五十嵐紀伊梨は、教室で頭を下げられていた。
目の前の彼女は友人だ。
だから頼まれたら、基本的には応えてあげたい。あげたいけど。
「紀伊梨お願いっ!」
「えー!だって紀伊梨ちゃん、怒られるのやだよー!チア部って厳しいんだもーん!」
紀伊梨は軽音部である。
ただし運動神経は運動部顔負けに良く、部活の助っ人に呼ばれることはたびたびあった。
だが今回は話がちょっと違う。
この試合だけ、じゃない。1ヶ月ほどずっと居て、なのだ。
おまけにチア部は厳しいことで有名。怒られるの大嫌い、厳しいの大嫌いな紀伊梨にとっては、割と苦手なタイプ。
「そこを何とか!お願い!ね!お願い!」
「じゃあ、紀伊梨ちゃんは怒られないよーにして?そんならオッケーです!」
「う!で・・・できるかな・・・」
「そもそもこの場合は、しょうがないんじゃないの。そっちの都合で呼んどいてしごき倒すって何よ。」
「そーそー!千百合っち良いこと言うじゃーん!」
「う、ううう・・・た、確かに・・・でも、こっちも練習だから、」
「そ、それでも、ちょっと手心を加えてあげられませんか?紀伊梨ちゃんはずっとチア部に居るわけじゃないですし、厳しくされる程度が他の人とまったく同じって言うのは・・・」
「やったー!紫希ぴょんも味方だー!」
「く・・・・わ、わかった。その条件で、ちょっと先輩に言ってみる・・・」
かくして紀伊梨は、期間限定でチアリーディング部に借りられることになったのだ。
チア部はチア部の中でも担当部活が分かれている。
紀伊梨が担当するのは男子テニス部に決まっていた。というかそもそも、男子テニス部に欠員が出たから男子テニス部担当に入ったのだけど。
「っていうわけで、借りられてきました五十嵐紀伊梨ちゃんです!よろしくお願いします!」
「「「「よろしくお願いします!」」」」
拍手と共に受け入れてくれるチア部。
こう言っちゃなんだが、チア部は見栄えも本分の内なのである。
華やかなオーラがある紀伊梨は、それだけで歓迎されやすい。
「じゃあ今日は・・・そうだねー、五十嵐さん!男子テニス部の部活の感じ、見た事ある?」
「1回だけ!です!」
「うーん、じゃあちょっと今から見てもらおっか!来て、案内するから!」
「ほーい!」
チア部の一人と共に、男子テニス部にくっついていく紀伊梨。
紀伊梨は、男子テニス部が有名なのはよくよく知っている。
ただ、知り合いも友達も居ないし、数ある部活の内のひとつに過ぎなかった。
この間まで。
今は千百合がマネージャーを始めていて、幸村精市という同級生が勧誘したくらいのことは知っている。
たった一回見に行ったのも、友達のマネージャー姿が見たかったのだ。もっとも、見るもの見たらすぐ引っ込んでしまったけど。
「五十嵐さん、テニス部って誰か知り合い居るー?」
「千百合っち!です!」
「・・・ごめん、マネジ以外で。」
「そなの?ん-と、じゃあ・・・千百合っちをゆっきーが引っ張って行ったのは知ってます!」
「ああ、幸村君か。友達?」
「うん!あんましゃべったこと無いけど!」
「そっか!」
多分、友達認定のハードル、バカ低いんだろうなということが彼女にはすぐわかった。
「えっとね、何が言いたいかってことなんだけど。テニス部で仲良い人が居ても、個人の応援はできないからね?」
「へ????こじんの?おーえん?」
「誰か一人だけに応援しちゃ駄目よ!ってこと。」
「そーなの?えー、でもずっと前、みっきーが陸上部の人にこー、山田!おー!みたいなこと言ってたお?あれって違うの?」
「えーとね、テニス部は特別なの!そう決まってるの。」
「へー?ふーん。」
何故かというと、現在の立海テニス部はモテすぎるからである。個人への応援を可としてしまうと、誰が誰の担当するみたいな話になり、揉めて揉めてどうしようもなくなる。
実は去年ー--紀伊梨が入ってきた年の春、頭からそんなことになったせいで、もう男子テニス部は一旦止めようと急遽決まったのだ。
「じゃー友達できてもおーえんしちゃ駄目なんだねー。」
「プライベートなら良いよ!部活では駄目だし、しないけど。」
「はーい!」
「わかってくれてありがとう、あ!見えてきた、ここ。」
「ここ入っていーの?」
「チア部は関係者だからね!代わりにチア部って分かるよう、ジャージか衣装着てないと駄目ね。失礼しまーす!」
「しつれーしまーす!」
入ると、すぐに現部長の部員が振り向いてくれた。
それから、ちょうど部長と話をしていた幸村も。
「三島。その子か。」
「うん、そう。」
「やっほー、ゆっきー!元気してるー?」
「あはは、おかげさまで。聞いてるよ、これから1ヶ月だっけ?よろしくね。」
「うん!千百合っちはー?」
「ああ、今洗濯に行ってるよ。」
「へー。」
「どうしよ、挨拶する?」
「そうだな、集めるのは無理だけど、ちょっと静かにしてもらうか。おーい、皆!ちょっと注目してくれー--」
部長の心づもりとしては、こうして呼びかけして静かになるのを待って、その上で挨拶させるつもりだったのだ。
つもりとしては。
ところが、紀伊梨にそんなことは関係なく。
「こんにちはー--!五十嵐紀伊梨ちゃんでー--す!皆よろしくねー----!」
テニス部全員が一瞬ビクッとして、動きを止めてしまった。
近くの人から遠くの人まで、全員の鼓膜を突き刺すような大声。
敷地の角のテニスコートでラリーしていた切原赤也は、思わず後ろを向いた。
「・・・何!?何だよー--痛えっ!」
振り向いた後頭部に、ボールが直撃した。
「ご、ごめん!」
「何すんだてめえ!」
「だってしょうがないだろ!急に後ろ向くから!」
「~~~~~!くそお!」
これ以上バカになったらどうしてくれる。
というか一体何なんだろう、今の大声。
そう思って視線を走らせると、黒崎千百合ー--最近マネージャーになった、切原にとっては先輩の女子が、チア部のジャージを着た少女の頭をはたいているのが見えた。
(彼奴か・・・!)
見た目は可愛いじゃん。
と一瞬は思った。思ったというか、思ってしまったというか。
でも、チア部のジャージを着ているということは、多分これからここに出入りする。
そしてここの担当もするのだろう。
(まさか、試合の度にあんなでけえ声出す気じゃねえよな?冗談じゃねえぞ、集中できねえっつの!)
未だに痛む後頭部を撫でながら、切原は遠くに居る紀伊梨を睨みつけた。
大体の部員がびっくり顔か、もしくはみとれるかどっちかに振れている中でのことであった。