時代が味方してくれた。
というべきか。
この時代、銃はまださほど流通しておらず、全員が持ってるわけじゃないので、一度距離を取ってしまえば攻撃は当たらない。
加えて、この時代はまだ電気が無い。
だから、廊下は真っ暗である。
もっとも、真っ暗なのはこっちにとっても同じだが。
「どうしようっ、どうしようっ、どこ行くのっ!?」
「とりあえず降りよ。階段ー--」
忍足も可憐も、移動させられてる時は基本目隠しであった。
だから、窓からの風景でここが多分3階なのはわかっても、どこに1階への階段があるのかは知らない。
(あんまりぐずぐずしてられへんけどー---)
バン!
バン!
銃声のようなものが、下から聞こえてきた。
「な、何っ!?何の音っ!?」
「・・・・さっき言うとった2人が、暴れてるんかも知らへんな。」
「ええっ!?」
「どういう奴か知らへんけど、とりあえず追われてる女と追っとる憲兵やさかい、もみ合いになっててもおかしゅうないで。憲兵も銃剣は持ってるやろし。」
「た、助かってる・・・わけじゃない、かなっ?」
「犯罪者増えてるわけやからなあ。まあでも、おかげで部屋は出れたわ。」
「そうだよねっ。」
しかし、困る。
広い。
5人居た十手団だって、何人下に行ってくれたかわかったもんじゃない。最悪、階下の事情は階下の事情として、全員降りてないこともあり得るだろう。
(流石に1人くらいは下行っとるて思いたいけど。)
「・・・・!可憐ちゃん、こっちや。」
「え?」
足音がした。まずい、近づかれている。
忍足は、適当な扉を開けて中に入った。
幸い倉庫なだけあって、物陰には事欠かない。
が、代わりにそんな広くもない。
だから、隠れるにはちょっと無理しないといけない時もある。
「堪忍な。」
「え?え?」
「非常事態やねん。後で文句は聞くさかい。」
「待って待ってっ!何がー---」
忍足は可憐の肩を抱いて体を引き寄せると、そのまま机の下に入った。
大分狭い。
でも、今回に限ってはそれが吉だ。
これだけ狭いと、「流石にあそこに2人は無理だな」と思ってくれる可能性が高まる。
ただまあ、しばらくはこの状態ー--ぎゅっと抱きしめてしまうことになるけど。
「・・・・・!」
可憐は事態を把握した瞬間真っ赤になってしまったが(もっとも真っ暗でよくわからなかっただろうが)、次の瞬間には青くなった。
バタバタバタ・・・と部屋を通り過ぎる足音が聞こえたからである。
見つかったら殺される。
今まで死なない体で話をしてきたが、すでに一度脱走を試みている。
見つかったら普通に死んでもおかしくない。だって怒らせてるもん。
一気に甘い気持ちも雲散霧消して、ちょっと震えだしさえする可憐に、忍足はすぐに気づいた。
ああもう。
今日はこんなはずじゃなかったのに。
「・・・堪忍な。」
ほとんど囁きのような声が可憐の耳に滑り落ちてきた。
「え?」
「こんなことに巻き込んでもうて、ほんまに悪いて思うわ。」
「そんな、忍足君のせいじゃないよっ。」
「いや、今日のんはほんまに俺のせいやわ。」
自分の傍に居なければ。
せめて、今日2人で出かけなければ、自分だけの話で済んだかもしれないのに。
こんなところでこんな風に、2人して死ぬかもしれなくなるなんて。
(・・・・死ぬ、なあ。)
明治という時代は。
発展と同時に混沌の時代でもある。
時代の歩く早さはあまりにも速すぎて、ついていけない人間も大勢いて、忍足にとって死はそんなに遠いことではなかった。
まして、忍足は医者息子である。
昨日生きていた人が次の日この世を去っているなんてことも、珍しいことじゃない。
だから、自分なりに精一杯生きていたつもりだったのだ。
これでも。
明日に積み残しをしないように。
何かあっても、ああ、あの時こうしておけば良かったと思わなくて良いように。
でも可憐に対しては違う。
またこんな日を過ごしたいと思う。
また次の時にと、何度も何度も思う。
卡薩布蘭卡亭に通う日々が始まってから、ずっとそう思って、通うようになって、今日は2人きりで出かけて。
そしてガス灯を見た時に、またこんな日を過ごしたいと思った。
これは罰なんだろうか。
命の側にあって、その上で明日のことを考え続けてきた報いなのか。
それなら。
「・・・・・・・」
「・・・忍足君?」
「可憐ちゃんー--」
バァン!
