丸井の方が遥かに足は早かったが、真っ暗な中でおまけに初動が数秒遅れると、流石にそんなすぐには追いつけない。
その間に、紫希は急いで廊下を駆け始める。
「はあ、はあ、はあ・・・・!!」
心臓がどきどきしている。
口づけなんて初めてだったのに。
一度本で読んだ足止め方法だが、本当に上手くいくなんて思わなかった。普通にしていたら、間違いなく足の遅い自分は引き留められていた。
ここには本当に、忍足と可憐を捕まえるような悪党が居るんだろうか。
いろんな動揺を必死に抑えて、紫希は辺りを見回した。
(階段以外、埃が積もってるー--)
ホールにあたる部分は、階段に向かって埃が避けられていた。
明らかに最近人が出入りしたことない部分は弾かれる。
忍足と可憐が行方不明になったのは、今日夕方のことだ。
つまり、人が居るのは2階以上。紫希は階段を上り始めた。
ぐずぐずしていると、悪者だけでなく、丸井にも捕まってしまう。
(確か、外から見た時は3階建てでしたから、2階を調べたらすぐに上らないと・・・・)
2階も1階よろしく埃が積りまくってて、人の足取りがはっきりわかれば良かったのだが、流石にそこまで上手くはいかなかった。2階は、誰かー--ここの所有者だか悪党だかは知らないけどー--がうろうろしてるらしく、蜘蛛の巣や埃が避けられているところが多い。
「ここは、鍵・・・ここも、鍵・・・・ここはー--」
開いた。
紫希は中に入った。
そこには、今まで誰かが居たんですよとでも言いたげな配置の机と椅子。
それから。
(・・・これは、この辺りの地図・・・?)
いずれにしろ、普通倉庫で地図なんか見ないだろう。
ここで何かが行なわれていることはほぼ間違いない。
しかし、2人は居ない。
(とりあえず、ここには誰も居ません。他の部屋をー--)
「てめえ!何してやがる!」
廊下に出た所で、後ろから大声が聞こえて紫希は飛び上がった。
丸井の声じゃない。
明らかに違う。
「ああん?さっきの女か。ったく、このくそ忙しい時に逃げてくるんじゃねえよ!」
(忙しい・・・・)
ということは、やはりここで何かが起こっている。
しかも、今現在進行形でだ。
「お、忍足君・・・」
「あ?」
「忍足君と可憐ちゃんは、どこに居るんですか・・・?」
暗くて良かったと思った。
明るかったら、箒を構えた手が小刻みに震えてる事なんてすぐにわかっただろう。
男は紫希に訪ねられると、舌打ちを一つした。
「どこから嗅ぎつけてきやがったか知らねえが、まさかこんなに早く見つかるとはな。」
「・・・・!」
やっぱり、此処に居るのだ。
居ないとしても、関係してる事は間違いない。
「まあ、邪魔されちゃ困るんでな。死んでもらうぜー--おっと。お前まさか、自分が異人だから見逃してもらえるとか思ってねえな?」
「え?」
「良いか、俺達が異人を狙わないのはな。用事が無いからって言う、ただそれだけなんだよ。殺す理由があるんなら容赦はしねえぜ。」
「ー--!」
ぞっとしたものが紫希の背筋を上った。
怖い。
逃げないと殺される。
見つけないと殺される。
皆死んでしまう。
紫希はすぐに走り出した。
「待ちやがれ!」
どうしたら良いんだろう。
どうしたら良い。
いや。
最初から、自分じゃ敵わないのはわかっていた。
だから、できることは、少しで良いから長く逃げて引き付けておくことだ。
(あそこ、開いてるー--)
進行方向に、扉が開け放しの部屋があった。
紫希はそこに逃げ込む。
「ここは・・・・」
俗にいう、大食堂にあたる部屋であった。
広い。
そして荷物が多い。
ここなら隠れられるかもしれない。
「どこだ、女!」
紫希は迫る声に、荷物の影に逃げ込んだ。
心臓がどきどきする。
息が荒くなって、口を手で押さえた。
怖い。
吐きそう。
(見つかったら終わり・・・見つかったら・・・・)
男から逃れているのも丸井を振り切れたのも、元々距離があったり、相手の動きを止めて先行できたからだ。
よーいどんの追いかけっこでは、到底勝ち目がない。
力もない。逃げるのも早くない。
こうして隠れながら逃げ回るしかない。
(大丈夫・・・待っていれば、さっきの憲兵さんが、応援を連れて来てくれます・・・大丈夫・・・大丈夫・・・)
そうだ。
一人じゃない。
現状は一人だけど、丸井が来てくれるはずだ。
だから、粘ればこっちは勝てるのだ。
大丈夫。
大丈夫・・・・
・・・・本当に?
(・・・もし、来てもらえなかったら?)
信用されてないかもしれない。
自分で勝手に突っ込んでいったんだから、勝手にしろと思われるかもしれない。
死んでも構わないと思われてるかもしれない。
自分はイギリス人だから。
挙句、あんな方法で振り切ってしまったのだ。
見限られてもおかしくはない。
とはいえ、もう遅い。
やってしまったことだし、何より、じゃああそこで家に帰って救出を待っていれば良かったのかと言われると、それも疑わしい。
後悔は無い。
問題は、いずれの道でも忍足と可憐の身が危ないことだ。
「見つけたぜ!」
「・・・・!?きゃあっ!」
「じたばたするんじゃねえ!」
バン!
と音がして、紫希は立ち上がりかけた腰をもう一度下ろした。
腰が抜けた。
ずっと木箱を背にしていたが、自分の顔から少し離れた所に積まれた箱。
そこに穴が開いていて、米が音を立てて吹き出てきた。
「おっと、動くなよ?こいつは、距離なんて関係なくお前の頭をブチ抜けるんだからな。」
「あ・・・あ・・・・」
銃がもう日本に入っていることは知っていた。
だが、基本憲兵と貴族しか持っていないはずの銃を、まさか盗人が持っているなんて。
「ふん。なかなか良いじゃねえか?実戦で使うのは初めてだが・・・この部屋は月明かりがよく入って助かる。廊下と違ってな。」
「・・・・・・・!」
「本当だったら殺す前に犯してやっても良いんだが、生憎今は時間がない。死んでもらうぜ。」
万事休すか。
死ぬのか。
(・・・・ああでも、)
死ぬ前に、憲兵に事情を伝えられてよかった。
自分は死ぬかも知れないが、その後であってもここに居るであろう2人が救出される可能性は潰えない。
大して役に立ってないが、それはもうしょうがない。
せめて神に祈ろう。友人だけでも助かりますようにと。
本当は死にたくないけど。
もう死ぬしかないから。
「死ね!」
紫希は頭を抱えて目を瞑った。