現場は一時騒然となったが、丸井を含む大多数の人が、そのケースの中に中身が無い事を知っていた。そのため、周りのスタッフは皆「春日さん、放っといて良いから上がってください!」と呼びかけていた。
中には、隠れて笑っている人も居た。
紫希はすごく恥ずかしい気持ちになりつつ、濡れて重くなった空のギターケースを持って、死ぬほど冷たい川の中を歩いた。
何やってるんだろう。
皆に迷惑かけて。
下を向いて数歩進むと、丸井さん!という声とザブ、という水音が同時に聞こえた。
(え?)
顔を上げると、ズボンの裾も上げないで丸井が川の中に入っていた。
「え、え、」
「うわ、冷て!」
「いや、あのー--で、出てください!冷たいですし、」
「春日さんもじゃん。」
「そうなんですけどー---」
「ほら、貸して。よい・・・せ!」
水を吸ったギターケースを陸に上げて、丸井と紫希はそれに続いたが、上がった時にはもう膝下がびしょびしょになっていた。
「2人とも、早くこっちきてください!」
「ストーブありますから!それからタオルと、」
「何やってんだあ、演者にあんなもん取りに行かせて!」
「すいません、すいません!」
「お前らの仕事だろ、何をボーっと突っ立って見てるんだ!」
「あ、後で良いだろうと思ってー--あんな早く取りに行かれるなんて、」
「後で良いなら良いでそれを口に出せ!」
「衣装持ってきてますか!?」
「あっち、あっち!あっちのバンに乗ってるから!」
「丸井さんと春日さんはええとー--ひとまずこのテントで待っててください!」
テントの中はストーブが焚かれていてあたたかかった。
簡易椅子もあったのでそこに座って、もらったタオルで足を拭くと、それだけである程度は回復した。
「・・・・あの、」
「ごめんな、さっき。」
「え?」
「行くの遅れちまって。一人でやらせちゃったじゃん。」
紫希は大層びっくりした。
「そんなの!・・・そもそも、私が勝手に行っちゃって、迷惑かけてしまって・・・」
「迷惑?」
「だって、中が入ってないから・・・放っておくというか、任せておけば良かったのに、かえって皆の仕事を増やしてしまって・・・」
スタッフと演者は平等ではない。
というか、スタッフは汚れても最悪撮影はできるが、演者が汚れると全体がストップしてしまうから、スタッフのためにもやるべきではないのだ。
わかっていたけど、それでもエレキが駄目になるくらいならと思ったけど、結局中身は無事だったので、無駄に汚れただけということになる。
「皆になんて言ったら良いか・・・」
「そういうことじゃなくねえ?」
「え・・・」
「体が動くのはしょうがねえじゃん。バンドマンなんだし。」
ここに居る誰より楽器を気遣っているのは、バンドやってる紫希である。
自分はそこへ行くとどうしても一歩劣ることを丸井は知っていた。
「そもそも、楽器が入ってなかったのも結果論じゃねえの?」
「う・・・・」
「な?わかったら、もう反省はお終い!俺は春日さんのことかっこいいって思ったんだから、あんまり責めないでやってくれよ。」
「え?」
「丸井さん、春日さん!替えの衣装来ましたんで、こっちで着替えてもらって良いですか!」
「あ、はい!」
「はい。」
当時、丸井は誰が聞いてるか知らなかったから敢えて言わなかったが。
初動が遅れたのは、ケースが空だったことを知ってたからでも、川の冷たさに迷ったからでもない。
寸分の迷いなく、エレキを助けに行った紫希の姿に見惚れてしまったから。