少し時間を戻すと丸井は病室に来る前、隣室で先に起きた忍足と話をした。
そこで初めて知った。
事件の日の昼、友達だから気にかけてやってと頼まれていたイギリス人が彼女だったこと。名前を、春日紫希ということも。
「まあ、結果的に守れたんだし・・・良かったよな。」
「・・・・・・」
「ブン太?」
「・・・まあな。」
良かった。
のかどうかは、今判断できない。
「なあ、帰る前にもっかい病室見て良い?」
「ああ、良いけど・・・」
「けど?」
「・・・いや、良いや。早く、起きると良いな。」
「おう。」
丸井は、紫希と話したかった。
もちろん話したいことや、話さないといけないことが山ほどある、というのも理由だけど。
でもそれ以上に、丸井は春日紫希という娘のことを、あまりにも知らなさ過ぎた。
事件の夜。
丸井は、ほとんどの人が見ないような紫希の顔を見たと思う。
でも逆に、普段の紫希の顔を知らなさすぎる。
両方を知らないと、紫希がどんな娘なのかはわからない。
それを確かめたいから、早く起きて欲しいと思っていた。
確かめてどうするのかとか、そういうのは別に無い。
ただ確かめたいという欲求に、突き動かされている気がする。
「・・・お。起きた?」
病室に入ると、紫希は閉じていた瞼を開いていた。
体を起こすと、黒い瞳が自分と桑原を捉えるのを、丸井はなんだか沁みる思いで見た。
「起きなくて良いぜ。疲れてるんだろ?」
「あ、いえ・・・・あの、それよりも私どうなってー--それに、忍足君に可憐ちゃんに、」
「まあまあ、待てよい。」
「取り敢えず、皆助かったから。な?」
「そう、ですか・・・」
ほっと溜息を吐く紫希。
(・・・それだけ?)
自分のことはなぜ聞かないんだろうか。
どうでも良いのかーーーいや、忘れてるのか。
考えていると、桑原が気づかわし気に目を合わせてきたので、合わせ返した。
十手団は火事で、何人か死んだ。
だから、厳密にはあの場の全員助かったわけでじゃない。でも、紫希にそれを言う気はなかった。
市民が背負うようなことじゃないから。
「・・・じゃあブン太。俺、先に戻ってるからな。」
「おう。」
桑原は多分、自分を気遣ってくれたのだろう。
気遣いと言うほど大袈裟なものじゃないかもしれないけど、紫希と話したがっていることは察していたと思う。親友だから。
遠慮なく手近な椅子を寝台に寄せて座ると、紫希は判決を言い渡される罪人のような顔をして俯いた。
何を考えてるんだろうか。
(俺が怒ると思ってんのかな。)
でも、怒るようなこと別に無いと思うけど。
「さてと。何から聞きたい?」
「・・・・え?」
「あれ、聞きたいことねえの?俺、起きた時聞きてえことだらけで、ジャッカルにすげえ質問攻めしちゃったんだけど。」
「・・・・質問・・・・」
たとえ縮こまっていても、紫希の胸の中には、今疑問がすごい勢いで渦巻いているだろうと思っていた。少なくとも、自分はそうだった。
しかし、紫希の反応は思いがけず鈍い。
「・・・・あ!もしかして腹減ってる?ちょっと隣行ってこよっか?」
「隣?」
「隣の病室に忍足居るから。あいつ華族だからすげえんだよ、見舞いの食い物の量。」
華族ということに加え、忍足の父の医者としての評判。
加えて、十手団に狙われたということで、野次馬的な見舞客がそれはもう多いのである。
ここは忍足家の個人病院で、本当に用事の無い人間は門前払いされているけど、物は引き取っているので病室にすごーく溜まっているのだ。
「ちょっとくらいもらったって、罰は当たんねえだろい。」
「あ、ま、待って・・・!」
取りに行って来ようと立ちかけると、紫希の手が丸井の軍服の裾を捉えた。
「あれ?違う?」
「はい・・・・」
「じゃあ、本当に聞きたいことねえの?」
「・・・・・・・」
目が泳ぐ。
口が小さく開く。
何かあるんだろう。でも聞きづらいのだ。
よくわからないけど、紫希は自分に対して怒られると無条件に思っている顔をしている。
(・・・とても一人で賊に突っ込んでけるようには見えねえんだよな。)
でも紫希はやったのだ。
今こうして小さくなってるのを見ると、嘘のようだけど。
「・・・す、」
「す?」
