貴方にはいつか、必ず日本を見てもらいたいわ。
それが紫希の母の口癖だった。
日本人なのは父の方なのに、イギリス人である母の方が日本行きに拘ることを、紫希は昔からちょっと面白いと思っていた。
小さい頃は単なる口癖だったが、紫希が成長するにつれ、話は具体的になっていった。
そして齢16となった時、紫希は本当に極東の国ー--日本に留学しにやってきたのだ。
「おはよ。」
「紫希ちゃん、おっはよー!」
「おはようございます、千百合ちゃん。紀伊梨ちゃん。」
私立立海学園に入学して1年以上経った。
幸いー--紫希は本当に、この点において幸いと思っていたー--気の置けない友人もできて、充実した日々を送る毎日。
何やら顔を見てひそひそ囁かれることはあるが、紫希はもう慣れたものだった。
イギリスと日本の血が混じったこの顔立ちは、つまるところ、日本とイギリスどっちにとっても「変な顔」なのだ。
「今日の唱歌楽しみだなー!」
「紀伊梨ちゃん、いつもお上手ですよね。」
「それくらいしか取柄ないしね。」
「む!そんなことないもん!体操も得意!です!」
「もうちょっと座学に時間割いたら?」
「あ、あはは・・・あれ?」
正門が閉まっている。
そしてざわついている生徒達。
門扉の前には憲兵。そして教師陣。
「今日は立ち入り禁止だ!ほら、帰った帰った!」
「学校に不審者が入ったから、今日は休校とする!速やかに下校するように!」
「えー!今日学校ないのー!?」
「不審者・・・だ、大丈夫なんでしょうか・・・」
「ま、下校すれば家までは来ないんじゃない。」
と。
千百合は言ったが、紫希は千百合なりの気遣いだとすぐにわかった。
「十手団だって噂だぜ。」
「未だに捕まらないんだよな・・・」
「とうとう家だけじゃなく、学校まで狙いだしたのね・・・」
十手団。
という盗賊の話は、留学生たる紫希の耳にもすぐに入るほど有名だった。
日本人の華族を狙う盗賊。
日本人であっても庶民は狙わない。また、良い家柄であっても外国人は狙わない。
そのこともあって、留学生の紫希は時たま懐疑的な目を向けられることも多かった。
十手団は外国人ではないか?だから仲間として外国人は狙わないのではないかー--そういう憶測も少なくなかった。
本当の所はわからない。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
いずれにしろ紫希は潔白だったが、それを主張した所で裏付けてくれる人は居なかった。
「じゃ、帰ろっか。」
「えー!」
「えーって言ったって、どうしようもないでしょ。入れないじゃん。」
「だあって、せっかく来たのにー!」
「まあまあ・・・あ、良ければ、私の家に来ませんか?」
「あ、やったー!」
「良いじゃん、行く。勉強会しよ、試験近いし。」
「はい、そうですね。」
「えー!遊ぼうよ、勉強は嫌・・・あ!せんせーと侑士様だ!ね、挨拶しよーよ!」
「きゃ!ちょ、ちょっと待ってください、」
「引っ張るなこら!」
紀伊梨はお気に入りの担任と友達しか目に入っていないようだったが、紫希と千百合は2人が顔を寄せ合い、何かひそひそ話し合っているのを見た。
どう見ても割って入ってくるのはまあまあ空気の読めない行動だったが、紀伊梨はこういう所がある。仕方ない。
「切原せんせー!侑士様ー!おはよーございまーす!」
「いいいっ!?あ、ああ、お、おはよ!」
(この教師は本当にもー。)
千百合は小さく溜息を吐いた。
教師なのに、こんなわかりやすくて良いんだろうか。どう見ても隠し事があります、風。
「おはようございます、忍足君。」
「おはよう。」
「ねーねー、何の話してるのー?」
「い!え、ええ、とー--こ、古典!」
「「「古典?」」」
「そ、そう!そのー--春日の古典の成績がよ!別に悪くねえけど、もうちょっとやれると思うってゆーかー--だ、だから、今度見てやるよ!なっ!」
紫希は察した。
これは、何か話があるのだ。
そして、話があると皆の前で言うのはまずいと思っている。切原なりの気遣いなのだろう。
今紫希は、多くの人から懐疑の目で見られているから。
「・・・・わかりました。では、お言葉に甘えて。」
「おう、うん!」
「せんせー、紀伊梨ちゃんはしなくて良いよね?ね?」
「え?あ、いや、うーん・・・」
「お前は普通の補習受けたら良いんじゃない。」
「えー!」
「五十嵐さん、成績まあまあまずいやろ。受けといた方がええで。」
「もー!」
紫希は曖昧に笑った。
気を使わせていることが辛かった。