千百合が彼に二度目に会ったのは、数年後のことだった。
齢10になった時だった。
今でも覚えている。その日、父は千百合に向かって、思いがけないことを言い出した。
「千百合。ちょっと良いか?」
「?」
「先日、社交界で挨拶した人ーーー舞浜さん。覚えてるか?」
「・・・・・ああ。」
ぼんやりした記憶を辿る。
千百合は面倒がりのものぐさだった。
だが、一方で馬鹿ではなかった。むしろ要領は良い方だった。
だから面倒でも、社交界で会った相手の顔と名前を一通り覚えておくくらいのことは、長い目で見てしなければいけないことはわかっていた。
舞浜というと、先日社交界で紹介された、確か飲食方向の事業をしているやり手の男だったはずだ。
確か、妻だとか言う女性と、息子だとかいう男も連れていた。
「・・・で?」
「いやその、あっちの息子さんが、お前を気に入ったみたいでな・・・?」
「・・・あ?」
「俺もまだ早いって言ったんだが、取り敢えず一回会うだけでも、って言って聞かないんだよ。」
「・・・・・・・」
「千百合・・・気持ちはわかるけど、そう嫌そうな顔をしてくれるな。」
正直。
この手の話は、来たか。という感じでもある。
良い家に生まれるというのは、そういうことなのだ。
それでもまだ、自分は恵まれてるという自覚が千百合にはある。
将来の希望があればその通りにして良い、と言われてるからだ。
ただーーー千百合には希望が無い。
別になりたいものとかないし。
ましてや好きな人なんて見当もつかない。
好きな人が居ないなら、こうしてより強い意志を持った方に従うことになるのは、まあわかってはいたんだけど。
「まあ、そういうわけだから・・・付き合いもあるし。な?会うだけで良いから!」
「・・・相手いくつだっけ。」
「15だ。」
5つ上。
時代が時代なら結構上、ということになるのかもしれないが、まあ正直、この時代ではままある年齢差。
はあ、と千百合が吐いた溜息が、了承の合図だった。
(だるい・・・・)
思いがけず乗り気になれない予定が入って、千百合は自室で特大の溜息を吐いた。
会ったことないわけじゃない。
というのがまた、だるさに拍車をかけるのだ。
見合いをするのは息子の方。
確か、リョウスケだったかなんだか、そんな名前だった。
挨拶した時、千百合が女だからなのか年が下だからなのか、多分その両方だけど、やたら見下したような目をしていたのだ。
軽蔑というよりも、「いつでもどうとでもできる」と思ってるような目。
そりゃあまあ、金は向こうの方が持ってるかもしれないが。
(いつか結婚するとしても、あれは嫌。)
本当は見合いもしたくない。
するだけ無駄だ。
嫌だもん。
「・・・・・・」
あれと見合いするのなら。
そこに、かつて生けてあった天竺牡丹に向かって、「ご趣味は?」とか一人で聞いてる方が、まだいくらかマシだな。
と思った。
その時。
「ふふふふふっ!」
窓の外から、聞き覚えのある声がした。
千百合は窓を開けた。
「・・・久しぶり。」
「やあ。」
窓の外には、彼が居た。
数年前に会った時と、同じ姿だった。
いや、身長とかは伸びている。当たり前だけど。
「また来たの。」
「いけなかったかな?」
「ううん。来ればいいのにと思ったのに来ないから、もう来ないのかと思って。」
彼は目を一瞬丸くすると、すぐにおかしそうに破願した。
「数年くらいしか経ってないのに。」
「数年って長いでしょ。私10だから、人生の半分くらいじゃん。」
「あははっ!」
何がおかしいんだろうか。
千百合は彼を嫌いじゃないが、何考えてるかわからない、とは思う。
「なら、もう少し早く来れば良かったかな。元気だった・・・って言いたいけれど、あんまり元気じゃなさそうだね?」
「ああ。さっきまで元気だったよ。さっき嫌なことあったけど。」
「嫌なことって?」
「見合いをしないかって。」
見合い。
と、彼は、何かを確かめるように呟いた。
「相手が嫌いなの?」
「嫌いってほど知らないけど、いけ好かない。」
「そう。なくなれば良いと思う?」
「へ?」
「お見合いが。」
「ああ・・・ああ。ああ。ああ・・・」
「うん?ふふっ、どうしたんだい?」
「いや、別に。」
あまりにもさらりと「なくなれば良い」と言われて、千百合は一瞬面食らった。
お見合いか。
一瞬、相手のことかと思ってしまった。
「・・・まあでも、いつかはするもんだし。」
「でも好きじゃないんだろう?」
「別に結婚はしない。付き合いあるから、お見合いするだけ。結婚は仮に申し込まれても断る。」