「すいませんでした・・・・」
「・・・・何が?」
「いろんなことを・・・ご迷惑をおかけして・・・勝手なことをして・・・」
「・・・・・・・・」
「私、守ってもらってばっかりで・・・役立たずが足を引っ張って、申し訳なかったと思ってます・・・」
「・・・・・ふーん。」
泣きそうである。
くどいようだが、丸井は怒っていない。
責めてもいない。
でも、紫希は怒られて責められると信じ切っている。
自分で自分の振舞が良くなかったと思い込んでいる。
「じゃあ、しなきゃ良かった?」
「え?」
「あんなことするんじゃなかった。時間が戻ったら、もう絶対しないのに。って思ってる?」
「・・・・・・いいえ。」
(・・・・・!)
紫希の目の色が、ひたと変わるのを丸井は見た。
さっきまで色濃く浮かんでいた迷いや臆病さが、嘘のように一瞬で消えている。
代わりに浮かんでいるのは、強い意志の光。
あの夜見た目と同じ。
絶対意見を譲らないと決めている瞳。
「申し訳ないって思ってるのは本当です。でも・・・・それは何というか、私が強くなかったことに対して思ってることであって・・・だから、もし時間が戻るなら、今度はもっと上手くやりたい・・・です。」
「・・・・・・ふうん。」
「あの、でもやり方はー--あ!そ、そうです、皆の怪我は?忍足君や、可憐ちゃんは、」
「桐生の方は元気。一番に起きたし。今はもう、家帰って休んでるぜ。怪我は無いけど、家族のところにところに居た方が良いだろい。」
「そうなんですか・・・女の子ですから、怖かったでしょうね・・・」
「ふっ、」
「え?」
「いや、悪い悪い。なんでも。」
「?」
自分も女なのに、すごい他人事感。
じゃあ、お前は怖くなかったのかよと言うと、そうではなかったことも丸井は知っている。
覚えている。見つけた時震えていた姿。
突入前の不安な顔。
紫希は怖がっていた。
怖がっていたけど、それを乗り越えて切り込んでいったのだ。
「それでー--そうだ、忍足な。あいつはちょっと、手怪我してるみたいで。」
「えっ!?」
「でも、すぐ治るらしいぜい?手術とかもしなくて良いらしいし。元通りになるってさ。」
「良かった・・・・・あなたは?」
「ん?俺?」
「はい・・・」
「ははは!」
今度こそ自分の心配かと思ったら、そのまえに憲兵への心配が挟まった。
丸井はおかしくて仕方がない。
憲兵って職業を何だと思ってるんだろうか、紫希は。
「無事だけど、気にしなくて良いだろい。憲兵なんか、怪我して当たり前なんだから。」
「でも・・・私のせいで・・・・」
「お前のせいってもんでもなくねえ?悪いのは実行犯なんだし。」
「・・・あの。」
「うん?」
「結局、犯人の目的というか・・・どうしてこんなことを?」
「ああ、それな。何か、宝探しらしいぜい?」
「・・・宝?」
「行方知れずになった、日本の秘宝を探すんだってさ。で、華族が持ってるだろうから、って華族を狙ってるって。日本の秘宝だから、外国人は持ってないだろうって当てこんでるみたいで、外人が狙われないのはそれが理由だってよ。」
「へえ・・・・」
ふむふむ、と興味深げに頷く紫希。
「・・・・・・・」
ここで、興味深そうにするだけ。
というのも、丸井にはまあまあ解せない。
「・・・お前さあ。」
「はい?」
「腹が立たねえの?」
「え?」
「だって、あいつらのせいで、今外人が白い目で見られてるわけじゃん?濡れ衣着せられて苛つかねえ?」
丸井は、紫希の目に怒りの火が灯らないことも気になっていた。
色々不自由していて、腹立たしかろうに。
日本人の賊が日本人を狙ってるって、外国人は一欠けらの関係もないのに、良い隠れ蓑にされて嫌じゃないんだろうか。
丸井が尋ねると、紫希は一瞬目を見開いたが。
「・・・・・そこまでは。」
「・・・そう?」
「なんというか・・・慣れてます。生まれた時から、ずっとそうでしたし・・・」
「え。お前、留学で来たんじゃねえの?」
「はい。でも、英国に居た時も、似たようなもので・・・私、父が日本人で、英国人というには東洋系の顔をしていますから。」
今度は丸井がちょっと目を見開く番だった。
(・・・そうなんだ?)
