「最初はねっ?最初は・・・なんともなかったんだっ。」
雨の降る海辺の倉庫の中で、肩を寄せ合って、可憐は話し始めた。
元王子、グラス。
彼と一緒の生活がスタートして数日の間、可憐は毎日ウキウキしていた。
何せ、ずっと会いたかった好きな人なのだ。
顔を見るたびに、ああやっぱりあの人だと思って、そしてときめきと喜びを噛み締めていた。
が。
しばらくすると、可憐は違和感を覚えだした。
「・・・どこがどう、みたいなん言えます?」
「それが、上手く言えなくて・・・」
困ったことに、違和感としか言いようがないのだ。
グラスは優しい男だった。
聡明で。
そつがなく。
穏やかで。
城の者達も皆、姫のおっしゃっていた通りの好青年ですね、と口々に褒めそやして、本人も随分城に馴染んだ。
でもーーー違う。
どこがどうとは言えないし、確かに優しいのだが、優しさの形がーーー違う気がするのだ。
例えば、可憐は跡部を優しいと思う。
忍足も優しいと思うし、グラスも優しいと思う。
でも、優しさの形は皆違うもので。
そして、グラスの優しさは、かつて可憐が好きになった王子の優しさとーーー違う気がする。
「・・・・姫。」
「うん?」
「・・・・言いにくいんですけど。」
「うん・・・良いよ、どうぞっ。」
「・・・別人ていう線は。」
可憐は首を横に振った。
「別人・・・とは思わないかなっ。」
「なんでです?」
「顔は本当に、記憶のままだから・・・だから、別人っていうより、大人になって変わったんだと思うっ。グラスくんがか、私がかはわからないけど・・・」
跡部も言っていた。
かつて好きと思ったとしても、今もそうかはわからないと。
だから、違和感があるとしたら、別人というよりも本人が変わったのだ。そう考える方が自然だ。
でも、そうだとすると。
「・・・私ね、」
「・・・・・」
「・・・本当に好きだったの・・・いろいろ忘れても、本当に本当に好きで、そのことはずっと覚えてて・・・!
今でも好きなの、今でも会いたいの、でも違うんだよねっ?もう私、会えたんだよねっ?なのに結局私、憧れの王子様が思ってたのと違ったからって、結婚に迷ってるの・・・!」
自分がずっと恋焦がれて、結婚するならあの人が良いと願った彼は、結局今やどこにもいない、幻の存在になった。
だとすると、この恋は。
今でも胸に居座り続けるこの気持ちは、どうしたら良いんだろう。
今でもこんなに好きなのに。
その好きな人は、時間の手によって永遠に奪われてしまったのか。
「うぐ・・・ひっく・・・」
「・・・・月並みなことしか言えませんけど。」
「・・・・・」
「したくない結婚なら、せんでええんです。」
「でも、皆今まで私のために、」
「そうです、姫のためです。せやから、姫が幸せになれへんのんやったら、それは皆からしても、本意やありません。」
少なくとも、忍足は本意じゃない。
可憐が幸せになるなら、かろうじて身を引く気になれるというだけなのに、その前提さえ覆るのなら、一体自分はなんのために我慢してるんだろう。
「・・・それに、王子が変わった結果、別人みたいになったと思うんでしたら、逆も然りです。」
「逆・・・?」
「昔はともかく、今姫のイメージしてる王子に近い人が、他におるかもしれません。」
その言葉は、可憐の心の奥深くに眠っている感情に向かって、ずぶっと手を入れるようなものだった。
そして掴んで。
掬い上げて、表へ出して。
ああ。
もうだめだ。
「せやから、そない焦らんとーーー」
「駄目だよ・・・」
「え?」
「私ね・・・
私、忍足くんが好きなの。」
忍足は、目を見開いた。
「ずっと言えなくて・・・だって、そんなの失礼だもんっ。」
「失礼て、」
「だって、だって、私が忍足くんを好きなのって、王子に似てるからなんだよっ!私が好きだったころの王子に・・・それって、忍足くんが好きって言えるのっ?王子が好きだから、似てる人を代わりにしてるだけなんじゃないのっ?
