「おかえり。」
気づくと千百合は、質素ながら品の良い日本家屋の中に居た。
行き来の仕組みは、千百合は未だによくわかっていない。いないけど、幸村はいつも良いようにしてくれるし、別に不都合もないから、それで良いだろうと思う。
「ただいま。」
「五十嵐さんはどうだった?ちゃんと、切原さんと結婚できそうかい?」
「うん。行けるって。」
「そう、良かった。少し心配だったんだ。彼、悪い人間ではないけれど、ちょっと粗暴だからね。」
「いや本当に。」
千百合は、幸村よりも、切原赤也という人間を知っている。
確かに悪い人間ではない。それに、妻に暴力振るうようなこともないだろう。
ただ、本当に、敵とみなした相手に対しては、粗暴という他ないような一面が出ることがあるのだ。
「でもまあ、大丈夫だったから。」
「そう・・・千百合。」
「ん?」
「どうしたんだい?」
「何が?」
「何か、悲しいことがあったんじゃないかと思って。少し元気が無いから。」
千百合は一度、幸村に本当に狐なのか聞いたことがある。悟りじゃなくて。
幸村は笑って、悟りという妖怪は実際は居ないのだと教えてくれた。世の中には心を読む術を持つ存在がちらほら居て、それが悟りと呼ばれてるだけのことらしかった。
「・・・ちょっと、親が。」
「親?」
「何か、私が不満あったから出て行った、って未だに思ってるらしくて。そういう話じゃない、って手紙にも書いたのに。」
親との別離は、千百合も寂しいけどもう乗り越えている。
でも、誤解を元に親が延々悲しんでいるというのは、別離の寂しさと別種の悲しさがある。
悲しむことなんかないのに。
「まあでも、良いよ。しょうがないし。」
「・・・・・・」
「可憐も多分その内結婚するから、その時にでももう一回言い含めてーーー」
「千百合、ちょっと良いかな。」
「何?」
「考えていたんだけど。」
「?」
「結婚しよう。」
幸村は大真面目な顔で言った。
「・・・え、したんじゃ、」
「そうじゃなくて、挙式をしないかい?そこに、ご両親とかお友達を呼ぶんだよ。」
「はああ!?」
千百合は目を剥いた。
「嫌かい?」
「いや・・・そりゃ、したいけど。」
基本、千百合は挙式とか派手にしたり、人をたくさん呼んだりは好きじゃない。
好きじゃないのだが、住む世界が異なるのなら話は別だ。
そりゃ会えるもんなら会いたい。会いたいが。
「・・・できるの?」
「ふふっ!大丈夫、できるよ。」
「いや、可能不可能の話をしてるんじゃなくて。」
時間の感覚も段々薄れつつあるのだが、千百合は幸村に連れられてここーーーどこだかわからないけどーーーに来て、しばらく経つ。
そしてわかったのは、幸村は大分偉いのであろうこと。
その分、あれこれ言われることも多いこと。
想定通りだったから愚痴は言わないが、人間であることはここでは本当に異端なのだと思う。
それなのに、祝言に人間をたくさん呼ぶって、それは良いのだろうか。
周りに何か言われないのだろうか。
あんまり我儘言いすぎると、立場がまずいんじゃないだろうか。
と、思っていると、幸村はお見通しと言わんばかりのおかしそうな笑みを浮かべた。
「良いじゃないか。俺はこれでも偉いんだけど、今までずっとそれを暈に着て我儘言うことはなかったから。結婚の時くらい。」
「そういうもん?」
「うん。それに、ほら。妻のお願いは、聞いてあげたいものだから。」
「つ・・・」
一応。
千百合と幸村は、もう結婚はしている。
婚姻のしきたりみたいなのはもう済ませた。挙式がまだ、というだけで。
だから、妻と言われれば実際にもう妻ではある。
ただ、妻と呼ばれるようになったのはここ最近なので、気恥ずかしさで反射的に体が固まってしまうのはもう仕方がない。
「・・・何。」
「可愛いなと思って。」
「しょうがないでしょ!誰かの妻になったことなんて無いんだからーーー」
「あったら困るよ。何のために、俺が今まで求婚を我慢してたのかわからなくなるじゃないか。」
幸村は、度々こうやって言葉の端々に、千百合を思っていることをーーー正確にいうと、まあまあの期間思い続けていたことを滲ませてくる。
千百合の生きた十数年なんて、妖狐にとってはほんのちょっぴりじゃないのかと思わんでもないのだが、幸村に聞いたところそういう問題ではないらしい。
具体的なことは聞いたことがないけれど、千百合はまあ良いかとも思う。
だって、時間は山ほどあるのだ。
これから先、何十年も何百年も、こうやって生きるのだから。
いつか聞いた初恋の狐(多分人ではない)の話も、今までの見合いの話も、挙式の方法も、ゆっくり聞こう。
千百合にはもうそれが許される。
「言って。」
「・・・何を。」
「我儘を。千百合から聞きたいんだ。」
「・・・・式に皆を呼びたい。」
「ふふふっ!良いよ。当日は天気雨だから、雨具の用意をちゃんとしてもらってね。」
「天気雨?」
「聞いたことがないかい?天気雨の日っていうのはねーーー」
狐の嫁入り。
人間に結婚を知らせる、不可思議な天気の日。
皆さん。
私達、結婚します。
そういう日の報せ。