5周年記念企画:天竺牡丹の花嫁 前編 - 3/7


記憶が途切れた後、千百合が目覚めた直後は、皆大混乱であった。

千百合的には気が遠くなって、目覚めたら寝室程度の話だったのだが、どうやら千百合は三日眠り込んでいたらしかった。

目覚めると兄は幽霊でも見たかのような顔で騒ぎ、父はわんわん泣いて紀伊梨はへばりついて離れようとしなかった。
母は千百合が一寸でも動くと死ぬかのような扱いをして、食事から排泄に至るまですべてを寝台の上でさせようとしたが、流石にそれは遠慮した。
幸運にも、呼ばれた医者が体に異常の無い旨を調べてくれると、皆ある程度は落ち着いたようだった。

しかしそれでも、「一週間外へ出ない事」との言いつけからは逃れられなかった。
町中で倒れたりしたら、今度こそどうにもならないと言われると、千百合としてはぐうの音も出なかった。

本当に街中で倒れるとは思っていない。
なぜ街中で倒れないと言えるのかと尋ねられて、良い返しができると思えなかったからだ。

「・・・・・・」

千百合は寝室の窓から、外を見ていた。

あの箱。
倒れた原因は、間違いなくあれであろう。

なぜ倒れたかはわからない。
もしかしたら、中に何か悪いものでも入ってたのかもしれないが、まあ今現在体は健康なのであれば、それはもうどうでも良かった。

あの箱は処分されたのだろうかと千百合は思ったが、自分を発見した使用人は、千百合を庭の隅で発見したらしい。つまり、千百合が蔵に居たことは誰にも知られていなかった。

ただ、千百合は自己申告する気もなかった。
おそらく申告したら、蔵への立ち入り禁止とか、箱の発見と処分みたいなことが始まるであろう。

それはなんだか嫌だったから、千百合は庭を散歩中に倒れたということにしておいたのだ。

「・・・・・・」

もう一度蔵に行ったら。
また倒れるだろうか。



「そうはならないよ。」

千百合はハッとして顔を上げた。

窓の外に、同い年くらいの少年が1人立っていた。
いつから居たんだろうか。全然気づかなかった。

「・・・誰?」

ここは一階とはいえ、私有地内である。
その辺の人が勝手に出入りできるはずはない。
たまに金目当てのこそ泥が入ったりすることはあるが、目の前の少年は、荒んだ雰囲気も無ければ貧乏そうな空気も無かった。

ただただ、穏やかに微笑んでいた。

「なんて言うべきかわからないけど・・・強いて言うなら、あれの持ち主かな。」
「あれ?」
「君が開けた、天竺牡丹の箱だよ。」
「・・・・ああ。」

あれが天竺牡丹である、ということを千百合は今、初めて知った。

「あれ、あんたのなの。」
「まあ、うん。そうかな。ああでも、別に返したりとか、そういうことはしなくて良いよ。」
「なんで。」
「もう要らないから。」

疑問符を浮かべる千百合に、少年はきれいな顔で笑った。

「あれは、閉じていることに意味がある。つまり、開けたらもう用済みなんだ。閉じ直しても、元には戻らないしね。」
「え・・・・」
「あはは。大丈夫、責めてるんじゃないんだよ。俺はむしろ、開けてもらって感謝してるんだ。事情があって俺は開けられなかったから。誰か開けてくれないかなって思っていたんだけど、君が開けてくれた。ありがとう。」
「はあ・・・?」

よくわからないが、悪いことをしたわけではないらしかった。

「あれって何?何が入ってたの?」
「ううん・・・難しいな。」
「悪いもの?」
「悪くはないよ。良くもないけど。」
「・・・・・?」
「ふふふっ!まあ、少なくとも体に害のあるものじゃないよ。」
「私倒れたけど。」
「でも今、健康だって診断が出ただろう?」
「・・・・・・」
「毒とかじゃないよ。大丈夫。それは保証するよ。」

話しながら、千百合は目の前の少年が、「結局の所箱の中は何だったのか?」ということについてまるで話す気がないのを、うすうす感じ取っていた。

大人と一緒だ。
こうなるともう、いくらお喋りを重ねても無駄である。
彼は口を割らないだろう。

「あんた、私が倒れたのを見てたの。」
「ん?うん、まあ。そうかな。見ようと思ってたわけじゃなかったけど、視界に入ったからね。」
「じゃあ、私のこと蔵から出したのもあんたなの。」
「そうだよ。だって蔵なんかに居たら、いつ見つけてもらえるかわかったものじゃないし。」
「ふうん。」

ありがとう、とは千百合は言わない。
自分は箱を開けて、何か知らないがこの少年は開けてもらえて助かっていたのだ。ということはこれで、貸し借りなしのはずだ。

「あんた、どうやってうちに入ったの。」
「・・・・ううん。」

彼は困ったように眉を下げた。
言いたくないか。まあ、そうだろうな。不法侵入者としては、どうやってみたいなことは言いたくないだろう。対策されると困るだろうし。

ただまあ、正直ここまで小さい子供が相手だと、使用人は見逃すかもしれない。
基本使用人の人間が想定しているのは、悪漢だ。子供は対象外だ。
子供の方が小さいしすばしっこいので捕まえにくいのだが、反面子供のできることなんてたかが知れているから、まあ見逃しても大したことじゃあるまいという感覚があるのも事実。

