可憐は椅子に座っていた。
あの日。
乱入してきた本物の執事は、ストーカーの撃てという一言にそそのかされ、本当に引き金を引いた。
銃弾は可憐を庇った忍足の腹部に当たった。
その後、騒ぎを聞きつけたパーティー参加者が来て、事態は一気に収束した。
ストーカーは捕まった。
可憐は無傷で保護された。
忍足だけが、運ばれていったまま、3日経った今日までどうなったのかわからなかった。
可憐は保護されたわけだが、キャサリンとしてキャサリンの家に戻ったのは一瞬だった。その後すぐ向日が迎えに来て、氷帝で身柄を保護するから来いと言われた。
だから今、ここは氷帝のアジトのひとつ。
忍足と初めて会った、日の光が眩しいほど入ってくる、ピアノのある部屋。
本当は他の部屋をあてがわれていた。
もっと良いベッドがあって、家具があって、たっぷり休める豪勢で安全な部屋があるから、そっちへ行けと言われた。ここだって金はかかっているけど、所詮待合室でしかない。
でも可憐はここから動く気になれなかった。
これ以上忍足から遠い所へ行きたくなかったから。
「・・・・・」
コンコン。
ノックの音がした。
「・・・・どうぞ。」
扉を開けると、向日が立っていた。
微妙な顔。
本当に微妙としか言いようがない顔で。
もっとも事件以降、向日はずっとこういう顔をしている。可憐ももう慣れた。
「・・・なあ。お前今日も飯食ってねえのかよ?」
「・・・ちょっとは食べたもん。」
「もっと食べろ。」
「・・・・」
「はあー・・・じゃ、ベッドで寝ろ。」
「・・・・ここで良いもん。」
「あのなあ・・・」
椅子に座って、頭を抱える向日。
その姿を、可憐は視界に入れた。
「・・・・どうして?」
「へ?」
「私、この部屋から出てないけど・・・でも、部屋の中に居ても、わかることもあるよ。昨日、跡部って呼ばれてた人が言ってたの聞いたもん。私のこと・・・放っとけ、好きにさせろって。」
だから、可憐が食事を残そうが、睡眠をとってなかろうが、氷帝としては別にどうでも良い筈だ。
いや。
(・・・どうでも良いなんて、今に始まったことじゃないけど・・・・)
あの作戦が終わった時点で、可憐は氷帝にとってどうでも良い存在のはずだった。
それを進言すると、じゃあ出て行くかと言われて今度こそ忍足との接点がなくなりかねないから、可憐の側から言い出さないだけ。
本当は、今も面倒見てもらってる方が奇跡的なくらいだ。
だが向日は、微妙な表情を解いて怒った顔になった。
「放っておけねーだろ!お前はー--」
「え?」
「・・・・・~~~~~!あー、くそくそ!とにかく、お前は健康で元気で居てもらわねーといけねーんだよ!わかったら、ちゃんと飯食って寝ろ!」
「やだよ!」
「なんでだよ!」
「忍足君が居ないもん!」
可憐がこの静かな部屋で聞いていたのは、跡部の声だけではない。
毎日誰かしら、扉の前で会話している。
桐生可憐はどうしてる。
忍足はまだか。
忍足は、まだ目が覚めない。
誰かがそう言ってるのを聞く度に、可憐は泣きそうになる。
部屋に入ってこない者は、皆わかっているのだ。忍足がいなければ、可憐が動かないことを。
「やだよ・・・・」
「お前・・・」
「ご飯食べて休むなんて・・・そんなことする気になれないよ・・・!」
とうとうぽろぽろと涙を零し始めた可憐に、向日はまた微妙な顔をした。
「うう・・・・うえええん・・・」
「はあ・・・あのな、」
ゴン!ゴン!と大きめのノックの音に、2人はそちらを向いた。
「はい・・・」
「開けるぜ!おい、おー----」
入ってきた宍戸は、泣いている可憐を見てしばし固まった。
「・・・おい、掟の10条違反!」
「してねー--よ!なんでだよ!」
「掟?掟って何、」
「お前もそれは今良いんだっての!それよりなんだよ!用件は!」
