その数十分後、千百合は立海に割り当てられた公園の一角で、腹を抱えて笑っていた。
「あはははははは!あはははははは!」
「黒崎、そんなに笑わなくても。」
「え、なんで。今世紀最大の大爆笑案件じゃん。」
「よくそんなこと言うわ、お前兄貴に向かって・・・いったあ!ううう・・・染みる・・・」
「ご、ごめんなさい!すいません・・・」
「そんなに痛えもん?かすり傷だろい?」
「テニス部と一緒にしないで・・・っていうか、丸井君!お前だよお前!お前がさあ、紫希を連れて行かなければこんなことにはさあ・・・」
紀伊梨に声をかけていたのは、棗だった。
千百合がマネジで紀伊梨がチア部で、残った紫希と棗は時間空いてるしと見に来たのだが、丸井が紫希を見つけて連れて行ってしまったのだ。
だから棗は私服のソロの男子ということになってしまい、その状態で泣いてる紀伊梨を発見し。
はっぱかけるつもりで、そんなに嫌なら止めようよ、ほら帰ろうよとけしかけて、案の定「帰らない嫌だ離して」の言葉を引き出したのだ。
その直後に吹っ飛ばされて、顔をすりむくとは夢にも思わず。
「すみません、今度から私、絶対一緒に居るようにしますから・・・」
「え、それも怖い・・・それあれでしょ、捨て身タックルしてくる奴が変わるだけで、俺が遭う目としては一緒じゃん。嫌・・・」
「俺はしねえよ。」
「え?え?」
「ふふ。丸井も苦労するなあ。」
「良いんじゃない。あいつ今までろくすっぽ苦労してなさそうだし、たまにはさせたら。」
「あはは。」
「・・・それより、あっち大丈夫なの。」
「あっち?」
「切原。今もう釈放されてるんでしょ。」
切原は一般人にタックルして怪我させたということで、真田から雷を落とされていた。
でも今日は試合もあるし、そもそも悪いことしようと思ったわけではないし、さしあたって今一番の問題はそこではないからということで、割と軽めの説教で済み、釈放されていた。
棗も謝罪をもらった。
だから今頃は、紀伊梨が謝罪を貰ってるはずだが。
「大丈夫じゃないかな?」
「そう?」
「2人とも、嘘が吐けないタイプだから。」
むしろ、嘘吐けないタイプが2人揃っているのに、ここまでこじれる事の方が千百合には疑問だった。
「・・・・・・・」
紀伊梨は珍しくも黙って、ベンチで足をぶらつかせていた。
真田から、切原に謝りに行かせるからちょっと待ってろと言われたけど、正直紀伊梨としてはさほど嬉しくない。
結局どうして自分はあんな態度取られていたのかわからないままだし、謝罪されても、それはそれとして嫌いになったとか言われたらガチ凹みすると思う。
まだこの後決勝あるのに。
あんなに練習したのに、とても披露できるようなコンディションじゃない。精神的に。
でも、それならどうしてさっき切原は自分を助けてくれたんだろうか。
紀伊梨の目の前で棗が吹っ飛んで行った時、紀伊梨は束の間泣くのを忘れて驚いてしまった。
何?と思っていたら、さっきまで棗が居た場所には切原が居た。目が合うと肩を掴んで、見たことないくらい必死な顔して揺さぶってきた。
『先輩!大丈夫っすか!どこが痛いんですか!何されたんですか!』
(もうわけわかんない・・・赤やんって何考えてるんだろ。っていうか、皆も何考えてるのかよくわかんないよ・・・)
とにかく皆しきりに切原と話すよう勧めてくるけれど、紀伊梨は嫌なのだ。
だって顔見たくないとか言われるし。
でもそう言っても、誰もまともに取り合ってくれない。はいはい良いから良いから、大丈夫だから、の1点張り。千百合も幸村も棗も丸井も、紫希までとにかく一度話した方がと言ってくる。
やっぱり嫌だからバスに帰ろうかな、なんて思って腰を浮かしかけたときだった。
「紀伊梨先輩!」
帰ろう。
と思ってたのに聞きたかった声を聞けて足が止まるのは、理性より感情が先行しがちな紀伊梨の何よりの答えであった。
嫌だ。
振り向きたくない。
また今朝みたいな顔されてたら嫌だもん。あんな顔、1日2回も見たくない。
背を向けっぱなしの紀伊梨に対し、切原は一瞬胸がぎゅっとした。
