5周年記念企画:天竺牡丹の花嫁 前編 - 5/7


自分の名前を言うのを忘れてた。

ということを、千百合は見合いの当日、自己紹介した時にふと思い出した。

「舞浜昭介です。以後御見知り置きを。」
「・・・黒崎、千百合です。」

千百合はまだ10である。
明治の世でもなお、子供と取られる年齢なので、見合いの場では基本親が隣に着く。

親が世間話というか、挨拶というか、まあそんなような趣旨の話をしている傍ら、千百合はそっと相手の男を伺った。

「・・・・・・・」

やはりいけ好かない。
目が合うと微笑むが、「こういう顔してたら良いんだろ」と内心で思ってるのが透けて見えるよう。

溜息を嚙み潰していると、障子がすっと開き、女中が顔を覗かせた。

「ーーー失礼します、舞浜様、黒崎様。」
「おや、どうしました?」
「大変おそれいりますが、ただいま厨房の方で、料理人の一人が怪我をしまして。申し訳ありませんが、お食事のご用意に、少々お時間をいただきます。こちらの不手際ですので、お代は結構ですがーーー」
「いやいや、あなたのせいじゃない。顔を上げなさい。」
「そういう事情ならば、仕方がありませんな。」
「ええ。しかしーーー実際の問題として、時間がかかってしまうのは、どうしようも。」

千百合の父がそう言った折、相手方の父親は言った。

「・・・では、こうしましょうか。その時間、若い2人には、そこに見えている中庭で交友関係を温めてもらっては?」

嫌だ。
とは言えなかった。






「良い天気で良かったですね。」
「ええ。」

千百合は、どこまで不機嫌を明らかにして良いものか迷っていた。
付き合いで来ている以上、付き合い程度には愛想良くしないといけないのだが。

「千百合さんは、普段どういった趣味を嗜まれているのですか?」
「・・・花と、茶を少々。」
「それはそれは。ぜひ今度、拝見させていただきたい。」

嘘である。
習ってはいるからできるけど、別に趣味じゃない。
千百合は無趣味だ。

「・・・昭介様は。」
「私は書道を少々。はは、まあとはいっても、最近は父の仕事の手伝いが多くて。さほど、趣味に時間を割けていないのですが。」
「左様でございますか。」

ふうん。としか思えない。

というか、多分相手もふうん、程度にしか思ってないのだ。
今この男は、千百合を試験している試験官のような気分に違いない。
花と茶と言うのは、合格したというだけ。
不合格じゃない、というだけ。
足切りされなかった程度の話でしかない。

(・・・足切り。)

そうだ。
足切りされる、というのも別に悪い話じゃない。
元々反故にしたい見合いだし。

とはいっても、足切りのされかたは選ばなくてはならない。黒崎家の評判に関わる。
何かこう、不躾とも一概に言えない、くらいの話題があれば良いのだが。

(・・・そうだ。)

「昭介さま。」
「はい?」
「昭介様は、恋をしたことがおありですか。」
「・・・・は?」

これは。
良い手だと思った。

基本、こういうことを口に出して言うのは、良くないのだ。
名家の娘としては。
明け透けで、はしたなくて。

だが、千百合の年なら辛うじて許される。
思春期になったばかりの子供の娘だからだ。
正に、今しか使えない手。

舞浜昭介はこの質問をーーー笑って受け応えた。

「これは異なことを。」
「?」
「貴方をこの場にお呼びしているのは、私が今まさに恋をしているからですよ。ご存じありませんでしたか?」
「私はまだ十(とお)ですが。」
「年を理由に、貴方のような美しい女性を逃すとでも?大輪の花となってからでは遅いのですよ、蕾の時分に契りを交わしておかなければ、安心できますまい。」

半分は本当だろうと思われた。
将来性があると感じているのは事実なのだろう。
まあ、それは千百合というか、黒崎の家の事業の話だろうが。

まあでも、この男の金への執着は確かに、恋に近いと言えば近いのかもしれない。

でもやっぱり、何か求めてる答えと違う気がするんだがなあ、と千百合は思ったが。まあ、聞く手合いとして、そんなに適切なじゃないのは分かってるので、こんなもんだろうか。

「ところで、質問を返すようですが。」
「?」
「千百合さまはいかがですか?」
「?いかがとは?」
「そのようなご質問をされるということは、私のことを憎からず思ってくれているから・・・と解釈しても?」

良くないですね。
間違いです。

と、言えたら良いのだが、残念ながらお義理があるのでそれは言えない。

千百合は、今更ながら流れを間違ったことを理解した。
千百合としては純粋な疑問でも、あっちからすると甘い話題の水を向けられたように思ったわけだ。
千百合は確かに賢いが、それでもまだ10にしかならない子供でしかなかった。
浅はかだったか、と感じてももうすでに遅い。

「そういうつもりではーーー」
「隠し立てしなくとも良いんですよ。我々はいずれ夫婦、にっ!?」

ずる!

と音がしそうな勢いで、男の右足が滑ったのを千百合は見た。

男の体はそのまま後ろに傾き、すぐそこにあった池に、頭から突っ込んだ。

「・・・ふっ。」

池の鯉が迷惑そう。
と思うと、千百合はおかしくて、つい吹き出してしまった。

大丈夫ですか?と言って慌てて駆け寄らなかったのが気に入らなかったのか、男は一気に興が冷めた顔をしたが、千百合は全然気にならなかった。
元々こっちは冷めていたのだ。