「そうだ!おい、忍足が気がついたぞ!」
またたくまに車に乗せられて、可憐は忍足が入院しているという病院ー--というか、闇医者の所に行った。
入った時点からスタッフは訳知り顔で、可憐に道を開けてくれた。
自分がこんな扱いを受けて良いのかはわからなかったが、可憐は遠慮なく甘えて、まっすぐ病室まで来た。
「忍足君っ!」
病室は静かに入る。
そんなことにも気遣えない程度には、可憐は必死だった。
「・・・・可憐ちゃん。」
可憐は、ふらふらとした足取りで近づいた。
忍足は、ベッドに座っていた。
点滴が繋がっているし、病院着の中に包帯がわずかに見え隠れしている。
でも起きている。
起きて体を起こして、可憐の方を向いて喋っている。
ああ。
生きている。
「・・・・・うああああああああん!」
たまらず抱き着いた忍足の体は、暖かかった。それがさらに可憐の涙に追い打ちをかける。
忍足が撃たれたとき、見る間に血が流れてきて、体温が下がって行った。
それを未だに覚えているし、何度も思い出していた。
今はもう違う。
可憐はやっと、大丈夫だと実感できたのだった。
しゃくりあげる可憐に、忍足は一瞬だけ迷ったあと、小さい背に腕を回して抱き寄せた。
「・・・堪忍な。」
「う、うう、う・・・・ひっく、」
「さっき聞いてんけど、俺3日寝とってんて?」
「うん・・・」
「ほんまにごめん。3日もほったらかして。」
「そんなことっ!私のことなんて・・・う、うああああん・・・・」
何を言っても泣き出す可憐に対して、忍足は嬉しかった。
「良かったわ。」
「何が・・・?」
「可憐ちゃんが元気で。あの後何かで怪我しとったら、どないしようかと思うたわ。」
可憐は勢いよく首を横に振った。
「私なんてっ!私はすぐ、向日君に迎えに来てもらって・・・」
「ああ、岳人が来てくれたんやな・・・何か言うてた?」
「何か・・・?えっと、身柄は氷帝が預かるって。」
「・・・それだけ?」
「それだけ?ええっと・・・後は部屋を用意してやったからそこで休めとかっ?そういうことを・・・」
「・・・そうなん。ていう事は、まだ誰も言うてへんな。」
「えっ?何をっ?」
忍足は軽く溜息を吐いた。
ああ。つくづくやってしまった。
「順番にいこか。可憐ちゃん、一番最初に影武者頼んだ時の条件の方覚えてる?」
「条件・・・」
「今回のこっちの勝利条件は、キャサリンの安全確保やってん。可憐ちゃんやのうて。その上で今回の作戦中に、トラブルがあって。」
「トラブル?」
「あいつ、途中から可憐ちゃんの方を好きになりよったやろ。」
ストーカーが、見た目がそっくりかつ本物のキャサリンより数百倍御しやすい可憐の方を手籠めにしようとしていることは、実は氷帝勢は大分前から気づいていた。
しかし、確証は無い。
それに、もうひとつ。
別に、可憐が襲われても氷帝勢は別に良いのだ。依頼は達成されるから。
「せやから、氷帝としては可憐ちゃんを守らへんでええていう結論になるねんけど。でも、俺はそんなん嫌やから。」
「・・・・ってことは、忍足君ひとりで助けてくれるつもりだったのっ?」
「いや。その方が話楽やってんけど、流石にひとりは無理やったから、どないかして氷帝全体の協力を取付なあかんかって。」
「でもどうやって・・・あ、お金っ?とか・・・?」
忍足は苦笑して、首を横に振った。
「後から謝ろ思うててんけど。」
「?」
「可憐ちゃんと婚約してるていうことにしてん。」
「・・・・え、えええええっ!?」
「そしたら、可憐ちゃんは影武者役の一般人やのうて、組員の奥さんていうことになるやろ?せやから、氷帝全体で守る義務が出てくんねん。」
もっと言うと、ストーカーを始末する口実にもなるのだ。
可憐に手を出すと宣言するということは、組員の妻に手を出すと言ったも同じ。遠慮なくコテンパンにできる。
