いらいらというにはあまりにも重い苛立ちを抱えて、切原は試合開始までを過ごしていた。
不機嫌どころの騒ぎじゃない。
破裂寸前の爆弾のような刺々しい空気を身にまとっているのが、テニス部には見て取れた。
「ゆ、幸村・・・」
「副部長。どうかしましたか?」
「いやあの・・・切原なんだけど。」
「はい。」
「あれ、放っておいて良いというか・・・」
「良いと思いますよ。」
「え。そう?」
「あれでパフォーマンスが落ちることはないと思いますので。」
「いや、そりゃそうかもだけど・・・」
立海は結構、こういう所がある。
コンディションとか、突き詰めるとどうでも良い。
例え本人が40度の高熱を出していても、プレイが衰えなければまあ良し。
その方針に異論はない。ないけどそれはそれとして、シンプルに気にはなるのが人情というのも事実。
誰か聞いて来いよ、俺やだよお前が行けよ、の応酬が周りで交わされる中。
「あ、」
ひとりの部員が切原の目の前で、地面に置いていた切原のボトルを足で倒してしまった。
それを見た瞬間、切原は目の前がかっと赤くなったように思った。
「てめえ何しやがる!」
「ひいいいい!」
「赤也、止めろ。」
「あ”あ”!?」
柳がー--先輩が間に入っても声のトーンが下がらない。
これは本気で怒っている明らかな証拠。
「落ち着け。こいつを殴っても解決にならないぞ。」
「・・・・・・ちっ!」
「お前も、今の赤也に近づくな。」
「ひ、ひい、」
「泣いていないで、早く姿を消せ。突き詰めるとお前のせいなんだ。」
高校生にもなって半分以上泣きながら引っ込んでいく1年部員。
それを見ていた周りの部員は、「お前のせい」という言葉に反応する。
「喧嘩か・・・?」
「喧嘩程度であんな風にはならないんじゃねえ?」
「だよな。でもじゃあー--」
「彼、五十嵐さんにちょっかいを出してしまったらしくてね。」
丸井と桑原が振り向くと、いつものように穏やかな顔の幸村がそこに立っていた。
なんでこの状況で眉一つ動かさないで居られるのか、周りは不思議でしょうがない。
「五十嵐に?」
「うん。2人とも、知ってるだろう?チアリーディング部は、男子テニス部に対してはソロの応援をしないんだよ。」
「ああ・・・」
「でも彼、五十嵐さんに頼んでしまったらしくてね。」
「え、ソロを?」
「そう。といっても正式なものじゃなくて、ちょっと名前を呼びながら振付するだけのものだったらしいけど。」
先日紀伊梨は、切原に対してソロの応援まがいのことを一瞬やってみせた。
実は紀伊梨も切原も(抜けてるがゆえに)気づかなかったが、テニス部の敷地からほど近い場所に居たため、割といろんな人が見ていたのだ。
でも、休憩中はプライベートだし。
そもそも紀伊梨はチア部じゃないし、と思って、皆気に留めなかった。
彼も、紀伊梨が悪いとか、そういうことは思わなかった。
でも、思ってしまったのだ。
自分もされてみたい、と。
だから彼は紀伊梨に頼みこんで、あれをやってと言った。
紀伊梨はやや渋ったものの、そこまで必死になって断ることでもないし、向こうが強く食い下がったこともあって、結局根負けして応じたのだった。
そして、切原はたまたま偶然、そこに通りがかってしまった。
だから、紀伊梨が自分に対してそうしたように、特別ね、内緒だからね、と言って人の応援をー--その人にだけの応援をしたのを見たのだった。
「・・・・え、それで?それに腹を立ててるのか?」
「絶対確実って言うわけじゃないけど、柳から聞いた限りではね。柳は結構早い段階で赤也の様子に気づいてくれて、話を聞き出してくれてたから。」
「違うってわかんねえもん?」
「違う?」
「だって、五十嵐のやったこととしては、赤也に対してもあいつに対しても差はねえけどさ。五十嵐側の気持ちって言うか、そういうのが違うじゃん?」
ねだらないとやってもらえない、やってもらえてもさして笑顔もない彼と、すすんで笑顔でやってもらえる切原とじゃ、「ソロの応援した」という点は同じでも、他の所は違うんじゃないだろうか。むしろ、同じ所なんてソロの応援という1点くらいしかなくないか。
「まあ、それでも気に入らないんじゃないか?」
「いくらなんでも子供過ぎねえ?」
「分かっていても、気に障ることってあるからね。でも幸い、赤也は怒ってるからってプレイの質が落ちるタイプじゃないから。」
「それもそうだけど・・・」
「プレイの質は落ちねえけど、態度の質は下がるじゃん?」
「ふふ、まあね。」
人間不機嫌にもいろいろあるが、切原は典型的な、「不機嫌を隠せない」タイプである。
本人的には普通に振る舞おうと頑張っているのだが、怒りが理性を圧倒してしまってもうだめ。
「短気というか、いろんな負の感情が怒りに帰結するタイプだからね。赤也は。」
「わかるわかる。めそめそするより、きーっ!って怒るタイプだよな。」
「・・・でもじゃあ、放っておくのか?」
「それで良いんじゃないかな。こじれてもそれはそれというか、赤也が解決してくれないと。子供じゃないんだし。」
「そりゃあそうだけど・・・」
実際問題、それはできるのか。
部内でもとびきり精神年齢低めな切原なのに、こんな繊細な事態をひとりで収集させられるのか、と言われると桑原も丸井も、どうもそうは思えないのだが。
でも幸村は、全然心配していないようで。
「現金なタイプだから、大丈夫だよきっと。ちょっとしたことですぐ怒るけど、代わりにちょっとしたことですぐ機嫌が直るから。そういう所が、赤也の良い所だからね。」