建物ごと揺れるような轟音がして、忍足と可憐は思わず机から外に出た。
「な、何何っ!?」
「・・・とりあえず、そない近くやあらへんけど。」
でも、何かが起こってるのは間違いない。
しかも、あまり良いことではなさそうなことが。
「こ、ここに居て良いのかなっ!?」
「出た方がええかも知れへんな。ただ、出たら見つかるかもしれへんけど・・・・」
さっきのはおそらく爆発音である。
原因はわからないが、爆発が起きたことには違いない。
つまり、火災や崩落の危険がある。
「・・・出よか。」
「わ、わかったっ!」
「離れんといてな。」
「うんっ!」
部屋から出ると、妙な匂いがした。
間違いない。階下で何か燃えている。
こうなってくると、いよいよぐずぐずしていられない。
(とりあえず、2階へ行かな。)
3階から飛び降りるのは無理でも、2階なら足から行けば、死ぬまではいかない。
この時代は階高がまだ低いので、2階の高さはたかが知れてる。
可憐は厳しいかもしれないが、自分が緩衝材になれば良いと忍足は思っていた。
「取り敢えずこっちへー--」
「そうは行かないぜ。」
暗闇から表れたのは、まとめ役の男であった。
「やってくれたなー--いつどうやってやったのか知らないが、お前仲間を呼んだだろ?」
「えっ!?」
「・・・・・」
どうやら真田が上手くやってくれたらしい。
場所の特定にもっと時間がかかると思ったが、嬉しい誤算。
「さっき入口に居たとか言ってた、男と女もお前の差し金かー--まあそれはもうどうでも良い。わかるか?この匂い・・・木が焼ける匂いだぜ。」
「火事やろ。」
「えっ!?」
「そうさ。下で粉塵爆発がおきたんだ。誰か備蓄用の米と偽って、木くずを大量に持ち込んでたらしいな。」
「じゃ、じゃあっ!この家ってー--」
「そうだ。放っておいたら焼け落ちて、俺達全員丸焦げだ。」
いよいよ濃くなる死の気配に可憐は真っ青だが、忍足は冷静さを失わない。
慌てない。
狼狽えない。
もうやることは決まってる。
「で?見逃してくれるん?」
「まあ、見逃さない理由もないとは言えるな。」
「えっ?」
「どっちにしろもうここは駄目だ。仲間も何人か、捕まるか死んだかしたようだし。ここでお前らを殺して何になる?と聞かれると、まあ何にもならないな。」
「じゃ、じゃあー--」
「ただ、やられっぱなしで黙ってられるほど俺はできた人間でもない。」
やっぱりそうきたか。
「お・・・お・・・忍足君、どうしよう、どうしよー--」
「大丈夫やで。」
「え?」
「絶対、守ったるさかい。」
ここまで来たらどうしようもない。
その気持ちは忍足も同じである。
一番大事なことだけ優先しよう。
他のことはもう捨て置くしかない。
「根性は褒めてやるが、できるのか?」
「できるとかできへんとか、そういう話はしてへん。」
するのだ。
他にどうしようもない。
「・・・・こっちや!」
「わっ!」
「逃がすか!」
忍足は可憐の腕を引いて駆け出した。
まず距離だ。それから。
「可憐ちゃん、悪いねんけどちょっと自分で走ってな。」
「は、はいっ!」
「右や、右行って。」
「はいっ!」
「そのまま真っすぐ。」
「はいっ・・・忍足君っ?」
忍足は、着ていた上着を脱いでいた。
そしてそれを、右手に巻きつける。
「ど、どうしたのっ?怪我したのっ?」
「これからすんねん。」
「えっ!?」
「左。」
「あ、ああっ!はいっ!」
言われるままの方向に全速力で駆ける可憐。
しかし。
(何だろう・・・何か、変なにおいがきつくなってきた気が・・・)
「・・・あっ!」
可憐は急停止した。
「・・・そんなっ!」
進行方向の廊下。
その右手に階段があるのだが、なんと階段に火の手が上がっている。
これでは、3階の奥へは行けても、2階へ降りるのは望むべくもない。
「お、忍足君階段がっ!」
「あかんかったか・・・可憐ちゃん、ちょっと離れといてな。」
「えっ?」
「怪我するで。」
忍足は上着を巻いた右手を振り上げて。
硝子窓を殴った。
バリィン!
1枚割ったら、そのまま2枚、3枚と割っていく。
「お、忍足君何してるのっ?」
「可憐ちゃん、窓のとこ居っとき。」
「えっ!?」
「煙吸ったらあかんで。」
火事で死ぬのは、熱よりも煙である。
忍足はそのことを知っていた。
とりあえずこれで、可憐は窓から顔を出して呼吸できるはずだ。
後は。
「どうした?諦めたか?」
こいつだ。こいつをどうにかしないと安心できない。
「ほう・・・階段がやられたか。いよいよお互い、死ぬしかなくなってきたな。」
「わからへんやろ。」
「まあそう思いたい気持ちも、それこそわかるさ。お前はまだ若い。良い仲の女もいる。そりゃ生きたいだろうよ。でも良いのか?俺は武器持ち、そっちは丸腰だぜ?おまけに利き手はやられてるようだしな。」
「え・・・・!?」
可憐はそこではじめて、忍足の右手が真っ赤になってることに気づいた。
布を巻いてるとはいえ、素手で硝子窓殴っていたのだ。当然と言えば当然だが。
「お、忍足君血が・・・や、止めようよっ!戦っても勝てないよ、」
「大丈夫。」
「大丈夫って・・・・」
どの辺に大丈夫な要素があるのかわからない。
でも。
「大丈夫やから。」
やるしかない。
どんなに勝利の確率が低くたって、怖気づいて居られない。
対峙する男は、忍足が手強いことをわかっていた。
この世で一番怖いものは、腹を括った人間なのだ。
「・・・・いざ!」
「っ!」
忍足は右手を振った。
(右手を捨てる気か!)