忍足が部屋に即入らなかったのはそれが理由であった。
あの男が、「可憐に手を出す」と宣言するのを待っていた。
まあ、本当に無言で手を出されそうになったら入る気でいたけど。
「可憐ちゃん、この3日くらい好待遇で過ごしてへんかった?」
「あ、うんっ!食事とか(食べなかったけど)すごかったしっ。」
「あれ、俺の奥さんやからていうのんが理由やねん。幹部の妻やから、粗相のないようにて。」
「そうだったんだ・・・」
宍戸の言った、掟の10条違反というのもそれである。可憐はもう忍足の妻扱いなので、組員が他の組員の妻に粗相を働くのは厳禁だ。泣かせたなんてもってのほか。
それだけじゃない。その前段階体。
身柄を引き取られたこと。
食事から部屋から、何不自由ない3日を送らせてもらえたこと。
それらは全部、忍足が可憐にやってくれたことであった。
意識を失っていた3日間でさえ、忍足は可憐のことを守ってくれていた。
ずっと、ずっとだ。
「・・・忍足君、どうしてそこまでしてくれるのっ?」
「うん?」
「だって、私なんてそれこそその辺の農家の娘って言うのは本当だしっ。どんな目に遭ったって、別に忍足君には関係なー---」
「関係ないことなんかあらへん。」
忍足ははっきり言った。
いつもと同じ、大きいわけでもない落ち着いた声だったけど。
でも、可憐が今まで聞いた忍足の声の中で、一番はっきりした声だった。
「あんな、可憐ちゃん。」
「は、はい、」
「俺、可憐ちゃんのこと好きやねん。」
可憐の丸い目が、もっとまんまるになるのを忍足は見た。
可愛いと思う。
今まで何度も思った。
そしてー--これから先はもう見られないことも分かっていた。
「堪忍な、勝手して。」
「え・・・」
「守るためにしゃあなかったとはいえ、一方的に婚約者面してもうて・・・まあ、多分跡部辺りにはばれてたやろけど。」
可憐には承諾を取っていない。
それをわかっていたものは、大勢居ると思う。
わかっていて、皆忍足に付き合ってくれたのだ。
親友の向日は、可憐に何度も何度も言いかけた。
忍足が気になるのなら、元気で居ろ。飯を食って寝ろと。
あいつはお前が好きだから。
目覚めた時に元気でないと、きっと悲しむから。
でも、言えなくて。
それは自分が言っていいことじゃないのもわかっていたから。
「大丈夫やからな。」
「え、」
「ちゃんと婚約は解消するさかい。退院したら跡部に話通して、そしたら可憐ちゃんは報酬の方受け取れるさかい、それで実家に帰ー--」
「い・・・いやっ!」
今度は忍足が目をちょっと丸くする番だった。
「・・・可憐ちゃん?」
「やだ、だって・・・私、あのね、私も、あの、」
可憐はプチパニックになっていた。
ちゃんと言わなくちゃ。忍足がそうしてくれたように、ちゃんとした言葉で言わなくちゃ。
ああでも、早く訂正しないと。このままじゃ、婚約を解消されてしまう。
いやでも、最初から婚約じゃなくても良いのか?普通はお付き合いからでは?
でも、婚約を解消されたらその時点で氷帝との繋がりもなくなるから、やっぱり最初から婚約じゃないとだめなのか。
ええと。ええと。ええと。
赤くなりながらおろおろ目を回しはじめる可憐を、忍足はしばらくじっと見ていたが。
「・・・可憐ちゃん。」
「ええと、ええと、」
「可憐ちゃん。」
「あの、あのね、私ね、私ー---」
忍足は可憐の両肩を、優しいながら強い力で抱いた。
目が合うと、可憐はただでさえまとまらない言葉が何も浮かばなくなった。
可憐の表情を見ていたら、その思考の流れがわかるようで、忍足は微笑んだ。
ああ。なんて愛しい女の子。
「俺と一緒に居って。」
「・・・・うんっ!」
可憐は笑った。
忍足が出会ってから今までで、一番の笑顔だった。