「ふうん。」
彼は興味深い、とでも言いたげに相槌を打った。
そういえば、彼はどういう家の出なんだろうか。
育ちは良さそうだが、こういう話にピンと来てない辺り、名家ではないんだろうか。
もしも。
名家だったら。
「・・・・あんたくらいなら良いかな。」
「うん?」
「結婚。」
「結婚?」
「いつかは絶対しないといけないから。」
しない、という選択はないのだ。
それが許される家柄でも時代でもない。
しかし、どうしてもやらねばならないのなら、千百合だって、ある程度人は選びたいと思う。
「あんたみたいな人だったら、まあ結婚しても良いかなと思って。」
彼は、零れるんじゃないかというくらい目を大きく見開いた。
「・・・それは、俺のことが好きだってこと?」
「いや別に。」
「だよね。ほとんど会ったこともないし。」
「うん。でも、嫌ではないよ。」
「ふうん・・・」
彼は、何を考えているのかいまいち判然としない微笑を浮かべた。
「・・・でもまあ、俺もそうかな。」
「何が?」
「君みたいな相手なら良いかなって。結婚しても。」
「・・・あんたもお見合いとかすんの?」
「沢山したよ。でも、いまいち乗り気になれなくて。そもそも、まだ結婚しようって気もないのに、周りばっかりその気になっちゃってね。」
「へえ。急かされてるんだ。」
「うん、まあ。血筋が良いから、早い内にだってさ。」
「へえ。」
時代柄ままあることではあるのだが、彼は彼でまあまあ窮屈な事情があるらしい。
千百合は親近感を覚えた。
(・・・そういえば。)
「あんた名前は?」
「うん?」
そういえば聞いていなかった。
有名な家なら、名前を聞いたら、どこの誰だかわかるかもしれない。
そう思って尋ねると、彼はちょっと困ったように眉を下げた。
「困ったなあ。」
「別に、不法侵入で突き出したりしないけど。」
「あはは。その心配はしてないよ。そうじゃなくて・・・基本的に、家族以外に名前は出しちゃ駄目なんだ。」
「なんで。」
「ゲン担ぎ的な話でね。」
「はあー・・・・」
千百合も、名前というのはそれだけでなんらかの効果を持つ、みたいなのはちらりと聞いたことがある。
どうやら信心深い家らしい。
「ただ、確かにずっと「あんた」って呼ばれるのも据わりが悪いかな。」
「周りからなんて呼ばれてんの。」
まさか、全員があんた、とかお前、とか呼んでるわけでもあるまい。
見合いをしたことあるとか言ってたが、見合いで名前を伏せる真似もしないだろうし。
「・・・幸。」
「ゆき?」
「振る方じゃないよ。幸せ、って書く方でね。」
「見た目だけかと思ったら呼び名まで女みたい。」
そう言うと、彼ーーー幸は、初めてちょっと不愉快そうな顔をした。
ちょっとだけ。
千百合はそれがおかしくて、珍しく声を立てて笑った。
「嫌ならもうちょっと男らしくなったら。」
「してるつもりだよ。というか、特別女らしく振る舞ったりしてるつもりなんてないんだ。」
「そうは言ってもさ、顔が女みたいなんだから、恰好とかもう少しこうーーー」
そういえば。
前回会った時も今回も、幸は白い服を着ていた。
白いシャツに白いズボン。
靴まで真っ白い。
髪は辛うじて黒いが、無彩色には変わりない。
傷1つない顔にある紫の目。
それだけが唯一、幸の持つ色彩だった。
「・・・・あー。ちょっと待ってて。」
「?」
千百合は、自分の机の引き出しを開け、その中にあった小さな箱を出して戻った。
「これあげるわ。」
「?」
幸が箱を開けると、中に細かい細工の、花柄のカフスボタンが入っていた。
「俺に?」
「そう。服にでも付けといたら。ちょっとは「らしい」かもよ。」
「良い品だけど、良いのかい?家族が使うんじゃないのかな。」
「所有権は私のだから別に良い。良い品かどうかもよくわかってないし。」
そもそもこれは、父がもらってきたものなのである。
でも父はカフスボタンを沢山持ってるし、兄は趣味じゃ無いというので、なんとなく千百合の元に回ってきて、ずっとそのままになっていたのだ。
「私が持っててもつけないし。あんたなら似合うでしょ。」
「幸。」
「え?」
「呼んでくれないかな。「あんた」から卒業したくて、教えたんだし。」
そう言われたら、それはそう。そうなのだが。
そうなのだが、何か改めて呼べと言われると気恥ずかしくて。
でも、確かにこれからずっとあんた呼びはどうかと思う。
「・・・・幸。」
「ありがとう。」
幸はにっこり微笑むと、庭の向こうに消えていった。