないけど、人の死なんて身近に感じたことはないし、自分が死ぬのだって考えたことない。


でも、忍足の居ない世界に一人で放り出されるのも怖いのだ。


好きだとかなんだとかよくわからないけど、これだけは言える。

どこを探してももう居ないなんて。
二度と会えないし声も聞けないなんて。
ずっとそのまま生きていくなんて。

そんな世界で可憐はどう生きれば良いのかわからない。

忘れるなんてできない。
探さないなんてできない。

そうなるくらいなら、もうここまでで良い。

「・・・・・・・」
「うっ・・・ひっく・・・」

腕の中で泣く可憐に、忍足はどうしたら良いのかわからなかった。

いや。
やることは決まってる。

可憐を生かす。

でも、ずっとここに居ようと言われたことについては、返事をするべきかどうか一瞬迷った。

その一瞬だった。

「・・・・!?う、」
「忍足君!?」

急速に意識が遠のいて、忍足は意に反して体から力が抜けてしまった。

まずい。
煙を吸ったか。

いやでも、そんなはずはないのに。
出ようとした所だったから、窓の近くだったのに。

いや、今はもう良い。
そんなことどうでも。

立たなければ。
可憐を助けなければ。

そう思うのに、体は動かなくて。

自分を呼ぶ声と、薄らいでいく可憐の背後に、忍足は何かー--明るくて青い何かを見た気がした。