思い立ったが吉日という言葉がある。
何かするんだったら、しようと思ったその日が、一番良い日なのだという意味。
別に座右の銘にしてるわけじゃないけれど、切原は性格上そういうことをよくやる。
思い立ったらすぐ行動。ぐずぐずしない。急いで急いで。ハリーハリー。彼はちんたらしてるのが嫌いである。
だもんで切原は、紀伊梨が挨拶に行ったその翌日には、もう紀伊梨のクラスに向かっていた。
人によっては上級生の教室怖いとか思うのだろうが、切原にそういうのはない。全然ない。
「すいません!」
ばしーん!と音を立てて2年A組の扉を開ける切原。
大丈夫。A組には三強トリオが居ないことは確認済み。
「五十嵐紀伊梨先輩居ますか!」
見える範囲の生徒が切原の勢いに目を丸くする中、すごい能天気な口調の声が奥の方から上がる。
「はいはーい!紀伊梨ちゃんいまーす!」
さささっと人の間を縫うように姿を表した紀伊梨は、何の気負いもなく切原の元まで来た。
少なくとも、怒られるいわれなんてないと全面的に信じ切っている態度。
「はい!紀伊梨ちゃんです!誰?」
切原は一瞬押し黙った。
(・・・昨日も思ったけど、やっぱこの人顔が可愛いんだよなー--じゃなくてえ!)
「あの!俺、テニス部の切原赤也って言いますけど!」
「あ、テニス部なんだー!じゃあ昨日も挨拶したねー!」
「そう!その挨拶のー--」
「1ヶ月だけだけど、紀伊梨ちゃんせーいっぱいやるからよろしくね!」
「声がー--1ヶ月?」
「ん?うん、1ヶ月!」
「・・・何が?」
「チア部が!」
「・・・・へ????チア部が1ヶ月?」
「うん!あのねー、紀伊梨ちゃん軽音部なんだけどー、チア部の子が怪我しちゃったから、応援入ってって言われたの!」
文句を言おうと思ってたことも忘れ、切原のあまり回転が速い方とは言えない頭が、頑張って情報処理を始めた。
チア部。1ヶ月。応援。
「・・・んじゃあ、あんたもしかして、ずーっとチア部に居るわけじゃないんすか?」
「うん!1ヶ月だけねん!」
「・・・はー。」
そう言われると、ガスが抜けるように急に勢いがしぼむ切原。
1ヶ月か。1ヶ月だけの辛抱だったか。
良かった。未来永劫あれなのかと思った。
「んー・・・じゃあまあ、良いかもしんないっすけど!でも!あんたねえ、頼むからうちの部に居る時は、もうちょい声抑えてくんないっすか?うるさくてしょうがねえよ!」
「えー!?そこまで大きい声出してなかったよー!」
「嘘吐け!」
「嘘じゃないもん!」
「あーもう、じゃあそれで良いっすから!もうちょっと静かにしてください!」
「ほーい!このくらいの声だったらだいじょーぶ?」
「ああまあ、今くらいなら良いと思いますけど・・・・」
「おっけー!」
(軽音部ねえ。)
確かに。
見た目が可愛くて声が大きくてとなったら、バンドのボーカルとかいかにも向いてそうではある。
「・・・あんた、チア部の代打とかできるんっすか?」
「へ?」
「ほら、俺も良く知らねえっすけど、跳んだり跳ねたりするでしょ?軽音部員じゃきついんじゃねえの?」
「えー?そっかなー?昨日ちょっと教わったけど、そんなにきつくなかったけどなー?」
「ええ!?マジかよ?」
テニス部とはレベルとか種類が違うとはいえ、チア部もあれでなかなか鬼のような部活なのだということは、切原もちょくちょく聞いている。
「昨日もやってみてって言われて、バック宙とか側転とかやってみただけだよ?」
「バック宙!?」
「あ!信じてないっしょ、できるよー!やったげよっか!せえーの・・・ほっ!」
廊下に出てきて、ばっ!ばっ!と鮮やかに宙返りする紀伊梨に、切原は本当にできるんだ、という驚きが半分。ここでやんのかよ、という気持ちが半分のまま眺めていた。
あとほんのちょっと、ジャージ履いてるのかちぇっ。みたいな気持ち。
「どお?どお?紀伊梨ちゃんすごいっしょ!」
「いやまあすごいっすけど、廊下でやんない方がー--」
「やったー!紀伊梨ちゃんすごーい!」
ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ紀伊梨に、切原は来る前の怒りとか、そういう毒気に似たものが、どこかからしゅるしゅると出て行くような感じがした。
駄目だこれは。
怒る気になれない。
(・・・まあいっか。)
この日切原にとって、紀伊梨は可愛いけどうるさい人から、可愛くて変な人になった。