紫希は余所者とされていて。
でもそれは、今英国人の身で日本人に来ているんだから、ある意味当たり前かとも思っていたのだが、なんと英国でも余所者扱いされているらしい。
爪はじきにされたり、何かと疑われることは日常茶飯事なのか。
紫希にとって。
よく何もかも嫌にならないものだ。
やけくそになってひねた性格になってもおかしくないのに。
などと考えていたら、紫希から次の質問が零れてきた。
「あの・・・聞きたいことが、他にあるんですけど、良いですか・・・・」
「うん?ああ、うん。どうぞ?」
「・・・どうして戻ってきたんですか?」
「・・・・ん?」
「私、あなたは詰め所に帰ると思っていました。」
「ああ。だから、別に帰らなくても増援の当てがー--」
「そうだとしてもです。戻らなくても良いとしても、私を追わないで、忍足君と可憐ちゃんを助けることを優先するだろう、って・・・・」
そんなこと考えていたのか。
丸井は素でびっくりした。
「・・・逆に、なんで俺がそっち優先すると思うわけ?」
「私は、英国人ですから・・・まして憲兵の方は、自国民を優先しろと教えられているのでは・・・」
「ま、それは正解。」
それは事実ではある。確かに。
曲がりなりにも公僕だから、それは一番最初に教えられる事。
「ですよね・・・・」
「でもまあ、今回はな。そもそもお前は、善良な市民だし?」
「それは・・・どうも、ありがとうございます。」
「それに俺、忍足にお前の事頼まれてるし。」
「え?」
「いろいろ睨まれてるみたいだから、助けてやってってさ。
あとはまあ、なんとなくかな。」
実は、これが一番大きい理由だったりする。
「・・・なんとなく?」
「そ。直感ってやつだろい。なんとなく、死なれたら嫌だなって思ったんだよ。」
「そ、そう・・・ですか・・・」
死なれたら嫌というか。
いや、普通に寝覚めも悪いし嫌なんだけど。
でもそれ以上に、丸井は紫希に興味が湧いたのだった。
もっと一緒に居たい。
一緒に居てみたい、というべきか。
一緒に死線は潜ったけど、死線を潜らない、普通の娘としての紫希の顔があるはずだ。
それが見たい。だから、見る前に死なれるのは嫌だった。
残念ながら話しだして、一度も笑顔は出てこないけど。
「・・・・あの。」
「ん?」
「今度からはその、大丈夫ですので。」
「何が?」
「忍足君から頼まれたんですよね?でも、ひとりで平気ですから。」
(・・・へえ?)