でも同時に、まあしょうがないとも思った。
今日一日、紀伊梨は切原から迷惑しかかけられてない。
勝手に邪険にされ、友達に手を出され。
今朝は自分が顔を見たくないと言ったけど、今や紀伊梨の方がそう思っていて当然なのだ。
なるべくダサくない自分を見られないようにと思ったのに。
結局究極にダサい姿をさらすことになってしまった。
「・・・・先輩、あの・・・・」
「ふんっ!」
「俺ー--えっ!?」
紀伊梨は耳に手を当てて、聞かざるの姿勢になった。
「ちょっ・・・何してんすか、ちょっと!聞いてくださいよ!」
「やだ!だってまた嫌なこと言われるもん!」
「い・・・言いましたけど、今は言いませんから!俺謝りたくて、」
「やだやだやだ!そのごめんってあれっしょ!蓮が紀伊梨ちゃんのポッキー1本食べちゃった時みたいな、はいはいごめんごめんみたいなやつっしょ!いや!」
「だあから、違いますって!」
手を外そうと必死になる切原と、逆らおうとするのに必死な紀伊梨。
こういうときは耳が良いのも考えもので、どうしたって声が聞こえてきてしまう。
「だって今朝言ったじゃん!紀伊梨ちゃんの顔見たくないって言ったじゃん!」
「あれはー--だから、俺はあんたのためにって思って!」
「・・・・へ?」
「・・・・紀伊梨先輩、ちょっと前に広野に応援したんでしょ?」
「広野・・・」
「テニス部のやつ!俺がしてもらったみたいな、こう・・・ソロの・・・」
ああ、まずい。
納まってたはずの怒りにまた火が着きそう。
「広野って、」
「わかってるんすよ!あんたは別に、彼奴に対してどうこうとかじゃないってことは!頼まれたからやったんっしょ!ただそれだけだってわかってんだよ、俺も!」
そう。
紀伊梨にとっては、きっと普通のこと。
紀伊梨は優しくて、愛想が良くて。
頼まれたら、良いよ良いよというのが基本の性格だから。
「・・・先輩に取ったら、俺も別に特別とかじゃないんでしょ。そんくらいわかりますよ、俺だって今までに何回もいろんな人に、一生のお願いって言ってっし。でも・・・でも!俺は!俺は俺だけであんたの特別になりたくてー---え?」
急に紀伊梨は大人しくなった。
両腕に入っていた力が抜けて、後ろ姿しか見えないけどなんだか首筋や耳が赤い。
ような気がする。
「・・・紀伊梨先輩?」
腕から手を外して、両肩を掴んで振り返らせると、紀伊梨は見たことないくらい赤い顔になっていた。
いつも真っすぐ切原を射貫いてくる大きな目は、あっちにこっちにとせわしなく動き、もう涙は引っ込んでいるけど様子は明らかにおかしい。
「先輩どうしー--」
「あああああの!あの、えーと、えー・・・広野!広野って人の話先にしよーよっていうか・・・」
その言葉に、また切原は一瞬いらっとしたのだが。
「・・・あのー、広野って誰?」
「・・・・え?」
一瞬で鎮火した。
「・・・あれっすよほら、先輩が応援した、」
「どんな人?」
「どんなっつうか、うーん・・・こう、ボーズ刈りで、細めで・・・あいつ、あんまわかりやすい特徴ないっすから、言いづらいんすけど・・・っていうか、覚えてるでしょ!?」
「覚えてないよー!」
「だってソロの応援ー--」
「ソロの応援頼んでくる人なんかたーくさん居るよー!」
「え?」
「部活やってない時とかさー、紀伊梨ちゃんクラスでめーっちゃ頼まれるもーん!頑張ってるけどさー、話しかけてきた人みんなとか覚えてらんないよ!紀伊梨ちゃん賢くないし!」
切原は紀伊梨とは学年が違う。
だからクラスで、紀伊梨がどう過ごしてるかなんてわからない。
クラスに居る間は授業中で、授業中って事は部活中じゃないからと言って、紀伊梨に個人的な応援を頼んでくる人は後を絶たない。
紀伊梨も怒られないならやぶさかではないから、応えてしまう。
ぶっちゃけ、広野なんてその他大勢の一人でしかない。
悪いとは思うけど、とてもいちいち記憶に刻みつけて居られない。
「・・・・・はあああああ・・・・」
「え?」
「いや何か・・・俺何やってたんだろマジで・・・・」
その程度の話でしかなかったのか。
そう思うと、一気に気が抜けてしまった。