右手は、もう無いものとする。
切断しても良いものと諦めて、脇差を受けるのに使う気か。
「甘いな!受け止めたところで・・・!?うぐっ!」
男は急に視界が効かなくなった。
「くそ!なんだこの匂いは・・・!?」
(血の匂い!そうかあの男、血を投げて目潰しをー--)
そうは言っても、良く見えないのなんて数秒である。
数秒だけ。
でも、数秒あれば十分だ。だからここを選んだんだから。
「ふっ!」
「ぐうっ!?」
忍足の体当たりが、男を吹っ飛ばした。
男の体は、宙を舞い。
階段の、一番炎がきつい部分を通り越して、踊り場に叩きつけられた。
「う・・・・ぐう・・・」
「・・・・・!お、忍足君大丈夫っ!?」
「大丈夫やで。」
まだ死んでないけど、もうここまでは来られまい。
これで良い。もう手出しされない。
さて。
最後だ。
「可憐ちゃん、出よか。」
「で、でもどこから・・・きゃあっ!」
「っ!」
本格的に火が回ってきた。
向こうの方で、梁や何かが焼け落ちた音が聞こえる。
ここももう間もなくだ。
「行こ。」
「ま、待って待ってっ!どこからどうやって・・・・!?」
可憐は抱き上げられた。
そのことに一瞬狼狽えたが、次の瞬間には別のことで狼狽えることになった。
忍足は、窓の桟に足をかけている。
「・・・もしかして、ここから降りるんじゃ。」
「せやで。」
「だ・・・・駄目だよっ!そんなことしたら死んじゃうよっ!」
「大丈夫やて、可憐ちゃんは。」
「私は・・・?」
もう他にどうしようもない。
火事が起きたのに3階からスムーズに降りられなかった時点で、遅かれ早かれ火事で死ぬか、見つかって殺されるかのどっちかになるのは予測していた。
でも、自分が可憐を最後まで抱えていれば大丈夫。
可憐は死なない。
自分は死ぬけど。
可憐も察した。
忍足がどうするつもりなのか。
「・・・・!?駄目駄目駄目だよっ!下ろしてっ!そんなの絶対駄目っ!絶対駄目だよっ!」
「ちょっと右手に響くさかい、じっとしといてくれると助かるんやけど。」
「あ、ごめ・・・じゃなくてっ!ー---きゃあっ!」
ガラガラ!と大きい音がして、周囲が明るくなってきた。
階段も燃え落ちた。
忍足が階段上から落とした男も、火の勢いが強すぎて、もう助かったのかどうかさえ見えなくなった。
「ほな行こ。」
「駄目だよっ!」
「でもなー---」
「確かにこのままじゃ2人とも死んじゃうかもしれないけどっ!けど、けど・・・・」
可憐だってわかる。
自分達は死の淵に居る。
飛び降りても死ぬし。
此処に居ても死ぬ。
それなら、忍足を犠牲にした方が、少なくとも死ぬのは1人で済むのだ。
簡単な計算の問題。
それはわかる。
わかるけど。
わかるけど。
「・・・・やっぱり嫌だよ。」
「可憐ちゃん、あんな、」
「じゃあもう良いよっ!ずっとここに居ようよっ!私、忍足君が死んだ後に一人で生き残るのなんて絶対嫌っ!」
可憐は死ぬのが怖い。
自慢じゃないけど、人の死なんて身近に感じたことはないし、自分が死ぬのだって考えたことない。
でも、忍足の居ない世界に一人で放り出されるのも怖いのだ。
好きだとかなんだとかよくわからないけど、これだけは言える。
どこを探してももう居ないなんて。
二度と会えないし声も聞けないなんて。
ずっとそのまま生きていくなんて。
そんな世界で可憐はどう生きれば良いのかわからない。
忘れるなんてできない。
探さないなんてできない。
そうなるくらいなら、もうここまでで良い。
「・・・・・・・」
「うっ・・・ひっく・・・」
腕の中で泣く可憐に、忍足はどうしたら良いのかわからなかった。
いや。
やることは決まってる。
可憐を生かす。
でも、ずっとここに居ようと言われたことについては、返事をするべきかどうか一瞬迷った。
その一瞬だった。
「・・・・!?う、」
「忍足君!?」
急速に意識が遠のいて、忍足は意に反して体から力が抜けてしまった。
まずい。
煙を吸ったか。
いやでも、そんなはずはないのに。
出ようとした所だったから、窓の近くだったのに。
いや、今はもう良い。
そんなことどうでも。
立たなければ。
可憐を助けなければ。
そう思うのに、体は動かなくて。
自分を呼ぶ声と、薄らいでいく可憐の背後に、忍足は何かー--明るくて青い何かを見た気がした。