そうくる感じか。
でも残念ながら、こっちはこのままが良いと思っているのだ。
「まだ駄目。十手団だって、まだ全部は捕まってないんだからな?」
「そうなんですか?」
「何かあそこ、本拠地じゃなかったらしいぜ?大部分は、まだどっかに潜伏してるってさ。」
「そうなんですか・・・」
これは本当だった。
乗り気かどうかは置いておいて、忍足に頼まれているのは事実だ。
「いえでも、大丈夫です。」
「だーめ。」
「そう言われましても・・・」
「・・・もしかして、俺の世話になんのが嫌?」
「え?」
「俺はこのままが良いけど、どーしても嫌って言うんなら、あいつも入れよっか?さっき居た、色黒の。」
(多分、相性って意味じゃジャッカルのが良いんだよな。)
桑原は見た目こそ外国人丸出しで人目を引くが、性格は穏やかそのもので気遣いもできる。
だから、紫希がそっちのが良いなと思っても、無理からぬことではあるだろう。
まあ、桑原が担当になっても別に良いのだ。自分が寄って行けば、別に問題はない。
「見た目は派手だけど、良い奴だぜい?」
「いえ・・・誰だから嫌とか良いとかそういう話じゃなくて。ご迷惑ですから・・・業務外のことですし、もしかしたら英国人の味方っていうことで、評価が下がるかもしれないですし。それに・・・」
「それに?」
「・・・・・私、結構強情なので、面倒だと思います・・・」
その言葉に、丸井は少し前の会話が思い起こされた。
『性格?』
『そう。』
丸井は、忍足に春日紫希という娘がどういう娘なのか聞いてみたのだ。ついさっき。
忍足は、何でもない顔で言った。
『割と見た目通りの子やで。大人しいし、穏やかで努力家で。英国人やけど、性格はどっちか言うたら、大和撫子寄りやな。』
『ふうん・・・』
『ああでも、ちょいちょい頑固な所はあるなあ。』
『・・・へえ?』
『留学の時とかも、お兄さんにめっちゃ反対されたんを、押し切って来たらしいさかい。今も十手団のこととかあるし、定期的に帰れて言われてるみたいやけど、突っぱねてるらしいわ。』
『ふうん・・・』
『どないしたん?』
『いや?ちょっと聞いとくかと思って。』
大人しく。
穏やかで努力家。
大和撫子な性格。
でも頑固で強情。
まあ。頑固で強情じゃなければ、あんなことはできないだろう。
「まあな。昨日の逃げ方も、結構体張ってたし?」
「す、すいません・・・・・」
「ま、俺は別に気にしてねえよ。怒ってもねえし。」
「そうですか・・・?そう言っていただけるなら・・・・」
紫希はまた俯く。
あの口付けの話は、忍足にはしなかった。
紫希はおそらく、自分達のためにそこまでと、気を使われるのも謝罪されるのも嫌だろう。
もっと言うと、そんなことをしたと忍足や可憐に知られるのも嫌じゃないだろうか。
だから丸井の独断で、黙っておくことにした。
気にしてないし怒ってないのも本当だ。
紫希は知らないけど、少なくとも自分はそれなりに経験がある。初めてがああだのこうだの、生娘みたいなことで文句を言う気もない。
ただ。
口付けそのものじゃなく、あの口付けの時に見た紫希の瞳に興味が沸いた。
「ってことで、どう?」
「どう?」
「お守りは俺にしとかねえ?」
「いえですから、さっきも言いましたけれど、ご迷惑なのでお守りは要らなくてー--」
「まあそう言うなよ。もう知り合いなんだし、何かあったら嫌じゃん。」
「知り合い・・・・」
丸井はちょっと笑ってしまった。
ひとたび日常になると、あの時の強情さは本当にどこに行ったのかわからないくらい、ナリを潜める。
普段は結構流される質らしい。助かる。
「ってわけで、シクヨロ!」
「・・・・では、何かあったら・・・あれ?」
「ん?」
「・・・すいません、私。あなたのお名前を・・・」
「あれ?そっか、俺名乗ってなかったっけ?悪い悪い、そっちの名前は忍足から聞いてたから、ついな。丸井ブン太。ブン太で良いぜい?」
おずおず、と紫希の手が伸ばされてきたのを取った。
細いなあ、なんて思ったのは一瞬だけ。
次の瞬間、紫希の顔が綻んだのを丸井は初めて見た。
花のようだ、なんて。
人に対して、初めて思った。