「じゃあ質問を変えるけど、何目的でここに入ったの。」
「・・・・強いて言うなら。」
「言うなら?」
「良いことがありそうな気がした、からかな。」
「何それ。」
「でも、当たったよ。君は箱を開けてくれたし。」
「金目の物とか給料の良い働き口とか、そういうのが欲しいんじゃないの。」
「あははっ。ううん、そういうのは間に合ってるから、要らないかな。」

要らないのか。
まあ確かに、さっきも考えたことだが、貧困に苦しんでるとかそういう様子ではない。

「・・・そういえば、あの箱。」
「うん?」
「あんた、あれどうしたの?」
「どうって?」
「私を外へ運んだ後。捨てたの?」
「ううん。あそこに、そのままにしてあるよ。」
「そのまま・・・」
「俺が君を運んだことで、誰も蔵に注目はしなかっただろうから、多分君が開けたままの状態で、今でもあそこにあると思うよ。俺は何も触ってないし。」
「ふうん・・・」

本当にどうでも良いらしい。あの箱。

というか。

「そもそも、あの箱ってあんたのなのに、なんでうちの蔵にあったの?」
「さっき言ったじゃないか。」
「え、いつ。」
「ほら、どうして俺が君の家にこうして入ったのか、って聞いた時に。」
「・・・・良いことがありそうだったから?」
「そう。」

つまり。
話を総合すると。

「・・・まず、あんたは箱の持ち主なわけで。」
「うん。」
「で、良いことがありそうで・・・つまり、うちに箱を運んだら、誰か開けてくれそうな気がしたから、持ち込んだってこと?」
「うん、そんな感じだよ。」
「で、あんたは箱を運んだあとずっと見てたの?誰か開けてくれるかなって?」
「そう。」
「うちの蔵にずっと居たってこと?」
「・・・まあ、基本的には。しばらく待ってみて、誰も開けてくれないようだったら、他所にした方が良いかとも考えたけどね。でも、思ったより大分早く開けてくれて、助かったよ。」

朗らかに笑う少年だが、千百合は呆れて溜息を吐いた。

「あんた、見た目は賢そうなのに、結構馬鹿なの。」
「ふふふっ。そう?どうして?」
「蔵なんかに置いとくから見つけてもらえないんじゃん。開けて欲しいんなら、玄関先とかに置いとけば良いのに。」
「それも困るんだ。」
「どうしてよ。」
「人の目につきすぎると、中身をどうするかわかったものじゃないから。」
「・・・・・・」
「拾ったから、自分の物だって言い出したりとか。危険物かもしれないから、開けずに捨てようって言い出す人が居たりとかね。」
「まあ。」

人数が増えるほどいろんな意見が出るのは、千百合も良く知っている。
親が仕事のことで、大勢でわあわあ揉めてるのを見た事も何度かある。

「君が開けてくれた時も、もしも君が箱を持って家族の人に見せようとしたりしていれば、俺は君を止めていたよ。」
「そうなの。」
「そう。実際に俺は今まで、何度かそういう人を止めて他所を当たったりしてたからね。結果的に君は一人で、その場で開けてくれたから、助かったけど。」
「ふうん・・・・」
「ああでも、俺が言ってもって思うかもしれないけど、今度からああいう時は、大人の人を呼んだ方が良いよ。」
「どっちよ。」
「あはははは!今回は別に悪いものでもなかったけど、本当に悪いものの時もあるよ、ってことさ。君には恩を感じてるから、避けられる不幸は避けて欲しいんだよ。」
「・・・そう。」

まあ。
確かに思い返しても、まあまあ軽率だったなとは思う。

ただあの時、あの箱がそんなに言うほど怖いもののように思えなかったから開けた、というのも事実だけど。
もっとやばそうな風体なら、多分すぐ大人を呼びに行っただろう。
持ち運ぼうとさえしなかったかもしれない。

なんとなく。
大丈夫そうと思ったのだ。

「・・・・ん。」
「ん?」
「足音が聞こえた。誰かが来るね、俺はお暇するよ。」
「・・・・・そ。」

まあ。
そりゃそうだろう。

今この場に居るのが千百合だから、彼はこうしてにこにこしてられるわけで、もし使用人とかなら摘まみだされたり、下手したら警察に突き出される事態だ。

「はい、どうぞ。」
「?」
「元々、これを渡しに来たんだ。お礼と、それからお見舞いも兼ねて。」

彼が窓枠にそっと置いたのは、それは美しい。

「・・・・天竺牡丹。」

本物だった。
あの箱の蓋に彫られていた花が、今現実に千百合の目の前にあった。

「千百合お嬢様、開けてもよろしいでしょうか?」


「・・・・!」


はっと顔を上げると、彼はもう居なかった。

「お嬢様、僭越ながら水差しの交換を・・・お嬢様?」
「・・・・うん。」
「あら、きれいな天竺牡丹ですわ。こちらの小机に置きましょうか?眠っている時でも、良く見えますよ。」
「・・・・・うん。」

夢を見たような気分で、使用人の手によって閉められる窓を千百合は見ていた。