(そーいえば、紀伊梨先輩って最初っからそうだったよなあ・・・)
うるさーいっ!って乗り込みに行ったら、ケロッとした顔で1ヶ月だよとか言われて。
今だって、いろいろひとりでもんもんしながら話をしたのに、それって何だっけとか言われる始末。
こういうの何て言うんだっけ。毒気が抜かれる、だっけ。
「ねーねー、結局広野ってだれー?」
「いやもう良いっす、その話。俺の勘違いっつうか、思い込みっつうか、そんな感じなんで。」
「???そうなの?」
「そう!」
流石に、名前も覚えてもらえない程度の奴に嫉妬の炎を燃やす気にはならない。
そう考えると、次にはただただ、そんな程度のことであんな態度を取ってしまった自分への情けなさが入れ替わりに出てきてしまい。
謝ろう。
今度こそちゃんと謝ろう。
そう思ったのに。
「あ、あのー・・・じゃー次、紀伊梨ちゃんの話して良い?良いよね?」
「え?」
「あの!あのね、
赤也は、紀伊梨ちゃんの特別だからね!」
「・・・・え?」
あのー・・・さっきあの、ほら。言ってたっしょ?赤やんは特別じゃないとかって、そんな感じのやつ・・・」
「い・・・いやあの!言いましたけど!あれはもうー--そうじゃなくて!それより、それより、」
そんなことよりずっと大事なことが。
さっきすごく嬉しいことを聞いた気がする。
「俺、紀伊梨先輩の特別なんですか?」
「えと・・・うん。」
「俺だけですか!」
「うん!えっと、え?あれ?ち、違うよ!他にも特別な人は居るけどー、」
「でも応援してくれるのは俺だけっすよね!?」
「う、うん!それはうん!」
「・・・・!」
切原はよくゲンキンゲンキンと人から言われる。自分ではそんなことねーよと言い返してきたが、今日は流石に自分でもゲンキンだと思う。
今朝までの不機嫌は一体何だったのかと問いたくなるくらい、心が晴れやかになっていく。
「先輩!」
「ほ、ほい!」
「俺、今日絶対絶対勝ちますからね!」
「う、うん!頑張ってー--え?でも赤やん、いつも大体勝ってるっしょ?」
「そうっすけど、紀伊梨先輩が応援してくれて勝つって言うのが嬉しいんすよ!」
こういう所がこの人バカなんだよなあと感じる。
でも、自分も負けないくらいバカだから、お互い様だ。
「部活ですから!俺だけ応援ってのは無理っていうのは、もう知ってますから。」
「うん。」
「だから!心の中だけで良いから、俺のこと応援しててくださいよ!俺だけ!俺だけですからね!」
「・・・・うん!」
「それから、後ー---お願いがあるんっすけど、」
『間もなく、全国中学生テニス選手権大会、団体戦神奈川県大会の、決勝戦を執り行います。出場校の選手は、指定のコートに集合してください。繰り返します・・・』
「あーあーあーあー!やばいお、行かないとー!あり?赤やんどしたの?」
「~~~~~~~~!」
昼が終わった。
畜生。
まだ肝心なこと何も言ってない。
「くっそお!」
「え!?何何!?」
「あの!試合終わったら、話したいこと山ほどあるんで、学校で待っててくださいよ!」
「お!?お、おけ!」
「一人で待っててくださいよ!見つけた時誰か一緒に居たら、そいつには帰ってもらいますからね!」
「えー!それは暇だから電話してちゃだめ?」
「俺が来たら、すぐ切ってくれるんなら良いっすよ!」
「どーしてよー!」
「しょーがないでしょ、あんたのこと独り占めしたいんっすから!」
言った直後に、遠くの方から赤也!と呼ぶ声が聞こえる。
ああもうだめだ、本当にタイムリミット。
絶対勝つとか言っておいて、遅刻で不戦敗とか一生の汚点になっちゃう。
「ほらもう行くっすよ!時間ないんですから急いで急いで!」
「え、え、うん、」
手を引く紀伊梨が今どんな顔をしているか、見たくないと言えば嘘になるし、見るのが怖くないと言っても嘘になる。
でももう知らない。
黙ってるのしんどいし、傍に居ない理由ばっかりたくさん並んでる状況も嫌。
さっさと勝ってさっさと終わらせて、1秒でも早く話の続きをしよう。
その後切原が、今大会屈指の早さで勝利を納めたのは言うまでもない。