もう私、よくわかんないよっ!私、誰をどう好きになれば良いのかーーー」
続きは言えなかった。
気づくと可憐は、忍足に強く抱きしめられていてーー囁くような声が耳元に落ちた。
「良いです。」
「・・・え、」
「どっちでも良いです。」
「ど、どっちでもって、」
放心した可憐を少し体から離して、忍足は目を合わせた。
そうだ。
最初から、そうすれば良かった。
「王子を好きでも、俺を好きでも、どっちでもええんです。実際ここにおるのんは俺の方で、王子はおらへん。」
「・・・で、も、」
「どんな理由でもええねん。選んでもらえるんやったら、それで。」
諦めるしかないと思っていた。
可憐を知れば知るほど、思いが深くなったのは確かだったけど。
同時に、王子への想いの深さも、よくわかるようになったから。
でも、選んでもらえるなら。
自分を好きかもと思ってもらえるなら、それで良い。
王子の代わりだと言うのなら、これから1番の座を争って、取ってやれば良い。
争いに参加さえできないより随分マシだ。
そのことを忍足はよく思い知った。
「好きや。」
「忍足くん・・・」
可憐は、ただでさえぐちゃぐちゃになっていた思考が、もっとぐちゃぐちゃになっているのを感じた。
嬉しさと、嘘、信じられないという気持ちと、グラスのことや王子へのことが全部ない混ぜになって、もう何から手を付ければ良いのかわからない。
忍足はそれがわかって、小さく微笑んだ。
本当にこのお姫様は生真面目で、優しくて。
そういうところが好きなのだ。
「俺にしてくれません?」
「でもっ、でももし、」
「後から理想の王子が見つかったら、その時考えよ。記憶も戻るかもしれへんけど、それはその時考えたらええんです。」
「そんなっ!そんな私にばっかり都合の良いことできないよ、」
「ええねん。沈んだ顔見てるより、都合のええ男になる方が、何倍もええですから。」
「・・・どうしてっ?どうしてそんなにしてくれるのっ?私、忍足くんになにもしてないよねっ?」
「覚えてへんだけやで。」
「えっ?」
「王子様に関係ないさかい、言うてへんかったんですけど。俺と姫は、昔文通してたんです。」
「・・・えっ?えっ?」
「ボトルメッセージで。庶民の可憐と、異国の王子様ていう設定で、やりとりしてました。」
「・・・・・・」
「覚えてないやろ?」
「ご、ごめんなさいっ・・・・!」
忍足は、今度は声を漏らして笑った。
良いのだもう。
それさえも、どっちでも。
「姫は王子が好きやって知ってたんで、言わへんつもりでした。」
「あ・・・」
「でも、その王子がなんや思うてたんと違う、て言うんやったら、俺はもう黙ってられへん。」
「・・・・・」
「・・・愛してます。」
忍足の顔が近くにある。
正直なことを言うと、可憐はここ最近の間で、グラスともこんな空気になったことがあった。
その度に、無理に違う話題を振ったり、こういうのは結婚してから・・・と言って、逃げていたけど。
今わかった。
あれは結局、可憐の感覚が、この人じゃないとアラームを鳴らしていたのだ。
今は違う。
すごくドキドキするし恥ずかしいけどーーーすごく自然に、目を閉じる気持ちになれる。
ゆっくり瞼を閉じると、わずかに引き寄せられる感じがした。
初めてのキスは、ちょっとーーーほんの少しだけ、雨の味がした。
「・・・・」
「・・・婚姻前にこういうことしたら、怒られますかね。」
「・・・えへへっ。そんなことーーー」
ガシャン!
「え・・・?」
「ああ。多分、あっちで瓶かなんか、落ちたんやと思います。今、風も強いさかい。」
「・・・・」
「一応見て・・・姫?」
「・・・・う、」
「姫?」
「・・・・・!忍足くん、」
「はい。」
「・・・思い出したっ!」